第4話 姪っ子への耳かき(してる側視点)
姉ちゃんの娘――彩夏ちゃんを預かることになったのは、夏休みのことだった。
姉は俺が大学の長期休みに入ったのを良いことに、夫婦水入らずで舞台を鑑賞しに行っている。
夕食も外で食べるみたいだから、今日は夜まで彩夏ちゃんの面倒を見なければいけなかった。
本当は両親に預けて遊びに行きたかったけど、両親も両親で以前より約束していた予定があるらしく、朝から外出している。
そんな訳で俺ひとりで彩夏ちゃんの面倒を見ていた。
「ねぇねぇ、このゲームやってもいいー?!」
彩夏ちゃんはひとしきりテレビを堪能した後、テレビ台に置いてあるSwitchを指差した。
俺は「姉ちゃんってどういう方針で教育してるんだろ」と少し悩んでから「いいよ」と答える。
姉ちゃんからは特に禁止事項は教えてもらっていないし、別にゲームぐらいなら構わないだろう。
とはいえ、後で彩夏ちゃんには「今日はずっと夏休みの宿題をしてました」って言ってもらうように約束をした方がいいかも知れない。
彩夏ちゃんは元々触ったことがあったのか、慣れた手付きでSwitchを起動させた。
そしてソファーで寛いでいる俺の隣に座ると、Switchに入っているソフトを物色し始める。
「あれっ。タクミお兄ちゃん、スマブラ入ってないのー?!」
ダウンロードされているソフト一覧を見たあと、彩夏ちゃんは驚いたように言った。
「スマブラ? 入ってないよ。俺はRPGしかやらないからね」
俺が答えると、彩夏ちゃんは「つまんなーい」と言いつつ、スーパーマリオRPGを起動させた。
途中からやって分かるんかな、と思いつつ、スマホを操作しながら彩夏ちゃんのプレイを眺める。
しかし意外にも彩夏ちゃんは慣れた手付きで話を進めていく。どうやら小四なだけあって、新しいことへの飲み込みが早いようだ。
既にスーパーマリオRPGに熱中している彩夏ちゃんを尻目に、俺はサイドテーブルに置いてある木製の耳かきを手に取った。
手持ち無沙汰になると、いつもついつい耳かきに手が伸びてしまう。だから最近は耳かきを禁止にしていた。
しかし今日は彩夏ちゃんがいるからリビングで大人しくしているしかないし、今ぐらいは思う存分耳かきをしてもいいだろう。
自分に言い聞かせるように内心で「今日は大丈夫。今日は大丈夫」と唱えてから、少し彩夏ちゃんから距離を取って耳かきを始める。
彩夏ちゃんは動きがアグレッシブだから、いきなり飛び跳ねて俺の手元が狂わないか不安だったのだ。
ゴゴゴゴゴッ――。
耳かきを耳穴に入れた瞬間、まるで地鳴りのような音が響いた。
どうやらしばらく耳かきを禁止していた間に、耳垢が溜まりに溜まってしまったらしい。
――これはやりがいがあるぞぉ。
俺は本腰を入れて耳かきをするために、左手に持っていたスマホをサイドテーブルに置いた。
耳かきに集中するときは、他のものに気を取られてはいけない。
ゴリッゴリッゴリッ――。
耳を掻くたびに、耳壁にへばりついているであろう耳垢が大きな音を立てる。
乾燥耳なだけあって耳垢が固まっているから、ちょっとやそっとでは剥がれてくれないらしい。
ゴッゴッゴッゴッ――。
仕方なく、少し強めに耳を掻くことにした。
最近耳かきをしていなかったし、少しぐらい強めに掻いても大丈夫だろう――という精神だ。
どうせ今日が終わったらまたしばらくは耳かきを禁止するし、たまには思いっきり楽しまないとね。
ゴッ――!!
