09 頼むから
ユーソア・ジュゼはきょろきょろと辺りを見回した。
「おかしいな。この辺で待機しているはずなんだが」
木々の影で彼はクインダン・ヘズオートを探したが、明るい茶の髪を持った青年騎士の姿はどこにも見当たらなかった。
「あいつの性格からすれば、ひとりで殴り込みをかけるようなこともないだろう」
タイオスも辺りを見回しながら言った。
ユーソアの案内に従って灰色ローブの拠点近くの様子を見にやってきたはいいが、いるはずの場所にクインダンがいない。
「ちょっとその辺を見回ってるだけじゃないのか」
適当なことを言って付近をうろついたタイオスは、ふと目についたものにぎくりとした。
「おい」
彼はユーソアを呼んだ。
「これを見ろ」
濡れて黒くなっている箇所がある。大地に飲み込まれた部分の色は判りづらいが、周辺の草花に付着している、赤黒いそれは血と見えた。
「こんだけ出血してりゃ……死ぬぞ」
まさか、と思いながら戦士は呟いた。
「ああ、それは」
ユーソアはあっけらかんとした声を出した。
「クインダンじゃない。灰色ローブのひとり……だか一匹だかに見つかったんで返り討ちにした」
その血だ、とユーソアは肩をすくめた。
「何だ、そうか」
タイオスはほっとした。
「驚かすな」
「あんたが勝手に驚いたんじゃないか」
少し同行して話をする内に、ユーソアからは丁重な態度が抜けていた。〈白鷲〉に緊張することをやめ、熟練の先輩戦士、くらいに考えることにしたらしい。タイオスとしてもその方が有り難かった。
「遺体はどうした?」
「何だって?」
「魔物の遺体だよ」
「消えた」
と、ユーソアは答えた。
「消えたあ?」
「そう。まるで日に当たると灰になっちまうって吸血鬼の伝説みたいに、崩れるようにして」
消えた、とユーソアは繰り返した。
「ううむ」
タイオスはうなった。彼がこれまで退治したことのある、獣とあまり変わらないような魔物には、そうしたことは起きなかった。街道から離れたところに捨ててくるなり、数が多ければ焼いてしまうなり、そうした作業をしたものだ。
「血を流して消える、ねえ……ともあれ、これがクインダンのもんじゃないなら何よりだが」
それなら、と彼は周囲を見やる。
「奴さんはどこに行っちまったのかね」
「行き違いにでもなったのかもしれない」
騎士は考えるようにあごに手を当てた。
「何か、アンエスカの指示を仰がないとならないようなことに遭遇して、見張りを続けることと天秤に掛けて、この場を離れる方を採ったとか」
「何に遭遇したってんだ」
「それは、知らないさ」
ユーソアはもっともなことを言った。
「まあ、最も平穏な案はそんなとこだろうなあ」
殺された、または囚われた、そうしたことも視野に入れなくてはならないが、思い込みで突撃もできない。
「仕方ない。ユーソア、また一往復してこい。クインダンの足取りが掴めたら、連れてくるなり残らせるなりお前の判断でいいが、居場所ははっきりさせておけ」
「了解」
「ルー=フィンと行き合ったら魔除けを受け取っとくようにな。それから」
こほん、と彼は咳払いをした。此度の出来事のなかで、何度これを言えばいいのか。
「喧嘩はするなよ」
その言葉にユーソアは苦笑いを浮かべ、自分から喧嘩を売ることはしないと約束した。本当にそうしてくれれば、ルー=フィンが売るはずもないから、とりあえずは平和なはずだ。
(ニーヴィスの件は、完全には消えない傷だな)
青年騎士を見送ってタイオスは思った。
(あれは戦だったんだと割り切るには、ニーヴィスは騎士どもに近すぎた)
(俺みたいな職業戦士が「一緒に戦った仲間」と思う以上の……)
(そうだな。アースダルやラカドニー師匠に感じるくらいの親しみなのかもしれん)
師匠ラカドニーと兄弟子アースダル。もうずっと会っておらず、消息どころか生死も不明だが、何かにつけてふっと思い出すことがあった。
(彼らが戦士を続けてりゃ、死んでるという可能性は十二分にある)
(俺に全く関係のないところで、全く知らない奴の刃に倒れていたとしたら、それはそれで運命ってやつだ。相手を恨むの憎むのってなことは、ない)
(だが……もし)
(もしも、たとえ話として、師匠やアースダルが)
(たとえば――エククシアにでも殺られてたとしたら)
あくまでも想像として、タイオスは考えた。
(はらわたが煮えくりかえるような気分になるだろうなあ)
知った顔だからこそ、却って憎しみも湧く。その気持ちは判るような気がした。
(ましてやユーソアは、例の事件の間、シリンドルにいなかった)
(負い目みたいなものも覚えてるんだろう。自分がいればニーヴィスを死なせずに済んだかもしれんと)
(起きなかったことを悔やんだって何の益にもならんが、後悔ってのは益になるからやるもんでもないしな)
仕方ない、と戦士は肩をすくめた。
(ユーソアの反応は、これまでのルー=フィンの態度にも起因してるんだろう)
(あいつが元に戻ったからには……)
(……いい方に、変わるかねえ?)
