01 誰かしら
エルレールが王家の館に乗り込んだのは、そのすぐあとのことだった。
「姉上」
ハルディールは驚いた顔で巫女姫を迎えた。
「どうしたんだ、クインダンの供もなく」
「待っていられなかったの」
短く、エルレールは答えた。
「……ハルディール」
「うん?」
「あなた、ハルディールね」
「え?」
「私に会うことを拒絶した他人ではなさそうね、ということ」
ほう、と彼女は息を吐いた。
「何だって?……ああ、『彼』は巫女姫を警戒したのか」
少年王はすぐに姉の話を理解した。
「もちろん、僕は僕だ。ただし、いまは、ということになるけれど」
「何ですって?」
今度は姉姫が聞き返し、ハルディールはいつまた身体を使われるか判らないのだという話をして彼女を驚かせた。
「彼がエルレールを……巫女姫を拒絶したのは、見破られる心配をしたのかもしれない」
神官にも会いたがらなかったことからその能力を警戒したのでは、とハルディールが推測を説明すれば、エルレールは片眉を上げた。
「あら、もっと重大なことを忘れていてよ、ハルディール」
「何だって?」
「私はあなたの姉なのよ。たとえ神に祈らなくたって、あれだけみなが違和感を覚える偽のハルディールになんか、騙されるはずなんかないでしょう」
「姉上」
弟王は少し笑った。
「『彼』がエルレールに会わずにいてくれて、よかったかもしれないな」
「何ですって?」
今度はエルレールが首を傾げた。
「だってそうだろう。正面切って糾弾したら、彼はエルレールも牢に放り込んだかもしれない」
「そんなこと」
エルレールは鼻を鳴らした。
「クインダンが……クインダンやユーソアがそんなことをするものですか」
「『王』と騎士団長の命令があれば、葛藤したさ」
「アンエスカも人が悪いわ」
王姉は顔をしかめた。
「私はともかく、クインダンにまで黙っているなんて」
「仕方のないことだ。気づいていないふりをすることで僕の、『彼』の傍にいようとしたんだから」
少年王は騎士団長から話を聞く時間などなかったが、アンエスカの考えはだいたい推測できた。
「あの……あのね、ハルディール」
こほん、とエルレールは咳払いをした。
「私が約束もなくここへやってきたのは、何も痺れをきらして押しかけてきたためではないの」
「と、言うと?」
ハルディールは首をかしげた。
「私……私はもちろんあなたを助けるわ、ハルディール」
真剣にエルレールは答えた。
「だから本当のことを言ってちょうだい」
「何なりと」
いったい何ごとかと首をひねりながらも、弟王は確約した。
「フィレリアのことよ」
「もしや、婚約話のこと」
まず彼はそう考えた。
「あれは『彼』の述べたことで……」
「そうでしょうね。判っているわ。でも、あなた自身にもそうした思いは存在したのではなくて?」
「そ、それは、その」
少年はうろたえた。
「僕は……確かに彼女に惹かれている。長く一緒にいられたらいいと思う。けれど、僕は感情だけでそうしたことを定めることはできない。いや、僕個人より国のためにという、それこそが僕の『感情』……本心なんだ」
真摯に少年王は言った。
「ああ、ハルディール」
巫女姫は両腕を伸ばすと弟を抱いた。ハルディールは驚いたような顔を見せ、それから少し笑みを浮かべた。
「本当のことなんだよ、姉上。アンエスカやタイオスも、僕が自分を犠牲にしているかのごとく感じるところがあるようだけれど、そんなことはないんだ、本当に」
彼は繰り返した。
「最初に婚約のことを聞いたときは……お前が何か、結婚をするべきだと思うようなことをしたものと思ったの」
言いにくそうにエルレールは言った。ハルディールは何を言われたものかとまばたきをして、それから顔を赤くした。
「ち、違う、僕は何も」
「何もしていないと言うのね」
「も、もちろん」
「それなら」
もう一度、エルレールは咳払いをした。
「フィレリアのお腹の子の父は、誰かしら」
「……え?」
気の毒に、少年王は口をぽかんと開けた。
「どういう、ことなんだ?」
「私が訊きたいわ、ハルディール」
姉は息を吐く。
「身に覚えはないの?」
「なっ、あっ、あるはずが」
「ではフィレリアが嘘をついていると言うことね」
「ま、待ってくれ、姉上。フィレリア殿は、その、何と」
「シリンドルへやってきてからというもの、陛下と逢い引きを重ねて、その、関係を持ったと」
「え……」
「子ができたための求婚と、フィレリアはそう考えているわ。少なくとも私には、そう言おうとしているようだった」
「ちょ、ちょっと待って。それは……それは、奇妙だ」
額に手を当て、ハルディールは半ば悲鳴のような声を上げた。
「もちろん僕は嘘をついてなどいない。かと言って彼女がシャック・ハックだとも思わない。となるとやはり、ルー=フィンのように偽の記憶を事実と信じ込んで」
「それが最も妥当な考えと言えそうね」
エルレールもうなずいた。
「でも、腹に子がいるというのが事実であれば……」
細い眉をひそめて、エルレールは呟く。
「まさか父親はユーソアではないでしょうね」
「あ、姉上!」
「本気で言った訳ではないわ」
悲鳴と非難の混じり合ったような弟の声に、姉は手を振った。