殺人未遂事件~④
須依の耳は鋭い。どこで聞いているか分からないと彼らは警戒し、同じく囁くように大山が先に答えた。
「いえ、別におかしな点は発見できませんでした。まさか参事官は、須依さんを疑っていらっしゃるのですか」
「知人だからこそ先入観は禁物だ。現時点で少なくとも、この敷地内にいた者は全員容疑者だろう。的場はどう思った」
「しかし彼女にはアリバイがありますよね。それにまず動機がありません。被害者は仕事上において欠かせないパートナーです。それは参事官もよくご存知なはずです」
大山も同意した。
「彼女を良く知る八城からもそう聞いています。漏洩事件を通じて私自身も何度か接してきましたが、被害者とは相当深い信頼関係があったように感じました」
「それは私も十分承知している。それでもだ」
的場が首を傾けながら言った。
「彼女のアリバイを証明しているのは、あの井ノ島ですよね。須依さんの元彼とはいえ、別れた背景や寺畑の逮捕に至るまでに取材した切り口等を聞く限り、互いにかばい合う相手だとは思えません」
そこは佐々も同感だった。しかしアリバイを証明しあった相手が、今回の取材相手の井ノ島だという点はかえって作為的にも思える。
第一に何故そんな男と須依は、二人きりで部屋に二十分以上もの間、居られたのか。烏森という相棒が近くにいたのなら、絶対にそうした状況にはさせなかったはずだ。
疑問点はまだあった。信頼関係の強い二人がどうして今回だけは須依に何も告げず、烏森は井ノ島に単独で取材を申しこんだのか。
しかも先方により須依も同席させる条件を付けられた点を不本意に感じ、その上取材内容を明かしていないのは明らかにおかしい。
そうはいっても本来ならアリバイが証明され動機が無く、被害者を襲った形跡も見つからなければ既に解放されていただろう。それができないのは防犯カメラの映像と、現場状況のせいだ。
広い敷地に点在する十二ヵ所の部屋やその周辺には、プライベートな空間を邪魔しないよう、カメラは設置されていないという。しかしその分、防犯上の観点から敷地の中に外から侵入者が来られないよう、外向けのカメラは至る所にあったそうだ。
その上赤外線による侵入防止装置もあり、二十四時間監視されている。それは部屋と本館の間をつなぐ通路やその外も同じで、宿泊者や従業員だけが持つカードキーが無ければ、出入りできないようになっていた。
事件発生時、ほんの少しだけ死角があったとはいえその他のカメラに不審人物は写っておらず、赤外線でも異常を知らせる警告音は鳴っていない。
またその時間、従業員は誰一人も敷地内に入っていないことは、カードキーの記録から判明している。さらには凶器に指紋がついていた清掃担当を含め、全員が何らかの勤務についていた点も館内の防犯カメラで確認は取れていた。
それらのことから当時敷地内にいた宿泊者だけが被害者を襲えた、あるいは外部からの侵入を許すよう防犯カメラに細工できたと静岡県警が判断したのだ。よって須依達以外の宿泊者十名も、現在各部屋で待機させられていた。
その内訳は六十代と七十代の夫婦が二人ずつ、三十代の恋人が一組、四十代の夫婦と十代の子供二人の四人家族が一組だ。須依達を除いた四組は、それぞれ食事を済ませて部屋にいたと証言している。
だが防犯カメラに映っておらず、関係性から考えてアリバイが成立しているとは言い難い。身内または恋人という近しい関係による証言は、信憑性に欠けるからだ。
そうなると、確かなアリバイがあると言えるのは須依達だけだった。けれど他の四組と被害者との接点は、現在何も見つかっていない。あるとすれば、神葉から依頼された犯人が潜んでいる場合だ。
しかし県警の刑事が聴取し確認した第一印象から、実行犯らしき人物はいないという。
というのも烏森は左足を失っているとはいえ、パラアスリートに準ずるほど日頃から体を鍛えている男性だ。そんな彼を襲えるような人物が、他の宿泊客の中にいるとは思えないらしい。
比較的重く頑丈な花瓶で強打している状況から、かなり力の強い男性の可能性が高いと見られる。しかし明らかに非力な高齢者または今時の若者で、とてもそんな力や度胸がありそうな男性は一人もいないと言っていた。
唯一可能性があるとすれば、大学時代にアメフト部にいて小学校は野球、中学高校はラグビー部という細マッチョの井ノ島ぐらいだという。ただその彼は、須依によってアリバイが証明されている。
