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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第3話 幻夜の影 第2章

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06 間もなくやってくる

 物事は滅多に、自分の思うようには進まない。

 タイオスはそんなふうに思っていた。

 魔術師の手を借りるくらいなら神官の方がましだとも思うし、感情を排して考えてみても、前のときに魔術師は役に立たなかったのだから今度は神官を頼ってみるかというような気持ちが浮かぶ。

 よって、イズランとサングを頼るよりはラシャとヴィロンの方がいいと彼のなかでは答えが出ているのだが、それでも結局、向こうの思う通りになっているという感じが引っかかった。

(別に「抵抗がある」ってほどじゃないんだが)

(俺がこいつを連れるんじゃなくて、連れていかれてるみたいな気持ちになるのは何でだろうかと)

 そんなことを思いながらヴォース・タイオスがコズディム神官と一緒にシリンドルにたどり着いたのは、逃げる形でそこを出てから三日後のことだった。

 あの翌朝、早くから刀剣屋を叩き起こして適当な剣を購入し、ヴィロンと合流した。

 サングが教えた「神殿同士の移動」は確かに可能だったのだが、もちろんと言おうか〈峠〉の神の神殿にまでは送ってくれない。カル・ディアル最南のフィディアル神殿はシリンドルから約二日の距離にあったという訳だ。

 タイオスひとりならばもっと早く戻ることができただろう。だが神官が道連れとなれば思うようにはいかなかった。ヴィロンは決してやわ(・・)ではなかったが、さすがにタイオスには及ばない。戦士としてはいくらか気が急いたものの、当初の予定に比べれば信じられないほどの短期間往復だ。文句は言わず、ヴィロンに合わせることにした。

 この二日間でタイオスは、ヴィロンの考えを大まかに聞いた。

 それは、〈白鷲〉の護符を媒介だかにするとか言う、戦士には判りづらい話だった。

「フェルナーとやらに、護符を手にさせる」

 ヴィロンは説明した。

「破片を持って訪れれば、彼は受け取るか」

「たぶんな」

 タイオスは答えた。

「神官とは会いたがらないかもしれんが、思わせぶりに差し出されれば何だろうと思うだろう。完全に無視できりゃ大したもんだが、ありゃガキだからな」

 だが、と戦士は続けた。

「護符の、それも破片に触っただけでもとに戻るなんてのは簡単すぎないか」

 タイオスは半信半疑だった。

「お前と、そしてラシャの話によれば、〈白鷲〉の護符というものは王家と神の繋がりだ」

「王家の?」

 〈白鷲〉はぴんとこなかった。

しるし(・・・)がそれだけ力を持つというのは原始的でもあるが、どうやら〈峠〉の神は原始的だからな」

「おいおい」

 タイオスは片眉を上げた。

「シリンドル人の前で言うなよ。はっ倒されるぞ」

「では神話時代の力を保持している、とでも言い換えよう」

 コズディム神官は肩をすくめた。

「しるしというものはお前が思うより重要なのだ、戦士。我らが持つ聖印はいまやただの目印、飾りと成り果てているが、本来は信仰を抱く心とともに神力の源となり得るもの」

「だがシリンドル王家の人間には、魔力だの神力だのはないぞ」

 〈白鷲〉にも、と〈白鷲〉はつけ加えた。

「それは」

 神官は肩をすくめた。

「どうかな」

「何だって?」

「『無い』と言い切れるものかは判らない、と言ったのだ」

「……少なくとも俺には、ないぞ」

 タイオスとしてはそう言うしかなかった。

 ハルディールやエルレール、ルー=フィンに「不思議な力」があると感じたことはない。彼らに変わったところがあるとすればそれは純粋な信仰心という辺りだろうな、などとごく普通の――つもりの――戦士は考えた。これまた自分にはないものだ。