作戦変更が功を奏したのか、豪快な音を立てて耳垢が取れる。
俺は興奮を抑えつつ、耳垢が落ちないように丁寧に耳かきを取り出した。
匙には少し黒くなった大きな耳垢が乗っていた。
こんな極上な大物、今までお目にかかったことがない。どこぞの買取専門店に持っていったら高値で売れるんじゃなかろうか。そう思ってしまうほどだ。
――って。今は近くに彩夏ちゃんがいるんだから、あんまり耳垢をマジマジと見つめているのも問題か。
俺は後でゆっくりと鑑賞するために、サイドテーブルに置いてある箱からティッシュを取り出すと、そこに耳垢を包んでポケットにしまい込んだ。
そしてまた耳かきを再開しようとすると、彩夏ちゃんがこっちをジーッと見ていることに気付いた。
ゲームのことなんて忘れて、少し驚いたように俺のことを見つめている。
「タクミお兄ちゃん、耳かきできるのー?!」
その質問に俺は虚をつかれた。意味がよく理解できなかったからだ。
しかし少し考えて、その質問の意図を理解する。
――そうか。姉ちゃんって不器用だから、彩夏ちゃんに耳かきしてあげたこととかないんだろうな。
姉ちゃんの不器用さは、家族や友達の間でちょっとした語り草になっているぐらいだ。
家庭科の裁縫の授業で糸が手首に絡みついてうっ血しそうになったとか、理科の実験でビーカーを五回連続で割ってしまったとか。不器用なエピソードは枚挙にいとまがない。
旦那さんの方はそこまで不器用そうには見えなかったけど、彩夏ちゃんも思春期。お父さんに耳かきをしてもらう事はないだろう。
そして小学四年生が自分で耳かきをするとは思えないから、彩夏ちゃんは耳かきとは縁遠いのかもしれない。
そのことを考えると、突然言いようのない高揚感が俺の心を埋め尽くした。
――もしかして彩夏ちゃんの耳の中って、とんでもないことになっているのでは?
子どもは代謝がいいから、耳垢が溜まりやすいと聞く。Youtubeなんかに子どもの耳かき動画がたくさん上がっていることが、それを裏付けている。
――なんてこった。俺はこんな"財宝"を目の前にして、ひとり孤独に自分の耳かきをしていたのか。
己の不甲斐なさを恥じたが、次の瞬間にはもう「彩夏ちゃんの耳かき」のことで頭がいっぱいだった。
「……うん、そうだよ。俺は耳かきが得意で、よく友達とかにもしてあげているんだ」
俺は彩夏ちゃんを安心させるために、少し声音を優しくした。
耳かきが得意……なんて表現はちょっとおかしいと思ったけど、実際に仲の良い友達に耳かきをしてあげる事はあるので、そこは気にしないでおく。
「本当?! すごいなぁ。彩夏のママは耳かきが下手だから、したことがないの。うーんと小さい頃はしてもらったかもしれないけどっ」
そう言って彩夏ちゃんは目をキラキラと輝かせた。
どうやら想像どおり、姉ちゃんから耳かきをしてもらったことがないらしい。ならば話は早い。
「だったらさ。耳かき……してあげよっか?」
俺は木製の耳かきを彩夏ちゃんの前にかざすと、それをひらひらと左右に振った。
彩夏ちゃんはより一層、目をキラキラとさせた。返事はしなくとも、その反応だけで答えは明白だった。
◇
彩夏ちゃんに枕越しに膝枕をしてあげつつ、俺は今日という日が訪れたことに感謝した。
もし俺が「姪っ子の子守なんて嫌だよ。遊びに行くよ」とでも反発していたら、もしかしたらこの"財宝"にはたどり着けなかったかも知れない。
人助けもしてみるもんだな――と、俺は耳かきで道徳を学び直していた。
「よしっ。それじゃあ耳かきをしていくよ。丁寧にやるから大丈夫だと思うけど、もし痛かったらすぐに言ってね?」
俺は彩夏ちゃんに優しく語りかける。彩夏ちゃんは頭を枕につけたまま「うんっ」と頷いた。
そして耳かき用に持っていたペンライトで彩夏ちゃんの耳の中を照らす。
中を見た瞬間、俺は「うおっ」と驚きと興奮が入り混じった声を漏らしてしまった。
――中はまさしく"財宝"だった。大きな耳垢が、入り口を塞いでいる。こんなデカい耳垢があったんじゃ、先生の話なんて聞こえないんじゃないかと思うほどだ。
