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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第3話 幻夜の影 第4章
132/206

05 居場所はない

 シィナは戦闘態勢を取った。と言うより、そのような真似をした。

 威勢のよい彼女だが、下町の子供たちとやり合うことがあったとしても、女の子である以上は力任せの喧嘩から免れてきた。当人同士がやる気になっても、周りの男の子たちがとめた。女の子同士で平手打ちの応酬くらいならやったことがあるが、取っ組み合いなどしたことがなかったから、やり方がよく判らなかったのだ。

「やる気なら、相手になってやるん……」

 勢いだけで言いかけ、シィナははたとなった。

 これはリダールの身体なのだ。

(――知るか)

 だが彼女は、どこぞの騎士団長とは違い、その事実に目をつぶることにした。

(あとでリダールが痛いって泣いたら、謝ればいい!)

 そう考えると少女は思いきってフェルナーに掴みかかろうとした。巧くいかなかったのは、少年がふらふらと後退したからだ。

「逃げるか、この」

 すっかり喧嘩腰になったシィナだったが、しかしフェルナーの様子は、殴り合い上等というシィナの態度に怯んだという感じではなかった。

「う……」

 彼はうなった。

「くる、な……」

「なに?」

「――シィナ殿、リダール様を呼んでください!」

 そのとき、ばたんと扉が開けられて、鋭い声が発せられた。

「リダール!」

 ほとんど何も考えずに、シィナはそれに従った。

「リダール、戻ってこい。お前の身体はここだ!」

 彼女は叫び、少年の手を無理矢理取った。

「はな、放せ……」

「リダール!」

「僕は、フェル……」

 苦しげにフェルナーがうなる。

「リダール!」

 繰り返し、彼女は叫ぶ。

「オレは、ここだ!」

 がくり――と、少年の身体がくずおれた。シィナは慌てて手を差し伸べたが、少女の力で十八歳の男の体重を完全に支えることは難しかった。結果としてシィナは、倒れたリダールに折り重なるように転んでしまう。

「だ……」

 少年の手が伸ばされた。

「大丈夫?……シィナ」

 気遣わしげな声がシィナの耳に届いた。目に映るは、心配そうな瞳。

「――リダール!」

 ぱっと顔を輝かせて、少女はそのままリダールに抱きついた。

「ちょ、ちょっと、シィナ」

 リダールは顔を赤くした。ふたりの距離はあまりにも近く、体勢は年若い少年を動じさせるに足るものだった。

「ここは……僕の部屋?」

 少年はそのまま、周囲を見回した。

「ああ」

 少しだけ身を離して、シィナはうなずいた。

「あの野郎、勝手にお前の部屋まで上がり込んでよ」

「申し上げにくいのですが」

 こほん、と咳払いの音がした。

「安心するにはまだ早いです、おふた方」

「ラシャ神官」

 リダールは身を起こし、ようやくシィナも離れた。

「シィナ殿が窓から入ると言って排水管を登っていってしまったので困惑しました」

 神官は嘆息し、シィナは「いいじゃん別に」と呟いた。

「ですがそうした話ももう少しあとです。リダール様」

「は、はい」

 ラシャの真剣な声に、リダールは緊張を覚えた。

「まだ……います」

「え」

 リダールは目をしばたたいた。

「光のなかでは、見えづらいですが」

 ラシャは部屋の一角を指した。

「あそこに」

 います、と神官はまた言った。

「フェルナー……?」

 リダールは呼んだ。

「しっ」

 ラシャは厳しく黙るよう告げた。

「呼んではなりません」

「でも……」

「呼び寄せることになる。また同じことをしたいのですか」

「そんな」

 リダールは唇を噛んだ。

「彼は、悪霊なんかじゃ」

「似たようなもんさ」

 シィナは床を踏み鳴らした。

「お前が友だちを大切に思うのはかまわないって言うか、悪いことじゃないさ。でも向こうはお前のことなんか友だちと思ってないどころか、お前が尽くすのが当然みたいに思ってるんだぜ。死んでようが生きてようが、性質(たち)が悪いってやつだよ」

