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二課への探りと更なる取材~⑤

 須依は左手に嵌めた視覚障害者用の、音で知らせる時計で時間を確認した。耳元にあててボタンを押すと、うっすらとしか聞こえない絞った音量で教えてくれるものだ。そうしているのは、静かな場所でも他人に気付かれない為である。

「まだ夕方の四時ですよね。ああいう会社なら五時や六時に退社できるとは思えませんが、どうしますか」

「こういう時期だからこそさっさと退社するかもしれないし、そもそも出社しているかどうかも分からない」

「だったらまず電話で確認しておきますか」

「そうしよう」

 烏森がスマホを取り出したようだ。電話をかけているらしき気配を感じる。コール音が続き、相手が出たようだ。

「もしもし、警視庁捜査二課の者ですが、中条部長はご在席ですか」

 恐らく井ノ島から貰った名刺に書かれた、経理部直通の番号にかけたのだろう。

「いえ、取り急ぎの用件ではないので、会議中でしたら結構です。ちなみに部長はいつも何時頃退社されるか、ご存知だったら教えて頂けますか。お忙しいようなら、その頃再度お電話しますので」

 さすが烏森だ。電話に出たのは部下の誰かだろう。そこから目安となる時間を聞き出せれば、張り込みもしやすくなる。

 やや間が空いているのは、先方が誰かに確認しているらしい。部長よりいつも遅く帰る社員なら即答できるが、そうでなければ別の社員に聞かなくてはならないからだろう。

「あ、そうですか。いえ、折り返して頂く内容ではありませんから、大体で構わないですよ。ええ。八時までには帰られるようだと。そうですか。それなら日を改めて、またご連絡します」

 彼は素早く切り、フウッと大きく息を吐いた。そこで須依が提案した。

「念の為に、五時から八時過ぎまで見張りますか。一人だと心配なら、誰か応援を呼びますよ。表玄関から出るとは限りませんし」

「いや、まだ他の記者には漏れていない情報だ。そこまでこそこそしていたら、余計に怪しまれる。堂々と正面から出てくるに違いない。ただ暗くなると判別し辛いかもな」

「あそこはすぐ近くに地下鉄の駅があったはずですから大丈夫でしょう。ただ車を長く停めやすい場所の確保は必要かもしれません」

 前回訪問した際、周辺の様子は把握していたのでそう告げると彼は言った。

「前回は利用しなかったが、比較的近い場所に有料パーキングがある。ただビルの入り口が見えにくい場所だったから、降りて会社の入り口付近で張り込みするよ。とりあえず行くか」

 こうして二人は再びあの会社へと向かった。

到着すると、彼が言っていた駐車場に入れ外に出た。まだ五時には少し早い。しかも烏森はともかく、白杖を持った須依は目立つ。

 よって張り込みに向かない。その上帰宅ラッシュに巻き込まれれば、厄介なトラブルを引き起こす恐れもあった。

 特に鑑賞が広がってから、視覚障害者に限らず社会的弱者に対する世間の冷たさは加速した気がする。須依が味わったように、人の信頼の度合いは死や緊急事態、困難な状況の時こそ分かるものだ。そんな人間の本性を表面化させたのが、まさしく今の時代だろう。

 健常者でさえ今は職を失うなど、多くの人が困難に見舞われている。視覚障害者なら尚のことだった。マッサージといった接触を仕事にする人の生活が苦しくなり、ガイドヘルパー等とも交流が難しいとされた。

 日常生活でも、感染症の恐れを理由に店や施設でのサポートを断られ、入店を拒否されたりした。誘導の為には接触が欠かせないからだろう。 

 スタッフが少ないので事前に連絡して欲しいと言われ、またその日のその時間帯は無理など、自由な利用が出来なくなったケースもある。

 ようやく入れたと思えば、まず消毒液がどこか分からない。通い慣れた店でもこれまで閉まっていたドアが換気の為に開けっ放しとなり、認識できず驚くことが増えた。

 須依もそうだが、視覚障害者は音や匂い等を頼りに行動している。それが今や道路を走る車や開いている店が少なくなり、目印にしていた情報が変動して大いに混乱した。

 例えばパチンコ店での音や飲食店等から漂う匂いだ。それらで場所を把握していたのに無くなり、また張り紙が貼られていても須依達には見えない為困るのだ。

 音声の無い横断歩道はもちろん、人が少なくなり足音が無くなったことで危険が伴うようになった。また匂いを感じ難くなり、行き慣れた場所でも間違える事例が増えた人はかなりいるはずだ。

 視覚障害者は日常的に人や物に触れ、さらに体全体の感覚を動員し行動する習慣がついている。顔も周囲の状況をキャッチするアンテナの一つで、風の吹き方や壁が迫る感覚を掴んでいるのだ。それがマスクで覆われれば当然鈍る。

