08 言いたかないが
「てめえ、エククシア、この野郎。ハルを使っての好き放題、もうこれ以上はさせねえぞ。灰色連中引きつれてとっととカヌハに帰れ。シリンドルだけじゃなく、あちこちに散らばってるらしい奴らも含めてな」
言って戦士は剣を抜いた。対するように、エククシアは剣を納めた。
「……おい」
「二対一では、不利なようだからな」
皮肉か、それとも少しは本当にそう思うのか、〈青竜の騎士〉は肩をすくめた。
「もう一度、狭間の世界に連れてやってもよいが」
エククシアの言葉はタイオスに向けられたものだったが、ハルディールがぴくりとした。
「この国で好きに振る舞わせていた方が面白いものが見られそうだ」
「俺にはお前を面白がらせてやる義理なんかないね」
タイオスは剣をかまえた。
「アンエスカ、奴の退路を断て」
「断る」
「何ぃ?」
「私は陛下をお守りするためにここにいる」
「は」
ハルディールとエククシアの間からはどかないという訳だ。理解したタイオスは口の端を上げた。
だがこれは何も、騎士団長のわがままではない。実際、タイオスは「誰かを守りながら戦う」ことは得意ではない。護衛戦士が守るのはたいてい、雇い主の乗った馬車やら雇い主のいる部屋の扉などであって、人物そのものを守ることは皆無ではないものの少ない。仮に多かったところで戦士が一緒に歩いていればまず襲われないから、警護の経験があることは人物を守る熟練であることを意味しないのだ。
一方でアンエスカは、そうした訓練も含めて積んでいる。その判断は正しい。そう感じるとタイオスはうなずいた。
「まあ、だいたい、逃げ道をふさいでも意味がないんだったなあ」
彼は以前にも言ったことを呟いた。
「そっちにやる気がなくても、こっちはハイそうですかと引きやしないが、どうするね、青竜の」
タイオスは一歩二歩とエククシアに近づいた。
「散々、俺に突っかかってくれたじゃないか。あんときは訳が判らなかった。いや、いまでも判ったとは言えんがな。どうであろうとシリンドルとハルに手出し、こいつぁ見過ごせねえな」
「〈シリンディンの白鷲〉」
エククシアは囁くように言った。
「神の国、シリンドル。幻夜も近い」
「あぁ? またそれか」
「楽しみだ。とても」
「意味の通じない独り言で悦に入ってんじゃねえぞ」
苛々とタイオスは言った。
「やるのか、やらんのか。いや、やらんのでもこっちは」
タイオスは剣を振り上げた。エククシアは大きく退き、思わぬ行動に出た。
戸口で震えていた娘の手を引くと、タイオスの方に投げ出したのだ。
「ああっ」
「フィレリア殿!」
ハルディールが駆け寄ろうとしたのをアンエスカがとめた。
「――ア、アンエスカ」
ハルディールははっとした。
「お前……」
「今日は退こう。代わりに、それをやる」
「はぁ!? てめえ、何を」
「代わりにその娘をやると言っている」
〈青竜の騎士〉はフィレリアを指した。
「大事にしておけば、よいことがあるやもしれぬぞ」
「待ちやが」
れ、とタイオスが言い終えない内に、エククシアの姿は消えた。
「クソ、もう隠す必要もないってか」
三日前までは「タイオスが嘘をついている」という形を取ろうとしていたと見えるエククシアだったが、もう取り繕う必要もないというのだろう。
「おい、どうす……」
「タイオス、医師を!」
すぐさまハルディールが叫んだ。
「アンエスカが」
「少しばかり、切れただけです。止血すれば済むだけの」
「何だ。けっこう深く、やられたんだな」
戦士は冷静に指摘してアンエスカの強がりを無駄にした。
ハルディールが大げさなのではなかった。騎士団長の制服は、斬られた左二の腕から、完全に赤黒く染まっていたからだ。
「ちょっと見せろ。嫌そうな顔すんな。俺ぁ、慣れてんだから」
タイオスはアンエスカに近寄ると、乱暴に――いささか意地の悪い気持ちを持って――その左手を取った。アンエスカはうめき声を洩らすまいと歯を食いしばり、戦士が彼の制服を裂いて臨時の包帯にするのを見守った。
「仮処置だ。歩けるならすぐに診療所に行ってこい。化膿して熱でも出されりゃ迷惑だ」
「あとだ」
「馬鹿言うな。こういうのは早い方がいいんだ」
タイオスは当然のことを言った。
「てめえ、さては、昔の傷ってのもそうやって意地を張って悪化させたんじゃねえのか?」
「うるさい」
「ははん、図星か」
「そんなことより重要なことがある」
「阿呆。言いたかないが、騎士団長が剣を持てない事態は、王陛下不在に匹敵するわ。お前がそんなんだから、クインダンも怪我したときにおとなしくしてられなかったんだろう。我慢すりゃ偉いってもんじゃないぞ」
「馬鹿者。耐える自分を褒め称える趣味などない。それより対処すべきことがあると言っているだけだ」
「何刻もかかる訳じゃない。いいからさっさと」
「騎士団長、客間で休むことを命じる」
王がきっぱりと言った。
「話は、そこで。医師を呼ぶから、やってきたら治療を優先すること。これでいいな」
「――は、陛下」
「少しばかり、お助けしよう」
そう言ったのは、ひたすらじっと黙っていたヴィロンであった。神官は投げ出された少女に手を貸して立ち上がらせながら、アンエスカを見た。少女はハルディールを見ていた。少年王はその視線を受け止めきれずに、目を逸らした。
「癒しを促進する術がある」
「ラシャが俺にかけたやつか」
タイオスは少年少女の様子に気付いていたが、見なかったふりをした。彼は三日間の状況を知らないし、彼が何か言えることでもなさそうだったからだ。
「そうだ」
こくりとヴィロンはうなずいた。
「じゃ、頼むわ。おとなしくしろよ」
彼はヴィロンに言ったあと、アンエスカに向かって続けた。
「〈峠〉の神以外の神様の手は借りん、とか言うなよ」
「そうは言わん」
騎士団長は顔をしかめた。
「だがタイオス。お前もおとなしくしていろ」
「あぁ?」
「護符について、重大な、話が、あるからな」
一言一言区切ってアンエスカは言い、タイオスは天を仰いだ。