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カラン、コロン。
綺麗な浴衣を着た若い女性、孫を連れたお爺ちゃん、法被を着て気合十分のお兄さんに、気恥ずかしそうに歩く若い男女。
地元でやる小さなお祭りの割には、人出は多いようだった。
神社の境内にはいくつか出店もあって、辺りにはわたあめの甘い香りや焼きそばの香ばしい匂いが漂っている。
「結構賑わってますね」
「そうね! こういうのってわくわくするわ!」
白地に青い花が描かれた浴衣に紫色の帯を締めたすみれさんが、境内を見渡しながら言った。いつもと違って髪をお団子にまとめている。もちろん、飾りには鮮やかな紫色をしたすみれの髪飾りがしっかりと使われていた。
「見て、あれ」
拝殿の前にどっかりと飾られた大きな笹竹には、色とりどりの短冊と七夕飾りが装飾されていた。
「随分大きいですね」
「でしょ? あの竹に願い事を書いた短冊を飾るのよ」
竹の近くには台が用意してあり、祭りを訪れた客はそこで願いを書いて、あの竹に吊るして行くらしい。
「帰りに書きましょうね」
すみれさんはにこりと笑うとぐっと気合を入れて叫ぶように言った。
「よーし! 今日は全部の出店回るぞー! まずは金魚すくいから……おっと!」
駆け出そうとしたすみれさんの前を、頭にお面を付けた子供たちが勢い良く走って行く。彼女は少しバランスを崩した。
「そんなに急いだら危ないですよ」
私は隣に並んでその手を握る。すみれさんが驚いたように顔を上げた。
「……その髪飾り、付けてくれたんですね」
「え? ええ。もちろん」
「うん。やっぱり想像した通り……いや、想像以上にあなたによく似合ってる。その浴衣も、髪飾りの色と合っていて綺麗だ」
微笑みながらそう言えば、顔を真っ赤にして片手で顔を覆う。
「もうっ! ……そういう不意打ちはズルいわ!!」
彼女の照れた様子が可愛くて、私の顔はますます笑顔になっていた。
私たちは手を繋いだまま縁日を回る。金魚すくいにヨーヨー釣り、焼きそばとたこ焼きを買ってわたあめを頬張り、ラムネを飲んで一休み。射的の後にお面を見ていると、時間はあっという間に過ぎて行った。
あとは短冊に願い事を書くだけ。
長い列に並んで順番が来るのをじっと待つ。
「……清太さんはお願い事、何書くか決まった?」
「う~ん。実は今考えてる所です」
「あら、優柔不断なんだから」
「そういうすみれさんは?」
「あたし? あたしはとっくに決まってるわよ」
他愛もない話をしていると順番が回ってきた。
すみれさんは用意された短冊の中から白い短冊を選ぶと、迷う事なくペンを走らせる。
「見ちゃダメだからね」
悪戯っ子のように笑いながら手で短冊を隠すすみれさんは可愛らしかった。こう釘を刺されては盗み見る事も出来ない。
願い……か。
私の本当の願い事は叶うはずがないと知っている。ならば、せめて祈ることは許されるだろうか。
少し考え、私は文字を書き始める。すみれさんはとっくに竹に吊るし終わっていたので、私も慌てて短冊を吊るした。
風に吹かれてさわさわと揺れる笹の葉と七夕飾り。そして、皆の願いが込められた短冊を見上げる。
……ああ神様。どうか皆の願いと、私の祈りが叶いますように。
顔を見合わせ、ふと笑う。
「……帰りましょうか」
「……ええ」
カラン、コロン。
夜道に下駄の音が響く。さっきまでの喧騒が嘘のように辺りはシンと静まりかえっていた。こころなしか、歩く速度はゆっくりだ。
「……あ」
すみれさんが立ち止まる。
「どうかしました?」
「……少し、寄って行きません?」
彼女が小さく指差したのは、初めて会ったあの橋だった。
辺りはすでに真っ暗で、すれ違う人は誰もいない。夜空に浮かぶ月の光が、二人の足元を照らす唯一の明かりだ。
「あの日から半年経つんですね」
「ええ。季節ももうすっかり夏です」
「あの時の清太さん、今でも覚えてるわ。虚ろな目で、ぼんやりと川を覗いてて」
「あの時はちょっと……自分の運命に絶望して、自暴自棄になっていたんです。何度死のうとしても死に切れない。痛みは感じるのに、死ぬ事だけがどうしても出来ない」
カラン。下駄の音が止まった。
「……だから、ダメなんですか?」
悲痛な面持ちで言った。
「あたしは、あたしだけが歳を取っていっても構わない。家族と縁を切っても、各地を転々としても、少しでも長くあなたと一緒に居られるなら……」
すみれさんは消え入りそうな声で言った。
「……ごめんなさい。困らせて。残されたあなたの事を考えると、やっぱり嫌ね。あたし……自分の事しか考えてなかった」
