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月野郵便、今宵も配達中  作者: 百川 凛
1.永遠の初恋
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「おはよう中村さん!」

「おはようございます森野さん」


 挨拶を交わすと、森野さんの顔がちょっと不満気になった。


「もう。すみれって呼んでって言ってるのに!」

「いえ、ですが」

「敬語もなし! あたしの方が年下なんだから遠慮するなんておかしいでしょう?」


 まぁ確かに、私の方が年上なのは変わりない。ふむ、と少しだけ考えてから彼女にひとつ提案をした。


「じゃあ、私のことも名前で呼んでいいですよ」

「え?」

「これならフェアでしょ? ね、すみれさん」


 そう言うと彼女は頬を赤らめた。こういう所はまだまだ子供のようだ。私が思わずクスリと笑うと、今度は怒ったように頬を膨らませる。コロコロと変わる表情が実に可愛らしかった。


「おっ! すみれちゃん!」

「すみれちゃん今日も可愛いねぇ。デザートのオマケよろしくな!」

「すみれちゃん今度の休み暇かい? 映画のチケット貰ったんだけど、一緒にどう?」


 すみれさんは家の手伝いをしているようで、下宿の住人たちからえらく人気が高かった。明るくて可愛い女の子なのだから、当たり前か。


 森野荘で世話になるにあたって、私は近くの部品工場で働くことになった。家賃も支払わなければならないし、甘えてはいられない。


「清太さん! これ、お弁当!」


 すみれさんは仕事に行く私に毎日お弁当を作ってくれた。こうして出勤する前に必ず渡しに来てくれる。


「いつもありがとう」

「ううん、いいの。いってらっしゃい!」


 満面の笑みで送り出されるのが、ここに来てからの日課になっていた。


 〝いってらっしゃい〟か。当たり前に使われるその言葉がじんわりと胸に染み込んだ。


 帰る場所があり、そこに待っている人がいる。


 こんな些細なことが嬉しくて仕方ない。……だけど、同時に怖かった。失った時を考えると、とても。


「羨ましいねぇ」

「おはようございます川上(かわかみ)さん」


 同じ下宿人の川上さんがニヤニヤしながら言った。


「あんな良い子に気に入られちゃって。それ手作り弁当だろ?」

「ええ。そのようです」

「っかー! 羨ましい限りだよまったく」


 ここで私は首を傾げた。だって、あのお弁当は下宿屋の住人皆に渡しているものじゃないか。


「皆さんも作ってもらってるのでは?」

「は? 何言ってんだよ。……まさか気付いてねぇの?」

「……気付く? 何を?」

「っかー!! これだから今の若者は! いいか! ここの食事は朝晩だけだ! 昼は各自で用意するって初日に説明されただろ!?」


 川上さんは捲し立てるように言った。


「つまりすみれちゃんはなぁ、お前にだけ特別、毎日自分で弁当作って持って来てんだよコンチクショウ!!」

「かっ、川上さん!!」


 大きな声に振り返ると、真っ赤な顔をしたすみれさんが走ってくる所だった。


「もう! 何言ってるんですか! やめて下さいよまったくもう!!」


 照れ隠しなのかよく分からないが、彼女は川上さんをポカポカと叩き出す。


「いててて! ごめんごめん! すみれちゃんごめんって!」

「……すみれさん」


 私が声を掛けると、動きがピタリと止まった。


「今の話は本当ですか?」


 すみれさんは真っ赤になって左右に視線をさ迷わせたあと、微かに首を縦に動かした。胸がきゅっと締め付けられ、心臓がドキドキと高鳴る。


「……えっと、嬉しいです。ありがとうございます」


 返事の代わりにはにかんだその笑顔が頭から離れない。こんな気持ちになったのは初めてだった。


 でも、ダメだ。だって私は神の元へ逝く事を赦されない存在──老いる事も死ぬ事も出来ない、不老不死なのだから。





 春の日差しが暖かくなってきた、ある日の仕事帰り。


 いつも通る店の軒先で、見本として飾られた髪飾りを見つけた。鮮やかな紫色をした、すみれの花を模した髪飾り。


 それを見ていると、自然と浮かんできたのは同じ名前をした彼女の笑顔だった。ああ、付けたらとても似合いそうだなぁ。


「お兄さん、何か良いもんあったかい?」

「あっ……その」


 店の主人が愛想の良い笑顔を浮かべて自分の答えを待っている。


「…………すみません、これを」


 私は迷わず手に取った。





 布団にゴロリと横になって、買ったばかりの小さな箱を天井に掲げる。


「……どうしよう」


 勢いで買ってしまったものの、よく考えてみると誕生日でもないのに渡すのは如何なものか。まぁ、大したものではないけれど、下心を見透かされそうでなんとなく気まずい。世間体もあるし。


