04 俺も行こう
「だが、どうしてここが?」
タイオスはリダールの質問をわずかに変えて問うた。
「ヴィロンやほかから俺の名を聞いたとしても、この店のことまでは判らんだろう」
不思議に思ってタイオスが問えば、神官は何でもないことだと笑みを浮かべた。
「リダール様は、私の祈りを込めました守り石をお持ちですから」
「これですか」
少年は驚いた顔で、胸に吊るした碧玉に触れた。
「これで、僕の居場所が?」
「手に取るように……とは参りませんが」
ラシャは瞳を閉じた。
「祈りの力で、守り符と持ち主の気配を感じ取ることは可能です」
「へええ」
感心したようにリダールは目をぱちぱちとさせた。
「タイオス殿がリダール様の客人である旨はうかがっていましたが、長く滞在なさるとも限らない。少し神殿を留守にしていたために〈白鷲〉殿との素晴らしい出会いを逸してしまったかと、私は気が気ではなかったんですよ」
まるで「英雄に憧れる子供」よろしく、ラシャは熱っぽく言った。
「ああ、神の導きに感謝を」
聞くまでもなくこの神は、ラシャの信じるフィディアルであろう。おそらく神官は、タイオスと巡り合わせてくれたことを感謝しているのだろうが、タイオスの方では不審に思っていた。
これはフィディアルの力を疑うのではない。シリンディンの関与を疑ったのだ。
(だってそうだろう。シリンドルを訪れた神官がキルヴンの神官だったってなことは、まあ偶然でいいとしても)
(俺がリダールの持つ情報を求めてここを訪れ、ラシャと会うなんざ)
驚くべき偶然ですね、で済ませていいものかどうか。〈白鷲〉はこっそりと疑った。
(もっとも、神官サンとの出会いは悪いことじゃないだろう。もしかしたら〈峠〉の神は、このラシャが助け手だと言ってるのかもしれんし)
(……言うならはっきり、言ってくれりゃいいんだがなあ)
彼は何度も思ったことをまた思った。
「そうだ!」
不意にリダールが両手を打ち合わせた。
「神官殿なら、タイオスを助ける力をお持ちじゃないですか」
「何ですって?」
「どうかねえ」
戦士は顔をしかめた。
「確かに癒しの力を持つ神官はいるが、ラ・ザインかムーン・ルーの神官と聞くぞ」
「仰る通りですが」
神官は認めた。
「フィディアル神官にも、可能なことはありますよ」
ラシャはそんなふうに言った。タイオスは片眉を上げた。
「いささか、顔色がお悪いようですね。先ほど、この付近で発せられた奇妙な力と関係が?」
「判るのか?」
「ええ。異質なものでしたから、魔術師協会の領分と考えたのですが」
「異質、か」
〈峠〉の神の力は、フィディアル神官にとって異質なものであるらしい。不思議でもないが、「聖なるものではない」という判定にも聞こえ、タイオスは肩をすくめた。
「あの力にさらされて、体力を失っておいでですか。そうしたことでしたら、お助けできます」
「まじか」
「はい。何によって削がれたものであろうと、失われたのはタイオス殿の体力ということですからね。私のそれをお分けすることができます」
神官はタイオスに向かって手を差し出した。
「分ける? あんたの体力をもらうのか?」
「あまりたくさん分けてしまっては私が倒れてしまうことになりますし、術の途中でそのようなことがあれば与えたものも流れてしまう危険性がありますので、完全にお治しすることはできないのですが」
「まっすぐ歩けりゃ充分だ」
戦士はさらりと言った。
「やってもらえるのか」
「もちろんです。手をここに」
ラシャは差し出した手を少し上げてタイオスを促した。戦士が大きな手をそこに乗せれば、神官は胸元の印を握った。
「フィディアルよ、お力を」
そう言ってからラシャは小さく詠唱をはじめた。ラシャの手がふっと温かくなり、タイオスの手にも、そして身体にも、その温もりが移ってくるようだった。
「……ああ」
タイオスは息を吐いた。ラシャの手が離れる。
「こりゃ、いいもんだ。すごいな、神の力ってのは」
〈峠〉の神には悪態ばかりの彼も――先ほどは感謝したが――これには素直に感心した。
「歩くには、もう充分だ。助かったよ、ラシャ神官」
