02 ご立派な響きの
目的を終えて歩き出した男は、柵のところに誰かが立っているのを見た。
それが誰であるのかは遠目にも判った。
彼はその人物のことをほとんど知らなかったから、人影だけで誰であるか判ったと言うのではない。
ただ、その人物は明らかに彼を待っており、いま彼を待つことのある黒ローブ姿となれば、ひとりしかいなかったのだ。
「お待たせしたか、イズラン術師」
モウルは片手を上げてイズランに話しかけた。
「いえいえ。いまきたところです」
イズランは肩をすくめた。
「どうやらイリエードは上手にやったようですよ。ティージから連絡がありました」
「ティージってのは、あの帽子の男だな」
モウルは両腕を組んだ。
「あんた、最初から知ってて、あいつを俺の店に送り込んだのか?」
「まさか。偶然ですよ」
魔術師はひらひらと手を振った。
「確かにイリエード氏のことは知っていました。私ではなく、ティージがね、タイオス殿といるところを見ているんですよ。ですが彼があなたの店の護衛だったことは偶然だ」
「〈シリンディンの白鷲〉だったか」
ふん、とモウルは鼻を鳴らした。
「ずいぶんご立派な響きの、称号だな」
「当人も鼻にかけてはいませんから、あまり苛めないであげてくださいね」
少し笑ってイズランは言った。
「さて、モウル殿」
魔術師は笑顔を消した。
「先ほどざっとお話ししたように、ヴォース・タイオスという戦士がシリンドルという小国を守るべく、大役を果たそうとしています」
「はあ」
「あまり興味をお持ちでないですか」
「そうでもない。ただ、それは〈白鷲〉殿の問題であって俺のじゃない」
「ごもっとも」
イズランは肩をすくめた。
「しかし、手は貸していただけると見ましたが」
「〈白鷲〉だなんてご立派な奴のことは知らん。だがあんたの話が本当ならば」
「誓って」
魔術師の誓いの仕草をかつての戦士は少し胡乱そうに見たが、信用ならないの何のとは言わなかった。
「それで、その〈青竜の騎士〉ってのは腕が立つのか」
「剣技のことは正直、よく判らないのですが」
立つんじゃないですか、とイズランは気がないようにも聞こえる返答をした。
「普通にやったら、タイオス殿は敵わないでしょうな」
イズランがさらりと言えば、モウルは顔をしかめた。
「何だって。情けない奴だな。それでも人間代表なのか」
「当人にはあまり、その自覚はないかと思いますよ」
「自覚があろうとなかろうと、そういうことなんだろう」
「非常に近いところではありますね」
もっとも、とイズランはあごを撫でた。
「もうちょっと頑張れば、互角に近いところまで行くかもしれませんが」
「結局『敵わない』と言ってるじゃないか」
モウルは指摘した。
「だが、手を貸すと言ったところで、俺は戦士としては大して役に立たんぞ。かつてならともかく、いまじゃ〈白鷲〉殿以下だろう」
老人は肩をすくめた。
「戦い手が必要なら、俺よりイリエードの方が」
「ただ単純に戦い手が必要なら、いくらでも雇えます」
イズランはモウルの言葉を遮った。
「へえ」
モウルは片眉を上げた。
「それじゃ魔術師殿は、俺に何を期待しているんだ?」
「時がくれば判りましょう」
魔術師は魔術師らしいことを言った。モウルは首をかしげたが、それ以上は追及しなかった。
「そっちの思惑がどうあれ、これだけは言っておく。俺としては〈青竜の騎士〉に挨拶くらいはするつもりだ」
「それには」
イズランは簡単な印を切った。モウルは一瞬、警戒するように身を引いたが、必要なかったことはすぐに判った。
「――やはり、これがご入り用では?」
手品のように魔術師の手に現れたのは、ひと振りの長剣だった。
「は」
モウルは笑った。
「長いこと、まともに振っちゃいないんだがなあ」
「感覚を取り戻すために、うちの兵士と手合わせでもなさいますか」
「それで大怪我でもしたら馬鹿らしいだろう」
「それで大怪我をするくらいでしたら、半魔相手には死にますので、おとなしく負傷した方がましかと思いますが」
「ほう?」
モウルは剣に手を伸ばさず、じろじろとイズランを見る。
「さっきの発言と言い、いまのと言い、俺を戦力として当てにはしてないってことは判ったが、それならどうして剣なんか寄越す?」
「お持ちになりたいかと思っただけですよ」
気軽にイズランは言った。
「ご不要と仰るのであれば、無理にお渡しする気は毛頭ございません」
「そりゃ無理に渡したって役に立たんだろう」
苦笑してモウルは言った。
「あんたが何を考えているのかは知らん。これの」
とモウルは後ろを振り返り、訪れてきた場所を指してからまたイズランを向く。
「件もあったんだろうが、善意や親切心からわざわざ教えてくれたとは思わんね」
「やれやれ。タイオス殿と話しているみたいだ」
イズランは笑った。
「彼も私をなかなか信頼してくれないんですよ」
「俺よりあんたを知っている奴がそう判断するなら、俺の勘もあながち鈍っちゃいないな」
かつての戦士はにやりとした。イズランは嘆息して、〈蜂の巣の下で踊る〉ようなものでしたねと呟いた。