 それに、突然こんな物を渡したりして彼女は迷惑に思わないだろうか。何よりそれが一番心配だ。


 ああ……そうだ。日頃の感謝を込めてという理由はどうだろう。彼女には親切にしてもらってるし、それならいけるんじゃないか?


 がばりと勢いよく立ち上がる。


「すみれさん」

「あっ、清太さん!」


 台所に立つすみれさんに声を掛けると、嬉しそうに飛んできた。


「どうしたんです? 何か困り事でもありました?」

「いえ。……実は、これを渡したくて」


 買ったばかりのそれをそっと差し出す。すみれさんはきょとんとした顔で私と手の中の包みを見比べていた。


「これは?」

「すみれさんにです。開けてみてください」


 不思議そうな顔で包みを開ける。その数秒の間、私の心臓は今までで一番激しく動いていたに違いない。中から出てきた髪飾りを見ると、彼女は目を大きく見開いた。


「これ……あたしに?」

「ええ。あなたと同じ名前の花だなって思って見てたらつい手に取ってしまいました。その……すみれさんに似合うと思って」


 言い訳めいた理由をあんなに考えたのに。自分の口から出た言葉は素直な気持ちだった。


「……嬉しい」


 すみれさんは小さく呟くと、頬を赤く染め上げ、花が咲いたようにふんわりと笑った。


「これ、あたしの一生の宝物にします」

「……そんな大袈裟な」

「大袈裟なんかじゃないわ。あたし、本当に嬉しいの」


 私達は互いに惹かれてあっていた。言葉にはしなかったけれど、二人共なんとなく分かっていた。


 今まで生きて来て、こんな気持ちになった事はない。……幸せだった。人の温もりが、彼女の笑顔が、壊れかけていた私の心を修復してくれるようだった。


 私はきっと初めて会った時から彼女のことを──。



────

───

──



 森野荘に来て、半年が過ぎた頃。


「知ってるか? すみれ嬢に見合いの話が来たんだってよ」


 川上さんから、すみれさんの元にお見合いの話が舞い込んで来たと聞かされた。


「相手が貿易商のぼんぼんでよー。顔良し、頭良し、性格良しで非の打ち所がないっつー、俺としてはかなりいけ好かねー野郎なわけよ」


 川上さんはビールをぐいっと飲み干す。


「相手の一目惚れだってさ。すみれちゃんのご両親もかなり乗り気みたいだしよぉ」


 私はその空になったコップにビールを注ぎながら言った。


「そうですか。それは良いお話ですね」

「は? いやいやその反応はねーだろ。お前はどうすんだ?」

「どうする、とは?」

「惚れてんだろ? 阻止するとか奪うとか色んな手段があんだろーが!」

「……はぁ」

「はぁじゃねーよこの野郎! なぁ~んですみれちゃんはこんなひょろひょろの若造が良いのかねぇ。俺の方が何倍もイイ男だっつーのに」


 川上さんはぶつぶつ文句を言いながらまたビールを口にする。


 ……そろそろここも、潮時か。


 自分のコップで弾けるビールの泡を見ながら、私は力無く笑顔を作った。





「すみれさん」

「……清太……さん」


 台所に立つすみれさんの顔は浮かない。何か思い悩んでいるようだった。おそらくお見合いのことだろう。


「顔色が良くないですね。手伝いましょうか?」

「いえ、大丈夫です」

「遠慮せずに。あ、このジャガイモ洗いますね」


 そう言って、カゴいっぱいに入ったジャガイモを洗い始める。ザァーザァーという水道の音が大きく響いた。


「……何も言わないの?」


 ぽつりとすみれさんが言った。


「何を言うんです?」

「……知ってるくせに。清太さんってばズルイ人」


 すみれさんは隣に立つと、洗い終わったジャガイモを手に取り、皮を包丁で剥き始めた。


「実は、お見合いの話が来てるんです。相手は貿易商の社長の息子さんで。とっても良い人なのよ」

「ええ。川上さんに聞きました」


 すみれさんは小さな声で言った。


「……どうして何も言ってくれないの?」


 私は口を閉ざしたままだ。目に涙を浮かべたすみれさんが責めるように言葉を放つ。


