殺人未遂事件~①
伊豆の温泉地において、烏森が何者かに頭部を殴打され、血を流し意識不明の状態で病院に緊急搬送された。
佐々がそうした一報を二課の班長である大山から受けたのは、ようやく情報漏洩事件の主犯格とされる藤原を逮捕し起訴した三日後の夕方だった。
「まさかまた、神葉愚連隊に雇われたチンピラに襲われたんじゃないだろうな。須依は無事なのか」
前回の襲撃事件から四週間ほどは、二課と組対課の人員を割いて彼らの監視を続けていた。
しかし藤原を始め、事件に関わったとされるセンナと母体の神葉の主要メンバーをほぼ全員を逮捕した為、もう危険は無いと判断して行動追跡班を解散させていたのだ。
よってその隙を突き、幹部であり大きな収入源となっていた藤原を失った神葉の残党が、見せしめとばかりに須依達を狙ったのかと最初は疑った。
だが事件現場の状況や経緯を聞けば聞く程、そう単純な話ではなさそうだと感じたのである。
幸い須依は無事だったが、彼女も現場となった伊豆に烏森と同じく滞在していたらしい。事件が発生したと思われる時間帯には、十二室全て離ればかりという高級温泉宿の別室にいたようだ。
しかも一人ではなくあの井ノ島竜人が一緒だったと聞き、佐々は驚いた。何故三人がそんな場所にいたのかを確認すると、烏森に取材を申し込まれた井ノ島の招待で、二人は呼ばれたらしい。
その宿は井ノ島家、厳密には詩織の実家の八乙女家が別荘代わりに良く利用しており、一室を半年間確保していた為だという。そこで烏森と須依も、それぞれ離れた別の部屋を予約していたようだ。
事件が起こったのは午後一時少し前で、異変に気付いた従業員が烏森の部屋を訪ねると、彼が血を流し倒れている所を発見。慌てて救急車を呼び、遅れて静岡県警も駆け付けたそうだ。
現場は特に激しく争った形跡がなく、財布など盗まれたものもなかった。凶器は観賞用として部屋の廊下に備え付けられていた、厚みのある陶器の花瓶らしい。
高さ約四〇センチ、重さ約四キロでふっくらとした胴体から口がこぶし大ほどまで狭まった形状だという。それで頭部側面を殴られた烏森は、現在意識不明の重体に陥っていると聞かされた。その為、殺人未遂事件として捜査が始まっていた。
そこで県警が別室にいた須依や井ノ島から事情を聞いた際、被害者は約一ヶ月前にも襲われていたと知り、担当していた警視庁と神奈川県警に照会したようだ。そこから大山の耳に入り、佐々にも報告してきたのである。
当初は神葉の手下の仕業かと疑われた。しかし使われた凶器が部屋の物だった点や、宿の周辺に備え付けられた防犯カメラで外部から侵入した映像が無かった為、その線は明らかでないという。
ただ部屋の一部に指紋の拭き取られた跡を発見。また一台のカメラが何故か通常より傾いて死角が生じていた点から、外部による侵入も完全には排除できないとの見解だった。
もちろん内部にいた人物の犯行かを確認する為、従業員や他の宿泊者の十名も事情聴取したそうだ。しかし烏森との繋がりが見つからず、襲う動機があるとは思えなかったらしい。
容疑者候補となる人物を強いて挙げれば、井ノ島と須依だった。というのも烏森から情報流出事件について取材を受けていた彼と、同行していた彼女の指紋が部屋に残っていた為である。
だが事件が起こった時間、井ノ島は須依の部屋にいたと証言し、彼女もそれに同意した為アリバイは成立しているという。
また被害者を診察した病院の医師の診断や静岡県警の見解によれば、左側頭部には相当な強い力がかかっていたことから、犯人は右利きの男性と見立てているようだ。
何故なら部屋の配置と被害者が倒れていた状況、砕けた花瓶の破片の位置からして、犯人は背後からではなく正面から襲ったと判断されたからである。恐らく後ろを向いている隙を狙い背後から近づき、振り向いたところを殴ったのだろう。
凶器となった花瓶からは、今のところ清掃を担当していた従業員の指紋しか発見されていない。部屋の中だと同じ従業員や被害者以外では、須依と井ノ島の二人の指紋だけが発見されたようだ。
もちろん犯人は手袋を嵌めていた、または拭き取った可能性がある為、僅かに発見された毛髪や他の遺留物から、鑑識で分析をしている最中だと聞かされた。
「参事官、どう思われますか」
静岡県警としては情報確認の為、警視庁や神奈川県警に問い合わせをしたものの、県内で起きた事件の為に単独で捜査を行うつもりなのだろう。
しかし犯人が情報漏洩事件に関わった神葉の手下達なら、警視庁としても動く必要があった。といって殺人未遂事件の為、二課やCS本部の出番でなく、担当は組対課または捜査一課となる。
といって、最初から犯人が反社だと決めつけるのは危険だ。そうなると一課が先頭に立つべきだろう。
けれど彼らはこれまでの事件捜査に全く関わっていない。その為二課や組対課、捜査本部または神奈川県警と連絡を密に取るなど、適切な行動を期待できるかと考えれば疑わしかった。
そうすると県警で捜査をさせ、警視庁の捜査本部はバックアップに回り、情報提供しながら協力する体制を取った方が効率的だ。そうした最終判断を仰ぐ為、大山は佐々に問うていた。
何故なら情報漏洩事件の捜査本部は捜査二課の主導に変わっていたが、今では再びCS本部が中心となっていたからだ。神葉達に目を付けた段階で、捜査の中心が機密情報の分析などに移行していた為である。
ただこういっては何だが、警視庁の捜査一課の優秀なメンバーと比較すれば、県警の刑事課では正直頼りなく感じざるを得ない。しかも今回の件が一連の事件と関わっているとなれば、静岡県警だけでは手に余るはずだ。
そうなると後方支援だけでは不十分に思えた。さらに被害者が襲われた場所を考えれば、ほぼ密室に近い状況で起きた難事件とも取れる。その上余りに不可解な要素があり、初動を誤れば下手をすると迷宮入りしかねない。そう危惧された。
そこで佐々は腹を括った。
「よし。捜査の主導は基本的に県警とし、捜査本部はバックアップに回ろう。但し今回は特殊な例の為、一課から一人だけ応援を呼ぶ。二課からは前回の襲撃事件にも関わった大山君が、県警の捜査に加わってくれないか。俺が直接君達の捜査を裏から指示しよう。もちろん一課や二課はもちろん、刑事部長や県警には私から根回しをしておく」




