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情報漏洩事件発生~④

 彼は慣れた手つきで須依の左腕の肘を掴んだ。自分の右肘に手をかけるよう誘導し、ゆっくりと左斜め前を歩く。同じ視覚障害者である弟の面倒を、彼は長年看てきたからだろう。無駄のないスムーズな動作が板についていた。

 今年の東京の冬は雪に見舞われる日もあったが、二月下旬に入ると晴れが続いてた。けれど春まだ浅い時期の最低気温は低い。ここの廊下がやや日陰になっているとはいえ、午前中だからか空気はひんやりとしている。

 さらに庁舎内の部屋では暖房を使用していないようだ。その為、二人で同じ温かいブラックの缶コーヒーを選択した。

 自販機近くには小さな丸テーブルがある。立ち飲み用の休憩スペースとなっている為そこに移動し、再び話を続けた。

「今は忙しくないの。一課だと事件を担当し始めたら、解決するまで結構な時間がかかるでしょう」

「そうですね。ただテレビ等で良く流れているから一般の方は余り感じないでしょうけど、ご存知の通りここ最近は凶悪事件の件数自体が減少していますから。だけど特殊詐欺やネット犯罪などの事件は増えているので、生活安全課や二課、サイバー対策関連の部署は忙しいでしょうね。後は誰それがいなくなったとか、徘徊しているだとかの相談が頻繁(ひんぱん)にあると聞いています」

「あなたの担当部署じゃないでしょうけど、今ならネットでの誹謗中傷問題が多いのかな」

 彼は溜息をつきながら頷いたようだ。

「そうですね。最近は投稿したIPアドレスの開示が早くなったおかげで、裁判も有罪判決が出て賠償請求できるケースが増えました。それでもゴタゴタはなかなか減りません。そうした事件から刃傷(にんじょう)沙汰(ざた)にまで発展するケースも稀にありますし、増えているだけでなく悪質化していますからね」

 そう話す彼の背後で、また聞き覚えのある足音がした。須依とは対面する形だが、姿はぼんやりとしか見えない。それでも声を掛けられる前に誰だか分かったので、わざとにっこり笑い頭を下げた。

 的場が気づき、後ろを振り返る気配がした。その瞬間だった。

「おい、こんな所で油を売りながら、記者に捜査情報を教えてなんかいないだろうな」

「さ、佐々(ささ)参事官! い、いえ、決してそんな事はありません!」

 慌てる彼に代わり、須依が笑ってフォローした。

「そんな話なんかしてないわよ。私が暇をしていたから、ちょっと相手をして貰っていただけ。佐々君もそんな意地悪を言わないの」

 大学の同級生で警察庁のキャリア官僚である佐々(あきら)は、現在警視庁に出向してサイバーセキュリティ対策本部、通称CS本部の参事官となっていた。階級は警視長だ。

 対して的場はノンキャリアの警部補である。四階級も上の管理職など、彼にとって雲の上の存在に近いのだろう。さらにかつて須依に求婚した経緯を知る、僅少(きんしょう)な人物の一人だ。よってこの状況を気まずく感じたに違いない。

 だが恐縮し直立不動になっているだろう彼の前で、君付けで名を呼ばれたのが気に食わなかったのか、佐々はこちらに矛先(ほこさき)を向けた。

「何でお前がこんなところにいるんだ。フリーの記者が立ち入れる場所じゃないぞ」

 その問いに対し、首にぶら下げた記者クラブへの入館許可証を見せた。そして先程的場に話した通りに説明すると、ようやく納得したようだ。

「そういうことか。あれはかなり難航しているからな。といってこの辺りをぶらぶらされても困るが」

 そこで居心地が悪くなったと思われる的場が、残りのコーヒーを一気に飲み干した。

「参事官、お先に失礼します」

足早に去ろうとしたが、呼び止められた。

「おい、的場、まだここにいろ。大学の同級生とはいえ、記者と二人きりでいる所を他の奴らに見られたら後々面倒だ」

「わ、分かりました!」

 直ぐに振り返り戻ったようだが、須依から見て先程いた位置より少し右にずれた所に立つ気配がした。

左側の空いたスペースに佐々が入った為、三人はテーブルを挟んで正三角形に並んだ状態になる。感染対策からか一メートルほどの距離を保ったらしい。

 そこで呟きながら彼が動いた。

「俺も喉が渇いたからここに来たんだ。空気が乾燥している上、冷えて敵わない」

 自販機へ向かったようで、小銭を放り込む音がした。選んだのは須依達と同じ缶コーヒーだと見抜く。見えはしないが押したボタンの音と、取り出し口に出てきた際の音で聞き分けられるからだ。

 須依は視力を失った分、努力した甲斐あって元々敏感だった聴覚が人一倍研ぎ澄まされたらしい。おかげで言葉のトーンや会話で相手の感情を察し、また話した内容を暗記できるようになった。さらに人の歩く音を区別できるなど、特殊な能力を得たのである。他にも嗅覚や触覚も鋭くなった。

 だが残りの五感の一つである味覚に関しては、普通の人と同程度か、もしくはより劣っているかもしれない。ただそれは健常者だった頃から友人に味オンチ、または食べ物の好みが変わっていると言われていたからだろう。視覚を失った件とは関係がないようだ。

 テーブルに戻ってきた佐々が的場に話しかけた。

「どうだ、そっちは忙しいか」

 急に話題を振られたからか、彼はしどろもどろに答えた。

「そ、それなりに、です。CS本部にも大変お世話になった例の事件は、ほぼ片が付きました。私などの案件より参事官達が扱っている事件の方が、いろいろなしがらみがある分、なかなか大変ではありませんか」 

 二人の話に割って入った。

「へぇ、もしかして情報漏洩に発展した、あの件のことかな」

 ネットを通じた犯罪の為、佐々の部署が関与していたことは周知の事実だ。分析が進まず二課に主導権を握られたとはいえ、引き続き捜査を行っているに違いない。

 その為探りを入れたのだが、彼は的場を叱った。

「記者がいるところでべらべら喋るな」

「す、すみません」

 恐縮する彼だったが、須依は怯まずに続けた。

「何よ、少しくらい教えてくれたっていいじゃない。記事にまだ書くなと言うのなら、言われた通りにするわよ」

「須依が今担当しているのは、まさしくあの企業の件だろう。言える訳がない」

 声に何故か戸惑いが感じられ、疑問を持ったところで的場が反応した。

「官僚達だけでなく、大物政治家の関与が一時疑われた案件ですよね。検察でも動きがないそうですけど」

 それに対応し、彼は大きく息を吐いた。

「案件が動かないと長引いて面倒だ。事件は他にも次々と起こるし待ってくれない。そうだ、的場。そろそろ席に戻っていいぞ。俺もすぐ戻るから」

「分かりました。それでは失礼します」

 その後速足で去っていく彼の足音が聞こえた。そして持っていた缶コーヒーを飲み干したらしい佐々が、声をかけて来た。

「じゃあ、俺もそろそろ戻るからな」

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