「あなたが、清太さんが何か一言でも言ってくれたら、あたしは今すぐこの縁談を断ります! 両親も説得するわ! だって、だって。あたしは、清太さんの事が、」

「言うな」


 自分の口から出た言葉は、予想以上に冷たいものだった。


「お願いだから、それ以上は言わないでほしい」

「……どうして?」


 か細く震える声に、私は正直に話した。


「……私は、普通の人間じゃないから」

「……どういう、事?」


 すみれさんの瞳が揺れる。


「私は一生老いる事もなく、死ぬ事もない。人形のような存在(モノ)なのです」

「……ニンギョウ?」


 彼女が持っていた包丁を奪うと、私は自分の手のひらをザクリと傷付けた。


「な、何してるの!!」


 一直線に切られた傷口からはだらだらと血が流れてくる。みんなと同じ、けれどどこかが違う、真っ赤な血が。


「っ!」


 すみれさんは小さく息を呑んだ。


 付いたばかりの切り傷はみるみるうちに再生され、何事もなかったかのように元通りの皮膚に戻っていく。まるで逆再生のビデオを早送りして見ているようなスピードだ。もちろん傷痕も残っていない。


 驚いたように目を見開いたすみれさんに向かって言った。


「私は普通の人間ではないのです。一生老いる事のない、一生死ぬ事のない身体。見たでしょう? 傷付いてもこうしてすぐに再生する」


 すぅっと息を吸う。


「だから、すみれさんとは……一緒にいられません」


 引かれただろうか、怖がられただろうか。でも、それで良い。その方が離れやすいから。


 暫くの沈黙の後、はぁ、という重い溜め息が聞こえてきた。静かに彼女が口を開く。


「それが何?」

「……え?」


 今度はこっちが驚く番だった。呆気にとられてぽかんと彼女を見つめる。


 〝それが何?〟だなんて。まさかそんな返しが来るとは予想外だった。


 彼女は意志の篭った目で、私を力強く見つめる。


「清太さん。あなたが何か隠してるって事は、出会った時からずっと気付いてました。だけどね、あたしはあなたが何者であろうと、あなたの事が好きですよ」


 そっと手を握られた。


「人形だなんてそんな訳ないわ。だってほら。清太さんの手、こんなに温かいもの」


 すみれの髪飾りを付けた彼女はふんわりと笑った。


 そこには迷いも恐怖もない。私はその笑顔をじっと見つめる。情けないことに鼻の奥がツンとなって、目頭が熱くなって……私は彼女を力一杯抱きしめた。


「……ありがとう」


 ああ。私はきっと、今の言葉だけでこれから先の長い長い時間を生きていける。私の頬には一筋の涙が流れた。


 背中に回された腕が愛おしい。


 ……でも、だからこそ。私は彼女と離れなくてはならないのだ。


 老いる彼女と、老いる事の出来ない私。


 置いていく悲しみと、置いていかれる苦しみ。その辛さを誰よりもよく知っているのは私だ。


 一緒にいて二人とも辛い思いをするより、共に老いて同じ時間を過ごせる男と一緒に居た方が彼女は幸せなのだから。


 両肩に手を起き、寄せていた体を離して向かい合う。


「……清太さん」

「私はもうすぐ、ここを出て行きます」

「……え?」

「今までもそうしてきたから」

「だったらあたしも! あたしも連れてって下さい!」

「すみれさん」


 じっとその瞳を見つめると、すみれさんはぐっと唇を噛みしめた。何をしたって私の意志が変わらないと分かったのだろう。


「……あなたは本当にズルイ人ね」


 すみれさんはぐいっと涙を拭った。


「清太さんが出ていく前に、ひとつだけ我儘を言っていいかしら?」

「……何でしょう」

「もうすぐ七夕でしょ? その日、近くの神社でお祭りがあるの」

「七夕祭りですか?」

「ええ。そのお祭りに一緒に行ってほしいのよ。ね? お願い」


 私が躊躇いがちに頷くと、すみれさんはふふっと笑って「約束よ」と言った。

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