「当然のことをしたまでです」
人を助けるのは務めであると、神官は神官らしく言った。
「よかった」
リダールはほっと息を吐いた。
「それじゃタイオスは、館に行っていてください。僕はシィナを迎えに」
「いや、俺も行こう」
タイオスは言った。
「お前さんをひとりにするのは心配だ」
「大丈夫ですよ」
リダールは笑った。
「ここは僕の町ですし、危ない場所なんかはよく知ってる」
そういう場所があることは恥じなければなりませんけれど、などと領主の息子は真剣な顔でつけ加えた。
「それにタイオスは、早く休まないと駄目でしょう。明日から、〈白鷲〉は忙しくなるんでしょうから」
「だがなあ」
「どちらへいらっしゃるのですか」
ラシャが問うた。
「よろしければご一緒させてください」
「魔術師協会だぞ」
片眉を上げてタイオスが言えば、神官はちょっとだけ怯んだ。
「話をしたけりゃ、また……」
「いえ。時間が惜しい」
またいずれ、というようなタイオスの台詞を遮って、ラシャは彼らを順に見た。
「ご一緒させてください」
道中、ラシャはいくつかタイオスにシリンドルのことを質問し、彼は判る範囲でそれに答えた。リダールも質問をはじめ、これにはタイオスとラシャの両者が答えた。
それはシリンドルの風習についてであったり、伝承についてであったりしたが、ラシャはシリンドルでの目的を補完するためと言うより、タイオスだからこそ答えられることを尋ねた。即ち、シリンドル人ではない彼の感性、価値観による解釈などである。
タイオスはなるべく公正に答えたつもりだが、いささか贔屓があったかもしれないなとは思った。
(ま、仕方ない)
(俺はシリンドルが好きなんだ)
好きなものを持ち上げ、嫌いなものを貶めてしまうのは人の性である。なかには本当に公正な者もいるし、逆さま妖精のように心と反対のことばかり口にする者もいるが、彼は自分の感性に正直だ。
そんなふうにしながらたどり着いた魔術師協会は、どこの町でもそうであるように、内部の判りにくい北向きの一枚扉を入り口としていた。
「お前さんはここで待ってろよ」
戦士は神官に言った。またサング対ヴィロンのようなことになっては頭が痛くなると思ったのである。
「いえ」
だが神官は肯んじなかった。
「何も彼らとわれわれは敵対している訳ではありませんので」
(どいつもこいつもそう言うようだが、本音は明らかに違うじゃないか)
建て前を口にするのはかまわないし、彼らの職種ではそうしたものも必要だろうが、建て前合戦は自分たちしかいないときにやってもらいたい。他人を巻き込むな、と戦士はげんなりと思った。
だが彼にはラシャに命じる権利などないし、リダールでも同様だ。仮に「連れではない」と言い張ることは可能だとしても、神官が協会のなかに入ってくること自体はとめられない。
(しかもサングに言ったのと違って、神官服を脱げとも言えんしな)
そんな指示ができる関係ではないということもあれば、単純に、黒ローブと違って簡単に脱ぎ着できるものではないということもあった。
「好きにしろ。ただし喧嘩は買うなよ」
「売るな」とは言わなくてもいいだろう、と判断してタイオスは簡潔に言うと、リダールに続く形で扉をくぐった。
「あの、シィナはどうしていますか。先ほど一緒にきた、僕の連れですけど」
入ってすぐの小部屋で待機する応対役の魔術師にリダールが問えば、魔術師は神官の存在など気にもとめぬようにリダールだけを見た。
「奥で話をしておいでです。何か補足事項がありますか」
「ほ、補足と言うか、ええと」
リダールは考えた。
「協会の対応をお聞きしたいんですけれど」
言うじゃないか、とタイオスはにやりとした。
「私はそれをお答えする立場にありません」
魔術師は答えた。
「――ですが、以前にもお話しいただいていますので、指針が立っていることは考えられます。どうぞそこの扉から奥へ」
「は、はい」
「そちらの、おふたりも」
「いいのか」
タイオスが思わず言ってしまったのは無論、ラシャもいいのか、という意だ。魔術師は気づいただろうが、特にラシャの職種には触れることなく、無論ですとだけ返した。