第3話 退院直後の耳かき(後編)
左手に持ち替えた耳かきを、さっそく左耳に入れる。
ガサガサガサッ――!!
耳かきを入れた途端、いきなり乾燥した耳垢たちが暴れ出した。
湿っていない分、さっきよりも音が豪快だ。思わず喉が鳴る。豪勢な料理を前にした時と同じ気持ちだった。
目を閉じて指先に神経を研ぎ澄ませながら、ゆっくりと耳かきを前後に動かす。
ガリッガリッガリッ――。
ちょっと擦っただけで、大量に耳垢が取れた感触がある。
耳かきを取り出してみると、匙には大量にカサカサした耳垢が乗っていた。
四週間耳かきしなかっただけで、こんなにも気持ちよくなるのか。
こりゃあ今後は定期的に我慢するようにしなきゃならん。
今後のことを考えると、色々な妄想がとめどなく溢れてくる。
片耳だけ何ヶ月も我慢してみるのもいい。あとはイヤースコープだっけ。耳の中を覗ける機械を買うのもいいな。確かネットなら数千円で買えたハズだ。
妄想をやめることなく、耳かきを再開する。
すぐに匙に耳垢が溜まるから、何回も耳かきを取り出さないといけない。それがもどかしくもあり、快感でもあった。
四回ほど耳かきを取り出すと、もう既にあらかた"獲物"は取り終えたようだ。
五回目には、ちょっとしたカスしか取れなかった。
しかし耳かきはこれで終わらない。むしろこれからが本番なのだ。
俺は今後は少しだけ奥に耳かきを入れて、匙の先端で壁あたりをサーチし始めた。
匙の先端に耳垢が当たれば、感触で分かる。あとはそこを重点的に掃除すれば、大物と巡り会えるって寸法だ。
この『耳垢サーチ』に限って、自分の右に出る者はいないという自負があった。
例えどこに耳垢が潜んでいても、確実に探し当てられる。もしオリンピック競技に『耳垢サーチ』があれば、間違いなく俺は金メダルだ。
――もっとも。そんな競技はないし、こんな特技がどこかで役に立つなんてこともないんだけど。
自分の妄想に自虐的に吹き出した直後。不意に匙の先端が硬いものに当たった。
そこはちょうど真上の位置だった。匙で掻くと耳の中全体が動くところを見ると、かなり強固に張り付いているらしい。
――上等だ。おそらく今日最後の大物。心してかかろう。
一度深呼吸をすると、呼吸を止めて耳かきを一心不乱に掻き続ける。
息を止めるのは呼吸で腕が動くのを防ぐためだ。より集中したい時は、息を止めるのが俺の癖だった。
何度も何度も大物に挑む。しかし『ガリリッ』という小気味いい音を立てるだけで、一向に取れる気配がない。
最初は「強敵だからこそ面白い」と思っていた俺も、さすがに十数分も取れないとなるとさすがに不安になる。もしかしたらもう取れないんじゃないかな、と。
そもそもこんなに硬い耳垢を長時間掻いていること自体、耳にあんまりよろしくない気がする。
いい加減にケリを付けないと。
しかし全然取れる気配のしない耳垢に痺れを切らした俺は、今度は棚の引き出しから別の耳かきを取り出した。
それはステンレスで出来たスパイラル型の耳かきだった。先端が匙じゃなくって全方位掻けるらせん状になっている。持つ部分は木で出来ているから、見た目はさながら鉛筆だ。
一般的には木製の耳かきよりも、ステンレス製の耳かきの方が掻く力が強いとされている。
木だとしなるから力が分散されるが、ステンレスの場合はダイレクトに伝わるからだ。
それはメリットでもあり、デメリットでもある。
硬い耳垢を取る際には重宝するが、常用していると耳の中を傷つけてしまうのだ。だから俺も普段はステンレス製の耳かきを使うことはない。
まぁ何十分もかけて耳かきをする男が、今さら何を懸念しているんだって話ではあるけど。
……とにかく。俺はこの大物に対しては、ステンレス製の耳かきに頼ることにした。
今まで『匠の技』が敵わない耳垢は、いつだってコイツが倒してくれた。すなわちステンレス製の耳かきは『匠の技』の師匠なのだ。
などと考えながら、ステンレス製の耳かきを左耳に突っ込む。
そして上の方にある耳垢をゆっくりと掻き始めた。
ガリガリガリガリガリガリッ――!!
さすがステンレス製。さっきよりも確実に掻く力が強い。
しかも先端がらせん状になっているから、ちょうど耳垢と噛み合った時には凄まじい強さを発揮する。
俺は負けじと、何度も耳垢を掻き続けた。
ガリッ――!!
大きな音がする。俺はその音を聞いた瞬間に確信した。
――大物が取れたんだ。
急いで耳かきを左耳から取り出す。
らせん状の先端には、大きな耳垢がへばり付いていた。直径二センチメートルぐらいはある。
しかも爪で小突いてみると、かなり硬い。こんな大物、ステンレス製じゃなかったら到底太刀打ちできなかっただろう。
俺は耳垢をティッシュの上に置くと、しばらく両耳の収穫物をまじまじと見つめていた。
しかし耳かきをやめた途端、堰を切ったように痒さが押し寄せてくる。
――これからもたくさんの"獲物"を産んでくれる耳だ。大事にしなくっては。
俺は腰を上げると、棚に置いてある耳用のローションを丁寧に塗り始めた。




