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月野郵便、今宵も配達中  作者: 百川 凛
2.春の秘密箱
15/47


「ありがとうございましたー!」


 焦げ茶色の三角巾に『すまいる弁当』という文字がプリントされた同じ色のエプロン、白い七分袖のシャツにスキニージーンズを穿いた若い女性は、ビニール袋を提げたサラリーマンの背に向かって元気良く声を張り上げた。


 店内には食欲をそそる生姜焼きの匂いが立ち込める。伝票を所定の場所に置いて一息つくと、すぐに来客を知らせるベルが鳴った。


「いらっしゃいませー!」


 得意の営業スマイルを向け、元気良く挨拶を告げる。


「あっ」


 入って来た黒髪の男性を見付けると、彼女の口から小さな声が漏れた。


「こんにちはー!」


 彼女の倍のテンションで挨拶をする彼を見て、自然と笑顔になる。


「こんにちは!」


 彼は最近よく来てくれるお客様の一人だ。毎回飽きもせずに同じものを注文して行くので、もうすっかり顔を覚えてしまった。


 ニコニコと笑いながらカウンターに近付いて来た彼は、店内に貼ってあるメニュー表には目もくれず注文を口にする。いつもながらその口調に一切の迷いはない。しかし今日は、いつもと少しだけ違った。


「いなり弁当下さい! 三つ!」

「……三つ?」


 三個という注文個数に彼女は伝票を記入する手を止め聞き返してしまった。慌てて口を塞ぐも、出てしまった言葉は取り消せない。


「も、申し訳ありません!」


 がばりと頭を下げて謝ると、彼は笑顔のまま言った。


「ははっ、いーよ。お姉さんあれでしょ? オレ、いっつも弁当一つしか買わないのに今日は三つだったから不思議に思ったんでしょ?」


 ……まったくもってその通りである。


「申し訳ありません。お客様のプライバシーを……」

「気にしなくていいって。オレさ、ここのいなり弁当大好きなんだよね」

「あ、ありがとうございます」


 確かに、彼がいなり弁当以外の物を買って行ったのは見た事がない。


「だから今日はね、オレの大好きな人たちにも食べさせてあげようと思ってさ。美味しいものは皆で分け合わなくちゃ。ほら、シェアハピってやつ!」

「大好きな人たち?」

「そうそう。まぁ……なんていうか。……家族みたいな人たちっていうか? そんな感じの!」


 彼は照れくさそうにはにかんだ。その人たちの事が本当に大切なんだな、と一目で分かる表情だった。


 …………家族、か。


 きゅ、と少しだけ胸が痛んだ。


「……いいですね」

「え?」

「……いえ。少々お待ち下さい。いなり弁当みっつー!」

「あいよー」


 ぎこちなくなってしまった笑顔を後悔しながら、大きな声でキッチンにオーダーを告げる。


 お弁当の完成を待つ間、彼はいつもスマホを弄ったりメニューを見たりと店内の隅で待っている事が多いのだが、今日は何故かカウンターから動かない。


 ニコニコとこちらの様子を眺めるその視線は妙に居心地が悪かった。


「〝大木〟さん?」

「はい?」


 突然名前を呼ばれ、彼女は驚いたように顔を上げた。


「あ、すいません。呼んでみただけ」

「……はぁ」


 彼はネームプレートを指差しながらニコニコと笑う。何を考えているのかさっぱり分からない笑顔だ。


「はい、いなり弁当三つねー!」


 キッチンから響く後藤さんの声を合図に、すぐに作業に取り掛かる。白いビニールの袋を用意し、その中に出来立てのお弁当三つと、割り箸とおしぼりを素早く入れた。


「お待たせ致しました」


 黒髪の男に声をかけると、彼は相変わらずの笑みを浮かべて財布を取り出した。会計を済ませ、がさりと袋を持ち上げる。


「ありがとー! また来るからね!」

「はい。ありがとうございましたー」


 彼は嬉しそうにひらひらと手を振りながら店を出て行く。その姿が見えなくなったのを確認して小さく首を傾げた。なんだったんだろう、今の。……変な人。


『すまいる弁当』


 ここはその名の通り〝みんなに笑顔を与えるお弁当〟をスローガンに掲げた地域密着型のお弁当屋さんだ。昔から主に独身男性の味方として営業を続けてきたこの店の外観はお洒落とはほど遠く……まぁ、はっきり言ってしまえばボロいのだが、味は文句なしに美味しい。


 わたしはこの店で高校生の頃からアルバイトをしている。


「…………あれ?」


 気を取り直して仕事に集中しようとカウンターに立つと、白い封筒がぽつんと置いてある事に気が付いた。さっきまではなかったはずなのに、いつの間に置かれたのだろう。


 もしかしてさっきのお客さんの忘れ物かな。だとしたらちょっと面倒だ。今から追ってももういないだろうし……。わたしはその白い封筒に手を伸ばす。


「…………え?」


〝大木桜 様〟


 手にした白い封筒の表には、しっかりと自分の名前が記されていた。


「…………わたし?」


 桜は怪訝そうな声で呟く。


 何の変哲もないシンプルな真っ白い封筒。宛名の他に住所や郵便番号などは書かれておらず、左上に押された消印の鮮やかな朱色がよく目立っている。


 なんだろう、これ。あの人の忘れ物ではないようだけど。あ、でもちょっと待って。もしかしてラブレターとか!? いつもあなたに会いにお弁当買いに来てました的な!? ……いやいやまさか。どこぞの少女漫画じゃないんだから、冷静に考えなさいよわたし。


 一人でツッコミを入れて頭を冷やす。


 それなら、一体誰からの手紙だろう。裏返してみても差出人の名前は見当たらない。


 云々と唸っていると、カランカランという入口のベルの音で意識が戻された。お客さんだ! わたしは慌てて封筒をポケットに押し込み、営業スマイルを浮かべる。


「い、いらっしゃいませ!」


 入ってきたのは眉間にシワを寄せた仏頂面のサラリーマンだった。仕立ての良いスーツといい高そうな腕時計といい、こんな古くさいお弁当屋とは到底無縁そうな格好をしているのだが、この男性は月に一度、必ず来てくれるお客様だ。


 とにかく今は仕事に集中しなきゃ。手紙の事は家に帰ってからじっくり考えよう。


「……幕の内弁当ひとつ」

「幕の内弁当ですね! 少々お待ちください!」


 呟くような小さな声をなんとか拾うと、桜は気合を入れて仕事に取り掛かった。

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