10 押しが弱すぎるんじゃ
「では早速ですが、陛下」
「何だい」
「僧兵を動かす許可を」
「何ごとが?」
「昨日の夕方、数十名から成る、灰色のローブを身につけた集団が国境を越えてきたという報告があります」
簡潔に彼は説明した。
「アンエスカはその居場所を探っておけと。俺とクインダンはそれを見つけたんです」
「それで」
「見張りらしきひとりが襲ってきたんで返り討ちにしましたが、気づかれれば面倒なことになる」
彼は、慌ててここへやってくることになった事情をそう説明した。
「あんなのが、数十という頭数で、入り込んできてる」
ハルディールにざっと話をすると、ユーソアは首を振った。
「俺とクインダンだけでは無理です。クインダンには何もするな、ただ見張れと言って置いてきましたが、早く戻らないと何があるか」
「灰色の……」
ハルディールは考えるように両腕を組んだ。アンエスカもタイオスもそんな言葉を口にしていたが、具体的なことは聞けていない。
「不気味な感じが、する」
少年は呟いた。
「その連中がエククシアたちと絡んでいることは間違いないんだな?」
「証拠はと言われれば、具体的なものはないのですが……」
ユーソアはレヴシーがいなくなったと思われる時間帯と、ローブたちが目撃された時間帯が被っていることを説明した。ハルディールは気がかりな表情を浮かべ、うなずいた。
「レヴシー……無事でいてくれ」
彼は神に祈った。
「タイオスも無事でいてくれたんだ、きっと、彼も」
「〈白鷲〉? 戻ったんですか?」
「ああ。粉々になった護符がヴィロン神官によってもたらされたときは、血の気が引く思いだったが」
「護符が」
ユーソアは驚いた顔をした。
「だがタイオスは、戻ってきた。いまは隣室で、ヴィロン神官と相談をしている」
「護符のことは、気にかかります」
彼はあごを撫でた。
「でも陛下は、護符がなかろうと、タイオス殿を〈白鷲〉と信じておいでのようですね」
「もちろんだ」
ハルディールは即答した。
「お前は、疑うのか」
「いいえ」
ユーソアは首を振った。
「俺は彼と少し言葉を交わしただけですが、陛下やクインダン、それにアンエスカだって、あれでも彼を信頼していることは判りますし、向こうさんが軒並み敵視しているということは、こっちにとって頼れる人物だということでもあります」
冷静に騎士は言った。
「エククシアがどこかに消えたとしても、シリンドルにはまだ仮面もいれば灰色ローブもいる。可能ならばタイオス殿の手を借り、まとめてふんじばっておきたいところです、陛下」
「灰色ローブには、手を出すな」
戸を叩きもせずに入ってきた人物が言った。ユーソアはとっさに剣に手をかけたが、ハルディールがそれをとめた。
「こちらがクライス・ヴィロン殿だ。コズディムの神官で、僕が戻るのを助けてくれた」
「……ふん、そうですか」
ユーソアは剣から手を離した。
「そりゃお手柄と言ってもいいですが、どっから嗅ぎつけてきたんです? この前のフィディアル神官とつるんで、やっぱりシリンドルに神界冥界信仰を持ち込もうって腹なんじゃないですか」
「ユーソア、よせ」
ハルディールは制止した。
「彼はタイオスとやってきたんだ」
「〈白鷲〉と?」
ユーソアは目をしばたたき、ハルディールは簡潔に説明した。
「大事な客人だ。判るな」
「客人ですか」
ユーソアの内に「陛下はフェルナーやエククシアにもそう仰いましたが」というような思いが浮かんだとしても、彼はそれを口にしなかった。タイオスがくる前、何も判らなかった間は、ハルディールがオーディス兄妹もエククシアも公正に取り扱おうとして当然なのだ。
もう少し独断的でもいい、と青年騎士は思うこともあり、こっそり口にすることもあったが、それはハルディールが他者の意見を取り入れて〈均衡の天秤〉を大事にするからこそ湧いてくる逆説的な感想と言えた。本当に独断的な国王であれば、忠誠を誓った騎士とてついていけないこともあるだろう。
「灰色ローブの連中は危険だ」
ヴィロンは、ユーソアの台詞を気に留めることなく、自分の言いたいことを言った。
「連中は指を差しただけで人間を殺せる」
「んな……阿呆な」
思わずユーソアは言った。
「お前は、クインダンと灰色ローブを返り討ちにしたと言ったな? 何かそうした、奇妙な術のことは気づかなかったのか」