もちろん一見非力に見えるだけで、実際は神葉に雇われた屈強な人物が宿泊者の中でいるのかもしれない。もしくは依頼され、敷地内から防犯カメラを傾けさせた可能性は残る。
よってその線を疑い捜査しているが、残念ながら現時点でそうした証拠は挙がっていないそうだ。そんな状況が続いている為、須依達を含めた宿泊者は待機せざるを得なかったのだろう。
その為佐々も後で的場達を通じ全員と顔を合わせ、事情聴取しなければならないと考えていた。
だがその前に会っておかなければならない人物がいる。それは井ノ島だ。そこで村岡の案内により、的場と大山は彼が待機する部屋へと向かっていた。
到着し、先程と同様にインターホンが押された。応答があった為、来訪した理由を告げる。彼は素直に応じ扉を開けた。
「東京からわざわざ来られたのですね。ご苦労様です。どうぞ中にお入りください」
佐々は須依の関係で井ノ島を知っているが、学生時代も含め紹介された事はなく、直接会って話をしたこともない。だから彼はこちらの存在を把握していないだろうし、スマートグラス越しでは気付くはずもなかった。
ただ白通における社内からの不正アクセスの件で、何度も事情聴取を行った二課の大山とは面識があったからだろう。井ノ島は彼ばかり見ていた。
それでも聴取は的場が行う段取りになっている。彼は大山と違い、須依との過去における因縁を少なからず知っている人物だ。しかも一度求婚して断られ、その原因の一つとなったのが井ノ島である。よって特別な感情を持ったとしても不思議ではない。
といってわざわざ告げる必要などない為、彼は席に座り簡単に自己紹介をした後、淡々と質問を投げかけていた。所属が捜査一課と告げたからだろう。かなり緊張しているらしく、警戒もされていた。
「事件が起こる前、被害者から連絡を受けた時の話からご説明頂けますか」
「三日前、情報漏洩事件の犯人が逮捕されたと聞き、これでようやく会社も落ち着きを取り戻し始めるだろうと、安心していました。そんな時、烏森さんから取材したいと申し出があったのです」
「どんなやり取りをしたのですか」
「どんなって。いきなり取材したいので会ってくれないかと言われ、今更どうして私にと尋ねました。彼は藤原という犯人が逮捕されたことを受け、改めて社内からの不正アクセス事件で疑いをかけられ巻き込まれた経緯について話を伺いたいと言いました」
「なるほど。それが取材目的でしたか」
的場は頷いたが、彼は首を振った。
「いえ。表向きはそう言ってましたが、それだけではない気がしました。だから最初は断わっていたのです」
「ほう。別の隠れた理由があると思われたのですね。そう疑っていながら、結果的には取材を受けると言われた。それは何故ですか」
「何度も何度も電話をかけてきて、しつこかったからですよ。それでちょっと待ってくれ、考えるからと言いました。悩んだ末にここの宿泊施設で須依を同席させるのなら会う、と条件を付けたのです」
「それは何故ですか」
「まず今回の取材は烏森さん一人だと聞き、不安が増したからです。以前は須依を使っていきなり会社に訪ねてきました。主に話を進めたのは彼女でしたが、そのやり口から裏に彼がいた為だと思い、不信感を持っていたからです」
訳ありで別れた元カレの元へ、十数年振りに会わせたことを言っているらしい。
「それで須依さんを同席させる条件をつけたのですか」
「はい。彼女がいればもしおかしな取材をするようなら、止めてくれると期待しました。彼女とはかつて色々ありましたが、それでも大学の同窓生であり、それなりに深い関係を持っていましたから」
実際の背景を知る的場なら、ここで一言皮肉の一つでも投げつけたかったはずだ。しかし何とか堪えたらしく、質問を続けていた。
「ではこの場所を指定した理由を教えてください。部屋の料金も井ノ島さんが支払ったと伺いましたが、何故そこまでされたのですか」
「ここなら他人に話を聞かれる心配はありません。それに年の半分はこの部屋を押さえていて別荘のように使っていますから、私もリラックスして会えると思ったからです。代金をこちら払いにしたのは、そうしなければここまで来てくれないと考えたからです。それに一日ぐらいなら、大した額ではないですから」