 レジにビニール製またはアクリル板の間仕切りができ、相手もマスクをしているので声が聞こえ辛くなった。普段から知る人と違うかどうかの区別さえ、できなくなった人もいたと聞く。

 レジには間隔を空けて並ぶ目印のテープが床に貼ってるというけれど、ほぼ凹凸(おうとつ)がないので確認できない。どのくらいの距離を保てているか推し測るのは、空間認識力が高い須依でさえ一苦労だった。

 健常者でさえ列から外れたり、気付かず順番を抜かしレジまで行ったりする人も多いというのだから、通常の視覚障害者なら尚更だ。

 それで注意を受ける場合は止む得ない。よって他の客に前へ進めばいいですか、と尋ねる等するしかなかった。

 列に並ぶ時、ソーシャルディスタンスを保とうと両手を広げるまたは白状で突けば、人に当たってしまう。その為にすみませんと何度頭を下げたことか、と嘆く障害者達の声も耳にする。

 交通機関等を利用する際、間隔を空け席に座れと言われても、当然難しくて分からない。人との距離も広がり、慣れた場所でも気付かない場合が増えた。それで線路に落ちる等の事故も実際に起こっているのだ。

 初めての場所を訪れるのが好きだったけれど、今は無理だという人もいる。トイレの場所を探す時、近くの人に肩かひじを貸して下さいと手助けを求めてきた手段が使えないからだろう。

 それに輪をかけ、困っていても声をかけてくれる人が少なくなった。それどころか通勤や出前等で使う為に交通量が増えた自転車にぶつかられたり、邪魔だと舌打ちや怒鳴られたりするケースもある。

 わざわざこんな時に出歩くなと文句を言われ、酷くなると蹴られたりもするのだ。感覚が他の障害者より鋭い須依でさえ、そうした人に遭遇する危険を伴う。

 悲しいけれど、それが現実だった。通常の障害者ならじっと神妙にし、恐怖に怯えるしかないだろう。

 そうした背景もあり、会社の玄関から地下鉄の入り口に近い通路との間にある、待ち合わせにも使われている場所で彼一人が見張ることになった。

 ただし気の強い今の須依は違う。舌打ちされたら同じく舌打ちし、怒鳴られれば怒鳴り返せる。また白杖を蹴ろうとしても気配を察知するのですっと引き、自転車とはぶつかる前に脇へ避けられた。

 といっても、この状況で余計なトラブルを起こす訳にもいかない。その為須依は比較的客が少なくそこからやや離れた喫茶店へ入り、スマホを持って待機するよう告げられた。

 部長が現れた際は、彼がこちらに電話をかけ通話状態にする予定だ。イヤホンで話を聞きながら会計を済ませ、彼の元に向かえば間に合うだろう。そこで合流し加勢する段取りとなる。また待ち時間の間、定期的にメールで状況報告を受けることとした。

 四十四歳の井ノ島の上司で部長ともなれば、少なくとも五十前後から上だろう。さすがに五時を過ぎて出てきた人の中には、そうした年齢の男性は誰もいなかったらしい。

 六時を過ぎても主に出てくるのは女性社員が多いようで、結局八時を過ぎた。だが中条らしき人物は見かけないという。彼も自信がなくなったのか、弱気な文章を打ってきた。

― 見逃したかもしれない(泣)―

 須依は三杯目のコーヒーに手を付け、励ましの意味で返信した。

― 部長クラスなら、帰宅するのはこれからのはずですよ ―

 そうしたやり取りをしている内に電話が鳴った。既にセットしたイヤホンは耳に装着していた為、素早く通話モードにする。

「来た」

 短い呼びかけだけがした。須依は素早くスマホをポケットに入れ立ち上がり、伝票を持って会計を済ませ店を出た。すると繋げたままのスマホから彼の話声が聞こえた。

「中条部長ですね」

 相手は答えない。マスコミと気づき、無視するつもりだろうか。周囲の人とぶつからないよう注意しながらも、頭の中に描いた地図を辿り、急いで彼の元へと向かった。

 今逃せばその後は警戒され、次に取材しようとしても無理だろう。だから何としても、このワンチャンスを活かさなければならない。

「私はあなたの部下である、井ノ島さんと付き合いがあるものです」

 絶対に食らい突こうとする、彼の必死な思いが伝わったらしい。

「井ノ島だと。彼とどういう関係なんだ」

 ようやく立ち止まったらしい。烏森はその隙を狙い言葉を重ねた。

「彼の妻である詩織さんとも繋がりがありましてね。ここだと人通りが多いですから邪魔になります。少し脇に寄りましょうか。あの柱の陰辺りでは如何ですか」

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