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過去の因縁~②

「分かってくれればいい。だが偽の情報だったと広まったのをいいことに、元々鈍かった検察による政治家達への捜査は完全に止まったらしい。二課もどこまで追っているか不明だ。そこで相談なんだが、気乗りしないのなら断ってくれてもいい」

 意味深な言い回しに、須依は首を傾げた。

「どういう話ですか」

 彼は口ごもりながら言った。

「須依がかなり以前に関わった元国土交通大臣の赤星(あかぼし)を覚えているか。あの時の秘書が、今や赤星の地盤を継いで議員になっただろう。今回情報漏洩されたリストの中に彼の名がある。そこを突破口に出来ないだろうか」

 思わず顔を(しか)めた。かつての苦い記憶が蘇る。東朝新聞から今回の仕事を受けた時、須依自身でも昔の人脈が使えるかもしれないと頭をよぎった事は否定しない。だがそれは禁じ手だと思い直し、通常の取材に(とど)めていたのだ。

 それに当時を知る編集長や局長は既に会社を辞めている。よってそれを期待し、須依に仕事が割り振られた訳ではない。ただあの頃同じ部署で先輩だった烏森は、事情を知る稀有(けう)な人物の一人だ。

 須依を気遣いこれまで触れなかった彼だが、事件の様相が変わってしまった為に業を煮やしたのかもしれない。だからここに来てやむを得ず言及したと思われる。

 世の中はうまくいかないものだ。例えば須依がサッカーから遠ざかったことを第一の挫折、失恋と失明による退職が第三、第四の挫折だとすれば、第二の挫折は入社四年目で掴んだ、大きなスクープにまつわる事件だったと言える。

 今はジャンルを問わず様々な事件取材をしている須依だが、東朝新聞に入社し退職するまで、ずっと政治部記者として活躍していた。

 夜討ち朝駆けなど当然のように駆け回った。それでも社命であり、他社をすっぱ抜く記事を書く為だと歯を食いしばり耐えていた。そんな苦労の甲斐あって、大きなネタを手にした経験もある。

 丁度プライベートも仕事も順調だったが、徐々に視力の調子は悪くなっていた頃だ。その分須依の勘が鋭く冴えていたのかもしれない。当時の政府幹部だった議員の発する気配が、余りに奇妙だと気付いたのだ。

 少し前に反社会勢力との関係を疑われ、マスコミが動いていた時期でもあったけれど確実な証拠を掴めなかった為、いつの間にか騒がれなくなっていた。それでも須依はずっと彼の動向を気にしていたのだ。

 もしかすると女ではないかと疑ったのも、偶然とはいえ良い読みだった。議員は妻帯者で子供もいた。それでも五十代とまだ若く、外見もそれなりに異性受けするタイプだったので、言い寄ってくる女性も少なくなかったらしい。また彼も決して嫌いでは無いとの噂を耳にしていた。

 匂うと感じてから、須依は彼の日常の動きを探り始め二カ月ほど経った時だ。ある女性と高級ホテルで密会している現場を、ついに抑えたのである。

 同行してくれたカメラマンが写真を撮り、二人仲良く腕を組んでタクシーに乗り込もうとしている時、須依は素早く走って近づき直撃した。

「大臣、その女性とは一体どういった関係ですか」

 相手も油断していたのだろう。慌てふためいて何も語らなかったどころか、須依を突き飛ばしタクシーに乗り込み、その場から走り去ったのだ。

 その時こちらにも隙があった。まさかホテルの従業員達が近くにいる場所で、女性記者に対し手を出すはずなどないと油断していたからだ。

 サッカーからは遠のいていたが、体だけはずっと鍛えていた。昼夜問わず走り回る体力と気力が、この仕事には特に必要だからである。それなのに、急いで走り寄った所を押されたからだろう。大きくバランスを崩し、転倒してしまったのだ。

 場所も悪かった。コンクリートで覆われた地面に段差もあった為、腰を痛打しただけでなく足首も捻ってしまった。起き上がろうとしたが激痛で動けず、そのまましばらくその場でうずくまざるのを得なかったのだ。

