罠~⑥
佐々達が昨日手に入れたデータというのは、被害者が意識不明に陥りその一定期間を過ぎた為に編集長へと送られたものだった。と同時にそれは彼女にも送られていたのである。
情報の送付先は、最も信頼できる人物でなければならない。またそれが一人の場合だと、例えばその人物も一緒に監禁などされていれば、大切な情報を伝えられないまま失われてしまう恐れがあった。
よって宛先を二つにしたのだと思われる。またもう一人の情報共有者が誰か、他人には分からないようBCCにしたのだろう。だが彼女はそれが編集長だと気付いた、または知っていたに違いない。
件名に書かれていたのは以下の文だ。
“I will entrust you guys with the information in case of danger to me”
日本語に訳すと、“私の身に危険が及んだ場合、情報をあなた達に託します”となる。
“you”の後にわざわざ”guys”を付けた点から、送付先が自分一人で無く他にもいると、彼女は把握したはずだ。 被害者が信頼できる相手で情報を活用でき、かつ保全も可能な相手を考えたのだろう。
まずは身内である被害者の妻が思い浮かぶ。ただ命の危険に巻き込む恐れがある仕事上の機密情報を、大切な家族に残すかどうかは疑問が残る。その点活用や保全の観点からいえば、編集長だと分かるはずだ。
そこで思い付き尋ねてみた。
「もしかして万が一の場合はこうなると、事前に聞いていたのか」
彼女は頷いたが、付け加えた。
「送付先は私と編集長だと分かっていたけれど、どれ位経てば送付されるかは知らされていなかった。だから気付くのが遅れたの」
「ということは、須依も同じく身に危険が及んだ場合、誰かに情報が渡るようセットしているのか」
やや躊躇いながら答えた。
「そうよ。でも誰に送付するようにしているかは秘密。今回の取り調べには関係ないでしょう」
確かにその通りだった為、話を先に進めた。
「だったら被害者が傷病休暇中、須依にさえ黙って取材していたのが何だったかはもう知っているよな」
「はい」
「しかし須依は、その前から薄々気付いていたんじゃないのか。例えばいきなり井ノ島と会う場に同席するよう伊豆に呼び出された時、鋭い君なら何か裏があると考えたはずだ」
彼女は黙っていたが、その様子が肯定を表していた。その為さらに続けた。
「被害者が井ノ島を探っていた理由は、彼の浮気に気付いたからだった。しかしその真実を明らかにすれば、井ノ島は破滅する。それを須依に知らせたくなかった彼は極秘で取材し、とうとう決定的な証拠を掴んだ。それを直接突きつける為、井ノ島に面会を要求した。けれど井ノ島もそれに気づいたのだろう。そこで会う場所を伊豆に指定し、また須依を同席させる条件を付けた。そうだな」
「そうみたいね」
データの中身から読み取れたのは、まず機密情報を社内からアクセスした件で寺畑が怪しいと睨み、調べている最中に須依が彼女のSNSを発見したのが発端となっていた点だ。その内容を見て、被害者だけが井ノ島との関係に気付いたのである。
何故ならSNS内の横書き文章の一部に、縦書きで読んでみたら関係を匂わす表現が記載されていると分かったからだ。
これは盲目で読み取りソフトを使用している須依だと、まず認識できないだろう。また掲載していた写真にも見られた。男性とみられる時計を嵌めた左手が写っており、それは井ノ島のものだと発見したらしい。
それを幸いとして、被害者は須依を傷つけないよう内々に調べていたと思われる。傷病休暇というまたとないチャンスが訪れ、その上警察の監視が緩くなった点を利用したのだろう。
須依もそうした経緯はデータを読み、既に把握しているはずだ。そこで質問した。
「伊豆まで移動する際、本当に被害者から何も聞かなかったのか」
「問い詰めたけれど、向こうに着けばいずれ分かるとしか言わず、答えてくれなかった」
「その時、須依はどう思ったんだ」
彼女は再び沈黙した。どうやら素直に白状するつもりはないらしい。こちらがデータ内容を把握した上で、今回の事件とどう関係すると考えているかを見極めるつもりなのだろう。
それならこちらにも考えがある。佐々は深く息を吸い、腹に力を溜めて言った。
「答えないのならこちらから言おう。被害者が須依にも関わる案件で、井ノ島に面会を求めたと考えたはずだ。そこから何らかの弱みを握ったのだと気付いた。須依が井ノ島に苦しめられた件を知っている被害者なら、それなりの罰を与えたい。そう思った可能性がある。ただ出来るなら須依には知らせず、話を進めたかったのだろう。しかし井ノ島が君に同席する条件を付けた為、止むを得ず相手が指定した伊豆へと二人で向かった。恐らく事実を知られてもいいと覚悟したはずだ。それを須依は感じ取った。違うか」
