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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第3話 幻夜の影 第2章
103/206

01 お休みになって

 粉々になった、それは〈白鷲〉の護符。

 〈白鷲〉とともにシリンドルを離れた護符は、いずれシリンドルに帰ってくる。

 それは〈峠〉の神が〈白鷲〉に英雄の資格なしと判じたとき、或いは〈白鷲〉とされた者が死んだとき。

「どういう、ことなのです」

 アンエスカは問うた。

「いったい……」

「アンエスカ!」

 だがヴィロンが何か言うよりも早く、ハルディールが部屋から飛び出してきた。アンエスカはもうちょっとで「うるさい、引っ込んでいろ」と言うところだった。

 しかしながら、彼が言葉をとめたのは、何も自制したためではなかった。

「いまのは〈白鷲〉の! タイオスに何かあったのか!?」

 少年は神官を見やった。

「ヴィロン殿、ご訪問くださったことへのご挨拶や、ラシャ殿とのご関係をお尋ねするのは、失礼ながらあと回しにいたします。どうしてあなたがそれを。どういうことなのか、そのことからどうかお聞かせください」

「――陛下?」

 アンエスカはまばたきをした。

「こちらへ。アンエスカ、お前も早く」

「ハルディール、様」

 瞬時に、アンエスカは理解した。

 これはフェルナー・ロスムではない。

「ハルディール様」

 彼は繰り返した。

 これは、彼の王だ。

「仰せのままに、我が王」

 深々と、彼は礼をした。

 ただ「こちらへこい」というだけの命令に対する返答としては、ずいぶん大仰なものであった。だがこのとき、示す敬意は、示したい忠義は、これだけでは足りないくらいだった。

 目前にいる人物が紛れもなくハルディール・イアス・シリンドルであるという、当たり前であるはずのことがどれだけ喜ばしいことか!

「アンエスカ」

 ハルディールもまた目をしばたたき、かすかにうなずいた。

 自分の上に起きた出来事の話もあとだと、少年王が声に出さずに言ったのが、まるで魔術師たちの〈心の声〉を聞いたかのようにアンエスカに伝わった。

 どうしてかはともかく、いまこの瞬間、この場にいるのは間違いなくシリンドル国王ハルディールその人であった。

 そうであるならば理由などはどうでもいいと、アンエスカはそう思った。

「ヴィロン殿、何故、あなたがこれを」

 室内に戻り、ヴィロンに座るよう促すと、ハルディールは急いて繰り返した。

「タイオスと会ったのですか」

「会った」

 神官はうなずいた。

「私は、ラグールという町でコズディムに仕える者だ。キルヴンの町のフィディアル神官ラシャとは交流があり、ふとしたことで呼ばれたのだが」

「キルヴン」

 少年は目を見開いた。

「ナイシェイア・キルヴン閣下のご領地ですね」

「ご存知か」

「以前、カル・ディアを訪れたときに世話になりました」

 ハルディールは答えた。

「それから……閣下のご友人にも、とても」

「左様か」

 神官は少年王の様子から何かを感じ取ったか、祈りの仕草をした。

「ラシャ殿がキルヴンの神官でいらしたとは存じませんでした」

 フィディアル神官はカル・ディアルからきたとだけ言っていた。

「我らはフィディアルに仕えると言い、コズディムに仕えると言えば、それが身の証になる故」

 暮らしている町などは関係ないのだとヴィロンは言った。

「キルヴンに、タイオスが? しかし……彼はたった三日前まで、この国に」

 アンエスカは首をかしげたが、はっとしたように片方の拳をもう片方の手のひらに打ち付けた。

「『医師』か!」

「医師?」

 ハルディールは目をしばたたいた。

「三日前だって?」

「ああ――陛下、その」

 こほん、とアンエスカは咳払いをした。

「ハルディール様は、三日間ほど、お休みになっていましたようで」

「三日……」

 少年王は繰り返した。その瞳が、ふっと翳る。

「そうか。あの場所にいたのは、三日間か」

「陛下」

 アンエスカは気がかりそうに彼の王を見た。ハルディールは少し笑みを浮かべて心配は不要と示したが、すぐに真剣な表情に戻った。

「医師と言うのは?」

「タイオスは事情あってシリンドルを出ましたが、その際、医師と自称する人物を伴いました。しかしおそらく、それが魔術師か何かだったのではないかと……」

 騎士団長は正しい推測をした。ハルディールには情報が欠けていたが、彼はこの場でそれを問うことなく、判ったとうなずいた。

「タイオスは魔術師の力でキルヴンへ行った。そこでヴィロン神官と会った?」

「そうなる」

 ヴィロンはうなずいた。

「実は」

陛下(・・)