 そんな須依を発見したホテルの従業員は、心配気に駆け寄ってきてくれた。理由を尋ねられたが答えようとしない須依の状態から、見過ごせない怪我だと思ったのだろう。

 遠慮する須依をよそに、大事になっては困ると心配しホテル内の救急看護室へ強引に運ばれた。しかもそこにいた非常勤の医師に骨折の疑いがあると診断され、病院で処置を受けた方が良いと促されたのだ。

 そうなるとホテル側としては、そのまま帰す訳にもいかない。敷地内の段差で転び怪我をしたとなれば、責任を問われる恐れがあったからだろう。 

 そこで抵抗する須依を半ば強制的に、従業員が同行していたカメラマンと一緒にタクシーへ乗せたのだ。その上病院へ向かう間、別の責任者が防犯カメラのチェックをしたらしい。

 そこからが大変だった。女性とタクシーに乗り込む男性に、須依が突き飛ばされて転んだ瞬間が写っていたからだ。当然カメラでもその場面を撮影していた。

 こうなるとホテル側に責任は無いけれども、客が傷害事件を起こした証拠を掴んだことになる。しかもその相手が現役の議員で大臣だと分かり、ホテル側は困惑したようだ。

 一方病院で診察を受けた須依は打撲した腰に痣ができ、足首の骨は幸い折れていなかったけれど、ひびが入っているとの診断を受けた。さらには重度の捻挫(ねんざ)で、靭帯(じんたい)損傷(そんしょう)の一歩手前だと言われたのだ。

 その結果を付き添った従業員がホテルに待機している上司に報告した所、怪我をさせた相手がいると聞かされたらしい。そこで傷害事件として警察を呼ぶかどうか、先方も相当悩み頭を抱えたという。

 事実を知ってしまったホテル側も、このままだと警察を呼ばない訳にはいかない。

 しかし傷害罪は親告罪だ。当事者同士が話し合い、示談に至って双方納得した上で警察沙汰にしないと決めたのなら話が変わる。お客様の要望に従い、通報を取りやめたという大義名分ができるからだろう。

 そこで診断と応急処置を終えた須依に対し、付き添ってくれた男性が状況を説明し、どうしましょうかと判断を委ねてきたのだ。

 正直騒ぎたてたくない須依だったが、ホテル側もこのまま放置できないという。止む無く警察を呼ぶ前に、須依は夜中ではあったが編集長に報告を入れると、速攻で病院に駆けつけてくれた。

 しかしそれだけでは済まなかった。須依から詳細な事情を聴いた編集長は、なんとホテル側から相手の議員へ連絡を入れ経緯の説明をさせ、このままでは事件になってしまうと告げさせたのである。

 大臣もホテルからの話を聞き、避けられないと判断したのだろう。秘書とホテルの責任者を引き連れ、須依のいる病院へとやって来た。 

 その間に同行していたカメラマンは、撮影した写真だけを置いて帰宅を命じられていた。

 編集長は女性と一緒にいる写真等を確認した上で、駆け付けた大臣と一度話し合いの場を設けるよう先方に提案した。病院側も事の重大さを把握したらしく、会議などに使われる一室を貸してくれた。そこでお互いが椅子に腰かけて対面したのである。

 相対し、まず編集長が切り出した。

「さて大臣、どういたしましょうか。女性との密会現場を押さえた当社の女性記者を突き飛ばし、怪我までさせたにも拘らずその場から立ち去ったようですね。本来ならばとっくにここへ警察が来て、過失致傷として事情聴取を始めているところでしょう。しかしホテル側が気を利かせ、その前にあなたをここへ呼んだと聞きました。では一体、どう話を付けるおつもりでしょうか」

 大臣は立ち上がり、須依に対して一通り詫びを告げた後、再び座り直して言った。それでも政府の幹部というプライドがあるのだろう。あくまで上からの物言いだった。

「こちらが条件を付ける立場でないと承知している。もちろん、怪我の治療代や通常の法律で認められる範囲内の慰謝料は支払う。ただそれ以上の条件があるなら、そちらがどのように考えているかを先に聞かせてくれないか」