彼女は無表情になり、動きを完全に止めていた。否定しない様子から、肯定しているのだと解釈し続けた。
「須依は苦しんでいたんじゃないのか。そこまでしてくれようとした被害者の気持ちに感謝しつつ、井ノ島を追い込んでいいものかと悩んだはずだ。しかしその一方で危惧も覚えた。詳細は理解しないまでも、わざわざ伊豆に足を運んでまで会う必要があるネタとなれば、相当大きな証拠を掴んだに違いない。それを察知したからこそ井ノ島は東京を離れ、わざわざ遠く離れた自分の縄張りに誘った。それは一体何を意味するかを考えた時、下手をすれば口封じも辞さないと腹を括ったのではないか。そうなると須依の為に行動してくれた被害者が危ない。だからいざとなれば、彼と自分の身を守ろうと決心した。そうだろう」
変わらず何も答えない彼女だったが、顔色は青かった。やはりここまでの推理は間違っていないと確信する。そこで立ったまま彼女の様子を見守っていた的場に指示を出した。
「例の物を持ってきてくれ」
「分かりました」
彼は部屋を出て行き、しばらく経って戻ってきた。手には大きな花瓶を持っている。それを机の上に置き、須依の方へと移動させた。
「的場が持ってきた物が何か分かるか。触って確認してくれ」
ようやく動き出した彼女は、おずおずと手を伸ばした。もしかすると置いた際に響いた音で、それが何かおおよそ理解したのかもしれない。それでも念の為にと思ったのか、手で感触を確かめていた。
だが直ぐに分かったらしく、慌てて伸ばした腕を引っ込めた。まるで恐ろしいものに触れたかのようだ。
「何か分かったか」
彼女は頷き、小声で答えた。
「花瓶、でしょ」
「ああ。だがただの花瓶じゃない。被害者の頭を叩き割った凶器と、全く同じタイプとサイズの花瓶だ。伊豆の温泉宿から借りてきた。須依の部屋にも置いてあっただろう」
デザインはそれぞれ違うが、全ての部屋に設置されているものだ。
「そんなものを持ってきて、一体どうするつもりなの」
その質問には答えず、彼女に指示した。
「申し訳ないが、靴を脱いでくれないか」
「な、何を言うの」
「まあいいから。もちろん変な真似をする訳ではない。右足の靴を脱いで、足首を曲げずにピンと伸ばしてくれないか」
意味を理解したのだろう。青かった顔色が白くなった。それでもじっと待った。すると彼女は観念したかのように自分で靴を脱ぎ始め、言われた通り足を突き出した。
「的場、やってくれ」
「はい。では須依さん、失礼します。冷たいかも知れませんが、少しだけ我慢して下さい」
指示された彼はそう告げて、机上の花瓶を持ち上げ彼女の右足がある位置で屈む。そこから花瓶の口を彼女の足に差し込んだ。するとすっぽり嵌まったのである。
彼が一瞬手を離した為、彼女の足は花瓶の重みで床に着きそうになった。その手前で彼は止めた。そこで佐々は須依に声をかけた。
「申し訳ないが、足の力だけで花瓶を持ち上げてくれないか」
彼女は大きく息を吸った。じんわりと額に汗を掻いているのが分かる。それでも彼女は黙ったまま、座った状態で花瓶を足で上げた。
落ちて割れないよう的場が手で受け止める準備をしていたが、全く必要なかった。
「ありがとう。もういいぞ」
佐々がそう告げると的場は足から花瓶を抜き、再び机上に置いた。そのタイミングで彼女に告げた。
「重いのに片足の力だけでよく持ち上げたな。年を取ったとはいえ、さすが元女子サッカー日本代表ユースだ。日頃から五人制サッカーでも鍛えているだけある。それに丁度フィットしていたからだろう。これが男の足なら小柄で細くなければ無理だ。そんな人間は今回の事件関係者の中だと限られる。そこで宿泊施設にいた人達全員、今のように足を通して貰った。これが何を意味するか分かるよな」
彼女はぎゅっと目を瞑り、眉間に皺を寄せた。構わず続けた。
「足首まで入ったのは、六十代と七十代の女性、三十代の女性と子供達だけだった。ちなみに四十代の女性の足は太くて途中で引っかかったし、十代の子供二人には大きすぎたらしい。男性は全員狭すぎて通らなかった。けれど問題はそこからだ。足が通せた人達に花瓶を足で持ち上げさせたが、誰もまともに出来なかった。高齢の女性はさすがに最初から無理だと分かった。だが三十代と若い女性でも重すぎた。つまり片足だけで花瓶を持ち上げられるのは、須依だけなんだよ」
「それが事件とどう関係するというの」
ようやく口を開いた彼女の声は震えていた。その為はっきりと伝えたのだ。
「被害者の頭は、手で持った花瓶で殴られたんじゃない。足を通して蹴られたんだよ。だから通常の女性では出せない強い衝撃が生み出せた。つまり烏森の頭を花瓶で叩き割った犯人は右利きの男性ではなく、須依、お前しかいないんだ」