「もっとも、お前の言う通り」

「何?」

破片(・・)だ。生来の力を持つとも限らない。フェルナーが頭痛を覚える程度で終わる可能性もある」

「おいおい」

 タイオスは顔をしかめた。そんなことでは意味がない。

「それ故、この私が護符を持ち、力を与えている。除霊術の応用で、その身体にいるべきではない魂を弾き飛ばすくらいのことはできるようになっているはずだ」

「『はず』ね」

「〈峠〉の神がそれを拒否しなければ、そしてハルディール王が時機を逸しなければ、彼は戻るだろう」

「だといいがねえ」

「ただし」

「……何?」

 不穏なものを覚えて、タイオスは警戒した。

「『ただし』?」

「除霊というのは一時的なものだ。要素が揃えば、フェルナーはまた戻ろう」

「……おいおい」

「私は何も、恒久的な対策が見つかったとは言っていないはずだ」

「確かに、聞いてないがね」

 タイオスはうなった。

 本当に効果があるものかどうか、このときの彼には見当がつかなかったが、やってみるしかなかった。

「ひとつ言っておこう、戦士」

 それから神官は、こんな話もした。

「お前の知りたがる、幻夜のことだ」

「何か判ったのか」

 タイオスは勢い込んだ。

「星辰の動きからすると、数期ぶりの幻夜が、間もなくやってくると言われている」

「何だと。いつだ」

「間もなくだ」

「……数期ぶりじゃ、一年後でも『間もなく』になりそうじゃないか」

 ぼそりとタイオスは指摘した。神官は首を振った。

「では具体的に言おう。数日中だ」

 あっさりと返ってきた答えに、タイオスは吹き出した。

「そりゃまたずいぶん、近くなったもんだ」

「しかし、重要なのは時刻のみにあらず。場だ」

「何だそれは」

 タイオスは顔をしかめた。

「幻夜が訪れるのは、ごく限られた範囲なのだ。そうなれば、体験する者も限られる。記録は少なく、明確なことは判らないまま」

「だが数日中ってのは、けっこう明確だぞ」

 タイオスは腕を組んだ。

「奴らはいつ、どこに幻夜がやってくるか判ってるってことだな。となると……」

「シリンドル」

 ヴィロンが先取った。

「幻夜はシリンドルに訪れる。そう考えてよいだろう」

 神官の言葉にタイオスも小さくうなずいた。だからこそ連中、殊、エククシアがシリンドルに姿を見せている。

「それで、奴らは幻夜に何をしようってんだ?」

「そこまでは判らない」

 神官は肩をすくめた。

「ただ、これだけは言える。魔物は闇の眷属だ」

「はあ?」

「〈魔物の誠実〉という逆説的な言葉が示すように、虚構の塊でもある。そして異界は、裏の世界とも言う」

「何を言ってるのか判らんが」

 戦士がうなれば、神官は両手を拡げた。

「『異界』とは魔術師たちの使う言葉で、我らは好まない。魔物たちの棲む世界だなどという説明も空想的で突拍子がない」

 だが、とヴィロンは続けた。

「魔物は存在する。これは確かだ。人間の持つ理では計ることのできない生き物」

「はあ」

 何を大げさな、とタイオスは感じた。

 彼にしてみれば「魔物」は確かにほかの――通常の――生き物と違うところがあるが、街の外にいる類であれば「ちょっと賢い」「計算高い」という程度であり、ライサイなどは「魔術師みたいな術を使う奴」というくらいの認識だ。魔術師や神官はその術が未知だと言うが、戦士にとっては魔術も神術も未知である。

「異界。魔術師はそれをこの世と同じ物質の世界であるかのように言う。われわれの解釈は違う。物質よりも、目に映りにくいもの――魂の気や魔力、神力に近い力が幅を利かせるところだ。我らはそれに具体的な名称をつけず、影の世界や裏の世界という言い方をする」

「裏だか何だか知らんが」

 戦士は鼻を鳴らした。

「同じ名称を使いたくないってだけで、同じことを言ってんだろ?」

違う(デレス)

 ヴィロンは首を振り、できの悪い教え子を見る師の目で見た。

「全く違うことだ」

「……ま、似て非なる、って言い方もあるしな」

 タイオスは譲歩した。

「魔物たちがどこからやってくるか。それは判っていない。獄界という説も有力だ。異界というのは魔術師が説明を付けるために無理矢理作り出した架空の世界だが、狭間の世界が冥界、及び獄界に繋がるという我らの間の通説を流用したものと思われる」

「はあ」

 タイオスはまたしても適当に相槌を打った。正直、ぴんとこない。

「この世が表であるなら、死後の世界は裏であるとも言う。そうしたことだ」

「はあ」

 三度(みたび)タイオスは言った。

「表が裏に、真が嘘に、光が闇に。これは幻夜を象徴する文言だ。魔物の『時節』がくるとも解釈できる」

「奴らの……侵略が本格的におっぱじまると?」

「可能性はある」

「魔術師みたいなこと言いやがって」

 タイオスは顔をしかめてから、待てよと思った。

「お前、黙ってたな」

「何?」

「いまの話はキルヴンにいたときにもできたろう。何でいまごろになって、そんな話をする」

 じろりと彼はヴィロンを睨んだが、神官は涼しい顔をしていた。

「魔術師に教授してやる気はなかったのでな」

「そういう、役に立たない張り合いは脇に除けとけよ」

 戦士は嘆息した。

「何がきっかけで、サングが何かしら掴んでくるとも限らんのに」

 彼は呟いたが、それこそが神官の望まないことなのだろうと考えれば、指摘しても無駄だと思った。

(ま、サングは導師、こいつは神官長、組織の看板を背負ってるってなところはあるんだろうが)

 彼は前にも思ったことをまた思った。

(ほどほどにしてもらいたいもんだ)

 サングがヴィロンに気をつけろなどと言ったのは、こうして情報を隠すことを意味していたのだろうか。タイオスは魔術師の台詞を思い出して、ふと思った。

(仲良くなれとは言わんが)

(せめて、仲が悪くないふりくらいできんもんかね)

 いい大人が、と自分の言動については忘れることにして、彼は思った。


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