「そんなんじゃないんだ、フェルナーは本当は」

「呼んではいけません」

 ラシャは繰り返した。

「友と思っていようとも、ここは拒絶を示すのです。それはあなたのためだけではない、彼のためでもあります、リダール様」

 フェルナーのためと言われ、リダールはうつむいた。

「本当に……彼のために?」

 リダールは呟いた。

「ええ。我が神フィディアルに誓って」

 きっぱりとラシャは言った。

「判り、ました」

 少年はうなずいた。

「僕は、何をすればいいですか」

「彼を呼ばないこと」

 再三、ラシャは述べる。

「同情しそうになったら、シィナ殿のことを思いなさい。あなたが囚われたために、危ない目に遭うところだったのです」

 フェルナーか。シィナか。

 神官の言葉はその選択をリダールに迫ったも同じだった。

 彼の目に惑いが浮かぶ。どちらも大事な、友なのに。

(ヒュラクスの――)

 リダールは思った。

(まるで〈ヒュラクスの紐〉の物語だ)

 大事なふたりを救える紐は一本だけ。どちらを救うべきか決めかねたヒュラクスは、迷う内にふたりともを失った。哀しみの、それとも後悔のあまり、ヒュラクスはその紐で首を吊ったと言う。

(僕は)

(ヒュラクスじゃない。僕は)

(選ばなくちゃならないんだ)

 胸の痛くなるような思い。

 だが、答えは決まっていた。

 シィナは、生きている。

 少年は手を伸ばした。少女の手を取った。シィナはぴくりとしたが、それを振り払うことなく、そっと握り返した。

 ゆらりと、何かがうごめいた。薄い影のような煙のようなものが、かすかに見えたと思った。

(フェル……)

 呼んでは駄目だ。リダールは唇を噛んだ。

「――去れ」

 ラシャは聖印を握った。

「彼はお前のものではない。お前はもう死んでいるのだ。とうにラ・ムールに安らぎ、冥界神に裁かれて、次の生への支度をしていなければならないのだ」

 普段の穏やかな笑みは、このときフィディアル神官の上になかった。

「去れ、哀しき魂よ。失われた生に心を残すな。お前はもう、いないのだ」

 神官の言葉はリダールの胸に突き刺さった。

 ゆらゆらと、煙が揺れる。それは躊躇うような。或いは、怒りに身を震わすような。

「さあ、去るのだ。ここはお前のいる場所ではない」

 聖なる祈りの文言の合間に、神官は冷徹に言う。

「この世のどこにも、お前の居場所はない」

 きゅ、とリダールは胸の締め付けられる思いを感じていた。ラシャの言葉を否定したい。そんなことはないんだと言いたい。だが、それならばどこにフェルナーの居場所があるのか。六年前に死んでしまった、子供。

 できることなら自分の近くに彼の場所を作りたい。自分のことが嫌いだと言うのならば、彼の父親の近くでもいい。ずっと嫌われ、父親同士のような確執を持つに至っても、もしフェルナーが生きていてくれるなら。

 何度考えても答えはそこに行き着く。

 「もし生きているならば」。

 しかし彼は、死んでいる。どんな理不尽な出来事のためであっても、死んでいるのだ。

 それを認められずにいるのが、フェルナーとリダール。

 そこをつけ込まれる。奴らに。

「……どうか」

 リダールはシィナの手を握り、かすれた声を出した。

「神様。僕の友だちを……あるべき道に」

 少年が祈ったのはフィディアルかコズディムか、はたまた〈峠〉の神であったか。

「どうか……」

 心からの祈りをラシャの詠唱が包んでゆく。煙は立ち去り難いようにしばらく同じ場所で揺れて――リダールはじっと見つめられているような気がした――それから不意に、霧散した。

「……消えました」

 たっぷり十(トーア)は経ってから、フィディアル神官は囁いた。


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