 そのとき、ハルディールを呼んだのは、アンエスカではなかった。彼らは一斉に声の方を見やる。

 そこには金の髪をし、左右色の違う瞳を持つ男が立っていた。

「エククシア」

 騎士団長は不自然でない程度に、〈青竜の騎士〉とハルディールの間に立った。彼は左腰の剣も意識した。ハルディールが――どうしてであろうと――戻ったいま、この謎の男の言葉を聞く必要もない。

 エククシアは、ふっと笑った。まるでアンエスカの考えを読んだかのように。

いまだけだ(・・・・・)

「――何?」

「何やらカル・ディアルの神官殿がいらしたとか」

 エククシアはアンエスカから視線を逸らし、ヴィロンを見た。ヴィロンはわずかに頭を下げた。

「コズディム神の忠実なる使徒、クライス・ヴィロンと申す」

「ふん、神官とはな」

「何か」

 ヴィロンは、無感情なままで、エククシアの金目銀目を見返した。

「姑息な業を使ったものよ。だが無駄なこと。道は既に、できている」

 エククシアは、ヴィロンにともアンエスカにとも――ハルディールにともつかぬ調子で言った。

「そのかけらは」

 まるで自身が王であるかのように、エククシアは尊大な態度で言った。

「〈白鷲〉の護符か。ヴォース・タイオスが死んだとでも?」

「まさか」

 ハルディールは首を振った。

「そんなことは……」

「私は」

 ヴィロンはアンエスカが持ったままの護符をちらりと見た。

「リダール・キルヴン殿からそれを託された。ラシャ神官がシリンドルを訪れてきたばかりだと話したところ、どうかシリンドルにこれを持って行ってほしいと言われたのだが、彼はキルヴンを離れることができなかったので、代わりに」

「護符とタイオスに何があったかは知らないと仰るのですか」

 ハルディールが尋ねれば、ヴィロンは肩をすくめた。

「済まないが」

「いえ、責めるのではありません」

 ハルディールは手を振った。

「ですが……それではいったい、何が起きたのか、私たちには判りようがない」

 少年王はそっと息を吐いた。

「――あの男が、簡単に死ぬものですか」

 アンエスカが呟いた。

「殺したって死にそうにない」

「だが、護符が」

 ハルディールも粉々になったそれを見る。

「神は……護符をシリンドルへ帰した」

「それは……」

「生きているにせよ死んでいるにせよ、護符がヴォース・タイオスを離れたということは、あの男はもはや〈白鷲〉ではないということになるのだろう」

 エククシアは肩をすくめた。

「生憎なことだ。だが〈峠〉の神は次の〈白鷲〉を選定する。それならば、かまわない」

「神は」

「『かまわない』?」

 アンエスカは謝罪の仕草をして、ハルディールの言葉を遮った。

「どういう意味だ」

「〈白鷲〉であるならばヴォース・タイオスでなくともかまわない、と言っている」

「何の……」

「己の王と、しばしの再会でも楽しんでいるがいい、騎士団長。告げておくが、彼の傍らに居続けたければ、これまでのように従順な態度でいるのだな」

 金目銀目がアンエスカを捉え、微かに笑った。アンエスカの右手は、剣の柄にかかっていた。

(この男は何を言っている?)

(また……陛下をフェルナーに乗っ取らせることができると、そう言っているのか)

(事実なのか)

 その判定はアンエスカにはできない。ただ判るのは、いまこのとき、ハルディールは間違いなくハルディールであるということ。同時に判らないのは、何故(・・)、彼の王がもとに戻ったのかということ。

 神官が何らかの業でハルディールを取り戻したのだとしても、それは無駄なことだと半魔は言った。一時的なことに過ぎないと。

 〈魔物の誠実〉という表現がある。それは「存在しないもの」のたとえだ。魔物の言うことには一片たりとも真実などない、魔物に誠実など期待してはならないという戒めから生じた言葉。

 しかし、半魔たるこの男の台詞をみな嘘だと決めつけて、その判断が誤りであれば。

 エククシアに対して剣を抜くことが、本当に、ハルディールが二度と戻らぬことに繋がるとすれば。


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