何も言えない私に向かって精一杯の笑顔を見せる。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「ええ。私もです。あなたの事は、一生忘れません」
「ふふっ。大袈裟ね」
円らな丸い瞳と視線が重なる。距離が、自然と縮まっていく。
「……清太さん」
「……すみれさん」
二人は初めて口付けを交わした。それはほんの刹那、一瞬の出来事だった。
〝サヨウナラ〟
生きている限り、私はその熱を忘れる事はない。
*
「それからすぐ、私はこの町を出ました。すみれさんはお見合い相手の方と結婚し、女の子を産んだと風の噂で聞きました」
鈴木はぽつりと言った。
「私はもちろん独りです。彼女との思い出を胸に、各地を転々と渡り歩いて来ました。こんなに長い間生きてきて、愛した人はたった一人なんです。一途でしょう?」
おどけたように肩をすくめる。
「鈴木さんは……どうしてまたこの町に?」
「……実は懐かしくなって。自分から離れたくせに呆れちゃいますよね。一目だけでも幸せな姿を見れたらなんて、柄にもなくそんな風に思ってしまって。それであの日、あのあたりをうろついていたんです。すみれさんと出会い、そして別れた、あの橋の周りを。いやぁ、随分風景は変わっていたけど、あの橋だけは変わらないなぁ」
鈴木は遠くを見るようにうっすらと目を細めた。
「百合さんを見掛けた時、心臓が止まるかと思いました。だって、すみれさんに瓜二つだったから。だから思わず声を掛けてしまったんです。……もちろん、彼女がすみれさんではないと頭では分かってたんですけどね」
「……鈴木さん」
「おそらくすみれさんの血縁者なのだろうとすぐに気付きました。そうですね、あとは知っての通りです」
「やはり、あの髪飾りは……」
「ええ。お察しの通り、私がすみれさんにあげた物ですよ」
にこりと笑いながら言った。
「百合さんが帰った後もう一度駐車場を探したんです。そしたら金網に小さな巾着がぶら下がってて。先に見付けた誰かが分かりやすいように置いてったんでしょうね。ただ、ちょうどその場所に車が停まっていて隠れてたみたいなんです。それに、私たちは地面ばかり探していたから。灯台下暗しって奴ですね」
「そうだったんですか」
乾いた喉を潤すようにグラスに口をつける。
「しかしまぁ、運命とは面白いですね。巡り合わせとでも言うんでしょうか。あそこで百合さんに会ったのもきっと何かの縁なんでしょう」
鈴木は静かに白い封筒を取り出した。
「百合さんの手紙には、私と会って話がしたい旨が書かれていました。正直、ここに来てからも返事を出すかどうか迷ってたんです」
「どうするか、お決まりになりましたか?」
「ええ」
その封筒をすっとテーブルの上に置く。
「これ、彼女に届けてください」
「わかりました」
月野が頷くと、鈴木は「んー」と強張った身体を解すように伸びをした。
「……それにしても、月野さんは不思議だなぁ」
「何がですか?」
「どういう訳かあなたには何でも話してしまうんですよねぇ。その癒し系オーラのせいかな?」
「ははっ。よく言われます」
月野は頭をかきながら言った。
*
「うっ! ひっ! ひっく!」
鈴木を外まで送ってから戻ると、室内には七尾の嗚咽が響いていた。
「ううっ。ズッキーやばい。マジやばい。オレああいう話弱いんスよぉ~」
言いながらグズグズと鼻水をすする。
「グズグズグズグズうるさいわね。ほら、早く鼻かんで」
文句を言いながらティッシュを手渡す宇佐美の目元もほんのりと赤い。
この様子からすると、二人は月野と鈴木のやり取りを一部始終聞いていたらしい。
「……くっ、なんて哀しい運命なんだ。オレ神様マジ恨むッス!」
「早く鼻かんでってば! 汚い!」
「ううっ、それでも愛を貫くズッキーにマジ感動! これぞ純愛! 一途! ピュアラブ万歳!」
「えっと、泣き止んでからでいいから配達お願いしていいかな? ……百合さんの所に」
「行きます行きます! すぐ行きます!」
グシャグシャの顔のまま叫んだ七尾の迫力に後ずさる。
「ん~……とりあえずその顔なんとかしてから行こうか。七尾くん」
「うう……はい」
宇佐美は嫌悪感丸出しの視線を投げかけながらも、そっとボックスティッシュを差し出した。
「ううっ……宇佐美さんが珍しく優しい……明日は雨だな」
「アンタはいつも一言余計なのよ!」
「いてっ!」
宇佐美は頬を赤くしながらボックスティッシュを投げ付けた。それは七尾の顔面にクリーンヒットする。
月野はいつも通り苦笑いを浮かべながら、赤くなった顔面を覆う七尾の様子をハラハラと見守っていた。