「どうしたの?」
彩夏ちゃんが不安そうに問いかけてくる。
思わず声を漏らしてしまった自分を戒めつつ、俺は「大丈夫だよ」と声をかけた。
「ちょっとゴミが付いてたから、驚いちゃって。……ほら、もう取ったから大丈夫だよ」
俺は彩夏ちゃんの耳のふちを指で触りながら言った。
年頃の女の子に「耳の中が汚い」なんて言うほど、俺は無粋な男ではないつもりだった。
……とはいえ、耳垢が出てきたら中が汚れていることはバレてしまうんだけど。
汚すぎる耳垢は隠した方が彩夏ちゃんのためかな。
そう思いつつ、ペンライトを持った左手の小指で、少し耳の穴を広げる。そうしてから慎重に耳かきを始めた。
「……何だか、すごっい音するぅ」
彩夏ちゃんは眠そうに言った。そりゃあこんなに耳垢があったら、ちょっとホジッただけで豪快な音がするだろうな。
「しばらく耳かきしてなかったから、ちょっと固くなってるのかも」
俺は彩夏ちゃんを傷つけないような言い回しをしつつ、どこから攻めていこうか思案した。
耳の穴全体を耳垢が塞いでいるから、耳かきを入れる隙間がまったくない。
とりあえずセオリー通り、ゆっくりと端から崩していこう。もしダメそうならピンセットを使うことになるかも知れない。
俺は手先に神経を集中させ、穴を塞いでいる耳垢の端っこを匙で掻き始めた。
耳垢はそれほど固くはないようで、耳かきで触れるだけですぐに形が変わる。これなら端から攻めれば、なんとか耳垢を取り出せそうだ。
「……そういやさ。タクミお兄ちゃんは今日、遊ぶ約束とかなかったの?」
俺が耳かきに集中していたところ、おもむろに彩夏ちゃんが話しかけてきた。
もしかすると耳かきが退屈だったのかも知れない。まぁ小学生だし、まだ耳かきの気持ちよさとかは分からないだろう。
「いや今日は特になかったよ。だから彩夏ちゃんがいてくれて助かってるよ。退屈しないからねぇ」
彩夏ちゃんの耳の穴から視線を外さず、俺はそう答えた。
本当は今日は遊びに行く予定だったけど、彩夏ちゃんに言ったところで仕方あるまい。それに今日遊びに行かなかったからこそ、こんな"財宝"に巡り会えたのだ。感謝せねば。
「……そっか」
彩夏ちゃんは呟くようにそう言った。
俺は彩夏ちゃんの質問の意図を掴めぬまま、どんどんと耳かきを進めていく。
少し強めに端っこを掻いたとき、耳壁にへばりついていた耳垢が大きく動いた。
ゴソッと。俺の耳まで届くぐらい、豪快な音がした気がする。
「なっ、なに?!」
驚いた彩夏ちゃんが動こうとするのを左手で制しながら、静かに深呼吸をした。
まだ反対側は辛うじて耳壁にくっついているけど、今にも剥がれ落ちそうである。
つまりここから先は集中力勝負だ。もし一瞬でも気を抜いたら、この大きな耳垢が奥の鼓膜までスッテンコロリンしてしまう恐れがある。
「彩夏ちゃん、ちょっと集中するから、あんまり動かないでね」
俺は彩夏ちゃんに忠告してから、ゆっくりと耳かきを持ち上げる。
反対側の耳壁にくっついていた部分も、ベリベリと剥がれていった。
「――よしっ。取れた取れた」
大きな耳垢を耳穴から救出した俺は、達成感からか思わずニヤけてしまっていた。
この耳垢を取り出す感覚は、自分でやっているだけでは味わえない。いやはや、今日は最上の日だ。
「取れたの? どんな感じー?」
そう言いながら顔を上げようとする彩夏ちゃんに、俺は「まだ動かないでっ」と忠告する。
彩夏ちゃんの耳から出てきたのは、親指の爪ぐらいある大きな耳垢だ。間違っても年頃の乙女に見せるようなものではないだろう。
「まだ続きがあるから。取れたものは後で見せてあげるよ」
言いながら、俺はポケットからティッシュを取り出した。それはさっき俺の耳垢を保管したティッシュである。
そこに彩夏ちゃんの耳垢を隠すと、またポケットにしまい込んだ。
――彩夏ちゃんには、適当に小さい耳垢だけ見せるとするか。
これぐらいの嘘をついてもバチは当たらないだろう。
俺はそう考えながら、彩夏ちゃんの耳かきを再開するのだった。