期待しようと思ったものの疑問視しかできなかったタイオスは、なるようになる、と結論づけてそれ以上騎士たちの友好関係について考えることをやめた。
(しかし、これでよかったのかね)
と改めて彼が自問するのは、ユーソアを送り出してしまったことについてだ。
その場その場で誰かに何らかの役割を振り当てていった結果、騎士たちも自分も、それぞれひとりになってしまったことが気にかかったのである。
(クインダンのことは、急がんでもよかったかな)
(館に戻ったのであればあとで判るし、万一のことがあれば……もう遅い訳だし)
ユーソアを行かせる必要はなかっただろうかとも思ったが、行かせてしまったものは仕方ない。タイオスはひとり、教わった「幽霊屋敷」が眺め渡せる物陰――などはなかったので、木影に陣取った。
(……うん?)
(どうやらクインダンも、ここにいたな)
彼は足跡の追跡などには長けていないものの、二、三十ファインほどの丈の草々が明らかに折れたばかりと見える場所があれば、それくらいの推測はつく。
(見張っていて……何かを見つけた)
(そして、どこかへ行った)
(まずいな)
戦士は舌打ちした。
(たとえば、通りかかった誰かだの、もしかしたら肝試しにきた子供だのが灰色ローブに見つかりそうになったとかいう状況にでもなったら、あいつのことだ)
(それを逃がすための盾になるくらい、躊躇わんだろう)
不吉な想像が頭をもたげた。
だがそうであれば、町の方で「騎士様が危ない」なんて騒ぎになっていてもおかしくない。タイオスたちがたまたまその騒ぎに遭遇しなかったとも考えられるが、そうであればこの場所が静かなままである確率は低いように思えた。何しろ傭兵たちに石を投げて戦おうとした町びとたちだ。
(となると、助けるために飛び出した、みたいな話じゃなさそうか)
彼は考え直した。
(ともあれ、結局、様子を見るしかないな)
タイオスは息を吐いた。
囚われたなら囚われた、殺されたなら殺されたで――対処していくしかない。いま現在囚われていて、いま現在ならば無事だが時間が経てば遅い、という可能性もあったが、それには目をつぶるしかなかった。彼ひとりが殴り込んだところで、氷像が増えるだけだからだ。
(おい、ガキ)
彼は黒髪の子供を思った。
(顔出してきたからには、ずっと「見守ってるだけ」じゃないつもりなんだろ)
(お前んとこの忠実な騎士もちゃんと守れよ)
(――頼むから)
護符のなれの果ては、目立つ破片だけ拾い、ほかの小袋に無理矢理入れてきた。もはやその霊験はどれくらいあるものか判らない。タイオスを守り、ルー=フィンを救ったことでそろそろ打ち止めではないかとも思う。
だが彼は、どうかと、神にもすがるような――いや、まさしく神にすがって、青年騎士の無事を祈った。