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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第3話 幻夜の影 第2章
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02 この身と引き換えにしても

「アンエスカ」

 彼が躊躇ったそのときである。少年王が声を発した。

「戯言に耳を貸す必要はない」

 ハルディールはしっかりと、エククシアを見据えた。

「〈青竜の騎士〉エククシア殿。僕に脅しは通用しない」

「――ほう?」

「僕はシリンドルの国王だ。僕は僕の安心と引き換えに国を売りはしない」

「陛下……?」

「成程。立派なものだ」

 エククシアは口の端を上げた。

「だが、お前を守るべくそこに控えている騎士は、どうだろうな」

 あごを反らして、エククシアはアンエスカを見た。

「アンエスカ」

 それに対抗するように、ハルディールは騎士団長の注意を引いた。

「エククシア殿には丁重にお帰りいただけ。肯んじられない場合は、力ずくでかまわない」

「ふ」

 〈青竜の騎士〉は笑った。

空言(からごと)だな」

「僕は本気だ、エククシア殿」

 ハルディールは怯まなかった。

「あなたがあの灰色の世界のなかで僕に語ったことは、正直、半分も理解できなかった。だが判ることもある。あなたは、シリンドルを……この国と〈峠〉の神を何か怖ろしいことに利用しようとしている。それを許すことはできない。僕はあなた方の企みを阻む」

 たとえ、と彼は言った。

「この身と引き換えにしても」

「ふふ」

 少年の宣戦布告に、しかし金髪の魔物は笑った。

「それはもはや、お前に可能な選択肢ではない、王よ。騎士団長が、お前を見捨てるはずがあるか?」

「――アンエスカ」

 王はそっと騎士団長を呼んだ。

「僕の話を聞くんだ。彼らの言いなりになってはならない」

「陛下」

 アンエスカは呟いた。

「彼奴らの狙いは、判りません。陛下の身体を使い、どうしようと言うのか、この三日間では何も見えませんでした。これ以上黙って見ていることはできない、それは確かです」

「では、お帰りいただけ」

「私の言葉は、脅しではない」

 魔物は言った。

「もう一度ハルディール王を狭間の世界に送り込み、二度と出さぬと言えばどうするのだ、騎士団長」

「聞くな、アンエスカ。たとえそのようなことをされても、戻ってこられたように手段はある」

「手段」

 エククシアは片眉を上げた。

「神官の業か?」

 これまでじっと口をつぐんでいたヴィロンだったが、視線を向けられてぴくりとした。

「私が……何をしたと?」

「さてな」

 金髪の男は黒髪の神官をじっと見た。

「面白い」

 そこで〈青竜の騎士〉は口の端を上げた。

「――を持つか」

「何?」

 ヴィロンは、いや、その場にいたほかの誰も、エククシアの言葉の一部が聞き取れなかった。何か言った、そのことは確かであるのに、何と言ったのか判らなかったのだ。言葉が不明瞭だったのではない。その音ははっきりと彼らの耳に届いたのに、意味が通じなかった。