「それでは須依が取ったスクープに関して、こちらの新聞、または雑誌などの媒体で世間に公表しても構いませんね」

「どういう記事を書くかにもよる。どう記載するつもりだ」

「細かい点は社内の会議で決めますが、既婚者で子供までいる現役の大臣が、夜中の高級ホテルから女性と腕を組み出てきたという、紛れもない事実は書かざるを得ないでしょうね。もちろんその女性との関係は、ただならぬものだという点もです」

 ここで横柄とも取れる態度を取っていた大臣は、言葉をさらに荒げ始めた。

「ちょっと待て。そうじゃない」

 それでも編集長は怯まなかった。

「何が違うのでしょう。どういうご関係ですかと質問した女性記者を突き飛ばし、怪我までさせその場から逃げられた。その状況から、肉体関係も無い単なるお友達だとでも言い張るおつもりですか」

「そう記事に書くつもりか」

「それは大臣の態度次第ではないでしょうか。あくまで関係ないと言い張るのなら、マスコミとしては世の中に事実を知らせ、どう判断するかを委ねるしかありません。歪曲(わいきょく)して伝えることは、マスコミとしてもできませんから」

 これには大臣も黙ってしまった。白を切ればそのまま記事に載る。しかも女性記者に怪我までさせているのだ。そうなれば世間からの非難は避けられない。

 傷害事件として届け出を出されても、言い逃れが出来る状況ではないとホテル側から説明したと聞いている。証 拠がはっきりと映像として残っていたからだ。

 すると後ろに立っていた秘書が大臣に耳打ちをした。それを聞いた彼は頷き言った。

「編集長。申し訳ないが今日はもう時間が遅い。そちらの怪我をした女性記者さんもゆっくり休んで貰った方が良いでしょう。だからこの件に関しては、日を改めて相談させてくれないか。明日の午後にでも必ずこちらから連絡する。そこでどう記事を載せるのか、警察への届け出を含め、時間をかけて話をしよう。そちらも上と相談し、東朝新聞としてどういう条件を出すのかを決める時間も必要ではないのかな」

 ここで編集長も考えたようだ。何も今日、明日の記事に載せなければならない(たぐい)のものではない。それに相手は大物議員だ。条件を出すにしても、上と相談した方が良いと判断したらしい。

「分かりました。今日の所は怪我をした弊社社員に対し、こんな遅い時間でも来て頂き謝罪されたことと、今後話し合うご意志があると聞けただけで十分です。そうだな、須依」

 有無を言わさぬ言葉に頷かざるをえなかった。しかし彼は大臣に付き添ってきたホテルの責任者の顔を見て条件を付けた。

「ただし防犯カメラの映像は、こちらにご提供頂けますよね。それならば今日の所は警察へ連絡をせず、ここで解散しましょう」

 大臣達は困惑した表情をして互いの顔を見合わせていたが、拒否できないと判断したようだ。渋々頷いていた。

「それではこれで解散しましょう。大臣もお帰りになられて結構です。私達はホテルに戻りましょう。須依はもう遅いからそのままホテルに泊まれ。部屋は空いていますよね。代金は治療費や慰謝料と一緒に、あとで大臣に請求しますから。よろしいですね。俺は防犯カメラの映像を頂いたら帰るから」

 病院から入院までは必要ないと言われていたが、怪我の状態からしばらく安静にするよう指示されていたからだろう。結局強引に事を進めた編集長の言う通り、須依はホテルへと再び戻り部屋に案内され宿泊したのである。

 もちろん実家にはその旨を連絡しておいた。電話を受けた母親は怪我の具合を心配していた。しかし普段から夜遅くなり帰宅できず、泊まり込むケースも何度かあった為、外泊の件は何も言わなかった。

 その後須依はしばらく自宅療養を余儀なくされ、スクープは完全に編集長の扱いへと変わった。だがそれだけではなく、上層部を含む大人達の思惑に利用されたのである。

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