ハルディールは問い、ユーソアは目を泳がせた。
「そう、そうですね、そう言えば……何か術を使おうとしていた感じも」
もごもごと彼は言ってから、ごまかすかのように神官を見た。
「奴らの術を食らえば、死ぬのか?」
「タイオスの話によれば、数名の力を合わせて初めて人間を殺せる程度のものらしい。そこにどの程度の危険性を感じるかは戦い手の実力次第だが」
「実力はそれなりだが、図に乗って死ぬのはご免だね」
ユーソアは肩をすくめた。
「だが、クインダンが奴らを見張ってる。何かあればあいつは引かないだろう。陛下、どうか……」
「行けとも引けとも、言いづらいな」
ハルディールは顔をしかめた。
「務めとは言え、クインダンのことは心配だ。一人にはせず、僧兵と組んで見張りをしてくれ。不穏な動きがあれば必ず僕かアンエスカ、或いはタイオスに知らせること」
「では」
「悔しいが、ヴィロン神官の仰る通りであれば、手出しは難しい」
「ですが、ただ見ていたって何になりますか」
「ずっと見ているとは言っていない。対策が見つかるまでだ」
「それまでに、何かあれば?」
騎士は食い下がった。
「アンエスカに聞かれたら殴られるか、謹慎以上の処罰を食らう覚悟で言いますがね、陛下」
ユーソアは咳払いをした。
「さっきから押しが弱すぎるんじゃないですか。俺たちは陛下が一言『やれ』と言ってくださったら、奴らの殲滅方法を考えますよ」
「出て行けと言って通じるものかは判らないが、言っても出て行かないのであれば、それもやむを得ない」
「通じるもんですか。いや、言葉が通じるかどうかじゃありませんよ。何をしにであれ、わざわざやってきた奴らが、帰れと言って素直に帰るはずがありますか?」
「何をしに」
そこだ、とハルディールは言った。
「ヴィロン神官、あなたはいろいろとお詳しいようだ。彼らがどうしてシリンドルへやってきたのか、心当たることはないだろうか」
「その辺りの考察は、ラシャが進めているかもしれない」
ヴィロンはまずそう答えた。
「だがいま、少なくともカル・ディアルとアル・フェイルのあちらこちらで同じ連中が見られている」
「何だって」
「神殿はそれを掴んでいたが、どういう存在なのか判らず、対応に迷っていた。人間に害を為す危険な魔物であることが確定した現状、何らかの措置は執るはずだ」
「何らかの措置、とは」
「そこの騎士が言ったように、殲滅」
淡々とヴィロンは言った。
「ハルディール王陛下、これは侵略戦争であることに気づかれよ。処置を誤れば、陛下のシリンドルだけではない、二大国、やがてはマールギアヌ地方、ラスカルト地方、そして大陸全体が魔物に汚染されていくであろう」
それはサングの推測、イズランの結論と同じであった。ハルディールとユーソアは背筋の寒くなる思いで、神官の「予言」を聞いた。
「だが、一体二体ならばともかく、数十体となれば数名の剣で片をつけるのは難しかろう。神術には、生憎と攻撃的なものは少ない」
魔術とは違う、と神官は言った。
「陛下が対応を慎重にお考えなのは誤りではない。こちらから刺激をして騎士や兵の命が失われれば、それは戦力の減少だけにとどまらない、民たちの間に恐怖と混乱を引き起こそう」
「こっちから仕掛けないにしても、向こうが何かしでかしてきたら応戦は必須だろう」
騎士は両腕を組んだ。
「神官殿、あんたはどうしろと言うんだ」
「待つがいい」
ヴィロンは答えた。
「『追い払う』方法は、いま八大神殿が考えている。魔術師協会もだ。何ができるものかは判らないが」
とヴィロンが不信を示したのは後者の方に限ってのことかもしれなかった。
「それは……俺がどうこう言うことじゃないが」
騎士はちらりと王を見た。
「先のことじゃない、いまのことを言ってるんだ。奴らが何かやらかしても、ほけっと見てろって言うのか?」
「――タイオスは?」
ふとハルディールはヴィロンに尋ねた。
「僕は、彼の意見を聞きたい」
絶大な信頼を寄せる〈白鷲〉の言葉を欲した少年だったが、神官は首を振った。
「彼は館を出た」
「どこに?」
当然の疑問を口にしたが、ヴィロンは知らないと答えた。
「ただ、こう言っていた」
神官は告げた。
「『殴ってきたい奴がいるから殴ってくる』と」