「いいだろう、神官」

 何やら納得した様子でうなずくと、エククシアはヴィロンから目を逸らし、再びアンエスカを見やった。

「どうやって抜け出てこられたか、王自身もお前も判っていない。それでも言うか? 手段はあると。愚かな〈白鷲〉と同じようなことを言う。ああ」

 くすりとエククシアは笑った。

「ヴォース・タイオスは、死んだのであったな」

「タイオスは死んでなどいない」

 すぐさま、ハルディールは返した。

「神の騎士は必ず、この国に徒なす者を成敗しよう!」

 その言葉にもエククシアの薄笑いは消えぬままだった。

「アンエスカ!」

「――陛下」

 騎士団長は迷った。

「私は……われわれはまだ、陛下を人質に取られているのです。私には……」

「賢明だ、シャーリス・アンエスカ」

 エククシアはわざとらしく拍手するように手をゆっくりと二度打ち合わせた。

「その判断、悔やまぬものになるよう、してやろう」

「私は」

 アンエスカはきつくエククシアを睨んだ。

「陛下、そして国のために我が身を犠牲にするのは、われわれの任だ。そのためならば、勝ち目の薄い勝負でも挑もう」

 だが、と彼は続けた。

「国王陛下あっての、シリンドル国だ。陛下を……再び、奪われるようなことがあっては」

 その言葉に少年王は気づいた。

 アンエスカは「ハルディールが」再び奪われると言っているのではない。「国王が」――即ち、前王の殺害を防げなかったことを悔やみ、二度とそうはさせまいと。

「大丈夫だ」

 騎士団長の痛みと決意は彼に伝わったが、だからこそ、彼は空言(からごと)を口にした。

「必ず、手はある」

「それが判らぬままでは、ないのと同じことです」

「連中は僕を利用したいんだ。殺すつもりではない。だが、どうであろうと、僕は阻む」

 少年王は繰り返した。

「『帰っていただく』というのはこの場から去ってもらうだけではない、シリンドルから出て行ってもらうということだ。エククシア殿もフェルナー殿も」

「フィレリアも?」

 エククシアが先取った。

「――フィレリア殿もだ」

「ハルディール、様……」

 戸口からか細い声がした。話を聞いていたと思しきフィレリアが、そこで口に両手を当てていた。

「あ……」

 気づいた少年ははっとした顔を見せたが、目をきつく閉じて顔を背けた。

「アンエスカ」

 打って変わった弱い声で、ハルディールは呟いた。

「頼む」

「陛下」

 アンエスカは唇を結んだ。

「必ず……」

 騎士団長は誓いの仕草をした。

「お助けいたします」

 言うが早いが、壮年の騎士は細剣を抜いた。

「この国から出て行ってもらおう、〈青竜の騎士〉」

 剣をかまえ、彼は言った。

「お前だけではない。オーディス兄妹も、アトラフとやらも、仮面も、灰色ローブも、みな引きつれて帰ってもらおうか」

「ほう」

 エククシアは剣に手をかけようともしなかった。

「『灰色ローブ』とは何のことか、説明を聞きたいものだ、騎士団長」

「とぼけるな」

 アンエスカはすぐに返した。

「そのような奇妙な連中が、誰にも気づかれないとでも思ったのか? 国境さえ抜ければばれないとでも?」

「私は説明を求めている、シャーリス・アンエスカ」

 囁くような声で金髪の剣士は言う。

「私を納得させるだけの説明がないようなら、話を聞く必要はなさそうだ」

「愚かしい言い訳を」

 アンエスカは剣先をエククシアに定めた。

「出て行くか。行かぬか。返答によっては、痛い目を見てもらうことになる」

「お前に」

 ふっと、魔物が笑う。

「できると、思うのか」

「できるかどうかではない。やるかどうかだ」

 アンエスカは一歩、足を進めた。

「〈青竜の騎士〉よ。答えは」

 エククシアはやはり、剣に手をかけもしない。アンエスカは眉間にしわを寄せた。

(侮っているのか)

(かまわん。油断をしているのなら、好都合というもの)

 アンエスカが本気で攻撃はしてこないと考えているなら、一撃で深手を負わせてやってもいい。剣を抜かぬ相手であろうと、必要であれば斬る。

 彼は素早く踏み込んだ。その刃は、しかし〈青竜の騎士〉を貫くことはなかった。エククシアは、以前「墨色の王国」でタイオスを不気味がらせた、滑るような奇妙な動きでアンエスカの一閃をかわした。

「ち」

 この剣士がなかなかの使い手であることは、タイオスの忠告を思い出さずともアンエスカには判っていた。だからこそ先手を望んだが、もはや彼の本気は向こうに知れた。反撃をされればただでは済むまい。

(だがどうであろうと)

(陛下と、シリンドルのために)

 実戦など、久しぶりもいいところだ。反逆事件の際、ハルディールを連れて逃亡するときに僧兵と剣を戦わせはしたが、あれらは格下であった。それ以前となるとぐんと時間が空く。

 日々の訓練は彼とて欠かさず、若者たちに引けを取らぬつもりではあるが、現実には瞬発力、反応速度、年齢なりに落ちているのもある。

(早めに決めなければ)

 アンエスカはエククシアをそのまま追って二撃目を放ち、同じようにかわされて、三撃目に移った。

 思う存分に剣を振るうとはいかぬ、狭い屋内。加えて、立ち位置も制限される。自分の後ろ、ハルディールに近寄らせる訳にはいかないからだ。

「その年齢にしては立派なものだ」

 エククシアはまるで第三者が見物しているかのように囁いた。

「だが面白みはない」

「何だと」

「十(トーア)だけ、時間をやろう」

 魔物は言った。

「団長の後継を定めておいた方が、よいであろうからな」

「は、言ってくれる」

 アンエスカは笑った。

「せっかくの気遣いだが、不要だな」

「そうか」

 では、とエククシアは言った。

 見えなかった。

 それは、彼の目が年齢とともに衰えたためなのか。はたまた、若い盛りであっても見て取ることは不可能であったものか。

 〈青竜の騎士〉の動きは、アンエスカには見えなかった。

 ただ彼に判ったのは、自身の左腕に鋭く走った痛みだけだった。

「――な」

 左二の腕の部分が大きく裂け、血が滴る。その間にエククシアはもう、元の位置に戻っていた。

「決定的な差を理解したか?」

 細剣を手に、金髪の魔物は尋ねた。

「理解できたのであれば剣を納めよ。優秀な人間を失うのは惜しいからな」

「戯けた、ことを」

 無論、アンエスカは肯んじなかった。

「まだまだ、これからだ」

「王よ、剣を引かせるといい」

 エククシアは平然とアンエスカから目を離した。

「騎士団長を死なせたいか」

「――僕は」

 ハルディールは両の拳を握った。

「彼は僕の意志を代行している。〈峠〉の神の加護は、必ず彼にある」

 目を逸らすことなく少年王は言ったが、その声はかすかに震えた。

 やはり、ハルディールにも判ったからだ。傷の後遺症があってもアンエスカは立派な剣士であるが、〈青竜の騎士〉はそのずっと上を行くのだと。

 だがハルディールは信じた。

 アンエスカを。

 彼の神を。

「では」

 再び、エククシアは言った。

「神の脆弱さを知るがよい」

(くる!)

 エククシアが飛び込んでくる。彼がそう思ったのは、しかし推測に過ぎなかった。

 見えない。その刃が。

「馬鹿野郎! 退け!」

 そのとき、声がした。反射的にそれに従ったアンエスカは、エククシアの細剣がたったいままで立っていた空間を貫くのを見た。

 部屋の最も奥にいたハルディールは、自身の後ろから声がしたことに驚いて振り向いた。アンエスカもまた、見ずにはいられなかった。

 二階の窓の外では、しまったというように額に手を当てて、〈シリンディンの白鷲〉が苦笑いを浮かべていた。


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