11 疑えない
エルレールは困惑していた。
と言うのは、フィレリアを神殿で預かることになったのだ。
そのこと自体は、それほど困惑の種ではない。彼女はフィレリアを友人とも思っているし、弟を好いてくれて嬉しいという気持ちもあるのだ。
しかしクインダンに言ったように、ハルディール王の妃として相応しいかという話になればまた別だった。
相応しくないと言うのではない。ただ、ものごとには順番がある。
ハルディールは自分ひとりのわがままを口にする前に、話すべき相手に話しておくべきなのだ。それは騎士団長であり、両大臣であり、神殿長であり、姉たる巫女姫。
(――結局私は、ハルディールが私に相談をしてくれなかったから引っかかっているのかしら?)
クインダンと話をする前、エルレールはそんなふうにも考えた。
どうやら、弟が彼女を拒絶したのはそれが弟ではなかったからだ、ということは判ったものの、その後の展開について巫女姫はやはり知らぬままだった。
生憎なことに、ハルディール変遷の事情を知り、なおかつ本当の彼が戻ったことをきちんと把握している者で、王姉にその話をする時間があった者はいなかった。
よって彼女は、ハルディールが婚約を考えている女性を神殿に預けてきたという事実にもまた困惑した。状況がさっぱり判らなかったのだ。
「どういうことなの」
エルレールが尋ねることのできる相手はひとりしかいなかった。
「――フィレリア」
「殿下」
少女は消え入りそうな声音でエルレールに呼びかけた。
「わたくしも……事情がよく飲み込めないのです」
フィレリアはそう前置いた。
「陛下がわたくしを望んでくださったときは天にも昇る心地でした。ですが、私のような娘ではみなさまが反対なさるのも当然のことと思います」
「まあ、そうではないのよ、フィレリア」
エルレールは首を振った。
「闇雲に反対しているのではないの。ただ、ハルディールがひとりで決めてよいことではないわ。それは判ってくださるわね?」
「ええ、はい、もちろんです」
うなずいてからフィレリアはすがるような目でエルレールを見た。
「エルレール様は……どのようにお思いなのですか」
「私、私は」
王姉は迷った。
「フィレリア。私はあなたのことが好きよ。でも私も、好悪だけで発言する訳にはいかないの」
「ああ、殿下、もちろんです。承知しております。私は何も、殿下から言質を取ろうなどと考えているのではありません」
慌てたように少女は首を振った。
「ただ……相談できる方が、いなくて」
「〈青竜の騎士〉は、どうなの」
彼女は引っかかっていたことのひとつを尋ねた。
「あなたに言っても答えは返ってこないかもしれないけれど……彼には何か思惑があるのではないの」
「エククシア様は、素晴らしい方です」
やってきたのは即答だが、いささか的外れでもあった。
「私を……私や兄をずっと支えてくださっています」
「そう、それは、頼りになる方なのでしょうけれど」
エルレールは言葉を探した。
「どうか、エルレール様。エククシア様をお疑いにならないでください。この国では……あの戦士が」
少女は身を震わせた。
「名誉を得て、いるようですけれど……」
「タイオスのことね」
エルレールが名を口にすれば、フィレリアはびくりとした。
「彼が囚われたときは……安堵いたしました。シリンドルの外へ逃亡したと聞いたときは、またどこかで悪行を成すのではと怖れもしましたけれど、もう姿を見ずに済むと思えばやはり安心しました。また、戻ってくるなんて」
「戻ってきた? タイオスが戻ってきたの?」
驚いて彼女は尋ねた。
「彼がエククシア様を追い出し、私を陛下から引き離すのです」
フィレリアは震える声で訴え、目を潤ませた。
「何故あの戦士は、私に酷い仕打ちばかりするのでしょう? 両親を殺し、兄を糾弾し……」
「待って頂戴、フィレリア。タイオスがあなたの両親を殺したというのは本当なの? あなたの覚え違いではないの?」
「断じて」
少女はきっぱりと言った。
「兄もよく、記憶しております」
「でも……」
エルレールもやはり、タイオスを〈白鷲〉と信じていた。だがフィレリアが頑なに言うのを聞くと、絶対に間違いだとも押すことができない。タイオスを疑うのではなく、フィレリアを疑えないのだ。
「エククシア殿とタイオスの間には、何か確執があるのかもしれないわ。どちらかが嘘をつき、相手を陥れようとしている」
客観的に巫女姫は話した。フィレリアはまた首を振る。
「エククシア様は嘘など!」
「そうね」
彼女はまずそう言った。
「この場合、嘘をついている可能性があるのはフィレリア、あなたということになるわ」
「殿下……!」
「そんな顔をしないで。私はどちらとも決めつけたくないだけよ。あなたもタイオスも信じたいのですもの」
ふう、とエルレールは息を吐いた。
ハルディールも同じ気持ちを味わったのだろう。タイオスとフィレリアの話の食い違いに弟がどれだけ困惑したか、姉はとてもよく判ったと思った。
ルー=フィンのこともある。信じている――信じることに決めた騎士が、信頼する〈白鷲〉を咎人と非難する、そのことにもハルディールは揺れたはずだ。
(私はきちんとハルディールを支えたかしら)
エルレールは訝った。
(彼が悩んでいたときに手も貸さず、頼ってこないと不満を覚えたのであれば、私こそ自分勝手な考え方をしていたことになるわ)
(もっとも、クインダンの言葉の通り、ハルディールがハルディールではないというのであれば私の自戒もあまり意味がないことになるけれど)
エルレールが何度会いたいと言っても、フェルナーは肯んじなかった。そろそろ押しかけようかと思っていた矢先に、フィレリアが僧兵に連れてこられたのである。巫女姫はフェルナーを目にしていないままだった。
「どうか聞いて頂戴、フィレリア」
だが彼女はクインダンの判断を信じた。
「あなたと婚約をと口にしたハルディールは、ハルディールではないの」
「何を……仰っているのです?」
フィレリアはきょとんとした。
「だから……」
クインダンと話したことをどう説明すればいいのか。彼女が迷う間に、フィレリアは表情を曇らせた。
「どうぞ、本当のことを」
少女は言った。
「何ですって?」
王姉は聞き返した。
「包み隠さず、本当のことを仰ってくださいな。わたくしが陛下には相応しくないと。シリンドルから出ていけと。そのようにはっきり言っていただけた方が、どんなにか……」
フィレリアは嗚咽をこらえるように口に手を当てた。
「違うのよ、そうではないの。ハルディールとあなたが互いに想い合い、きちんと時間をかけて反論をなくしてゆくのなら、私は応援するわ。でもハルディールはあんな、一足飛びに発言をするような子ではなくて」
「陛下は……お急ぎだったのです」
フィレリアはうつむいた。
「どうしてそんなに急ぐ必要が?」
そのような必要はないはずだ、とエルレールは首を振った。
「殿下……お姉さま」
少女はうつむいたまま、そっと続けた。
「実は、私」
声は消え入りそうになり、エルレールは耳を澄ました。
「ハルディール様の子を……宿しましたの」