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辞職したヒロインと辞職したい攻略対象

 アメリィはひとつお辞儀すると、廊下で待つメイドに何か注文を付けて戻ってきた。

 既にソファに腰掛けていたレオポールに「失礼します」と断って、アメリィも向かいのソファに腰を下ろした。


「それで、ええと…すみません。先程のお言葉がよく理解出来なくて…。あの、大変不敬かとは思いますが、もう一度伺ってもよろしいでしょうか?」


 レオポールは不審そうに眉を顰めてアメリィを見た。


「君は転生者ではないのか」


 出会いイベントに来なかった事こそが何よりの証拠だとレオポールは思った。


「え、ええと…?」

「だから、前世の記憶があるんだろう!?日本人の!」


 中々話が通じない事に焦れたレオポールが少し大きい声を出した。アメリィは目を丸くして、口元を手で押さえた。


「もしかして、“夢の中の国”のお話でございましょうか?」

「ゆ、夢の中の、話?」

「あら、ち、違うのかしら」


 アメリィは恥ずかしそうにそっと頬を染める。


「いや、その話詳しく聞かせてくれ」

「承知致しました」


 「酷い妄想だとお思いになるでしょうが…」と前置きして、アメリィは10歳まで毎日見続けた夢の話をかいつまんで話した。


「そして“夢の中の私”が息を引き取ると、夢は時々しか見なくなりました。今も…そうですね、月に1、2回くらいのペースで見ます」

「その、夢の中の貴女はゲーム等は嗜まれましたか?」

「ゲーム…ですか?ええと…弟とよく喫茶店で…こうテーブルの…そう、○ンベーダーゲームをした事がありますわ。あと孫に請われてス○ッチをプレゼントした時はよく一緒に遊んだ記憶がありますわ」

(き、喫茶店でテーブルゲーム!?孫!?確実に前世の親世代より上!しかも結構長生きしてるっぽい…)


 そこにドアをノックする音が聞こえた。

 失礼します、と断ってアメリィが立った。ドアの外ではメイドがお茶の準備を揃えている様だった。アメリィはカートごと受け取り再びドアを閉める。

 紅茶かアイスティーが出されるかと思ったら、アメリィはグラスの縁に塩を付けて、ピッチャーからレモネードを注いだ。


「あまり、汗をかいていないようなので。沢山飲んで下さい」


 フェルヴェールが毒見をしてから、口をつける。

 濃い塩味に、甘めのレモネードがすっきりと感じる。一気に煽って、レオポールはほっと息をついた。自分が随分と乾いていた事に驚いた。

 アメリィはにこっと笑ってお替りを注いだ。フェルヴェールと自身の分も注ぎテーブルにならべる。


(前世から、本当この手の体調の変化に鈍いな俺は…)

「ボードル領のレモネードは夏みかんなんですよ。それとこちらもどうぞ」

「これは…」

「桃のゼリーです」


 ハーフカットした白桃のコンポートがゼリーに閉じ込められている。口に含むとよく冷えていた。


「…美味しい。この国でゼリーは初めてだ」

「うふふ。ボードル領では膠は沢山あるのですが、ゼラチンに加工していなくて。言ってみたら料理人が頑張って作って下さったんですよ。夏に食べるとやっぱり美味しいですよね」


 またもため息が溢れる。数口食べると頭がスッキリしてきて、気がついた。


(よく見ると飲み物にもゼリーにも…彼女が触ったり近づいた物に金の粒子がついている。これは浄化の魔力そのものか。イラつきや、胸のモヤつき、寝不足の頭も晴れて冴えている)


 無心で平らげると「私の話も聞いてもらえるだろうか」と切り出して、さっきとはうって変わった落ち着いた体で話し出した。

 話の内容は主に国の状態と浄化の魔法が必要である事。アメリィがその浄化魔法の使い手だという事を前世の記憶から知っているという話だった。


「私が?浄化魔法の、使い手?」

「ああ」

「あの…その浄化の魔法というのは何でも綺麗に出来るのですか?本当に、何でも?」

「あ、あぁ」

「では落とした串焼きも?」

「は?」

「1度落とした串焼きも、魔法を使えば食べられるという事…?いえ、待って。そうよ。化粧水用の瓶!煮沸消毒していたけど、魔法で消毒出来る?なんて事なの!!薪代が浮くわ!」

「ぶはっ…!」


 言われてる意味が理解出来ずフリーズしてしまったレオポールだが、フェルヴェールの吹き出す声で我に帰った。振り返ればフェルヴェールは腹を抱えて震えていて、自分が聞いた内容は空耳では無かったのだと理解する。


 アメリィもフェルヴェールの声で我に返ったらしく、頬を赤くして俯いた。

 その様子にレオポールも顔が緩むのを感じた。


「あ、あの、いくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」

「構わない。聞こう」

「夢の中の国では、特にこの国は有名ではなかったと思うのですが、殿下はどのようにしてお知りになったのでしょうか?それと、その“寝取りヒロイン”とはどう言う意味なのでしょう…?」


 言いにくさから避けた事を真正面から突っ込まれて、レオポールはなるべくオブラートに包んで話し出した。


 姉の手伝いをしていた話。プレイしていたゲームの話。この世界はそのゲームの登場人物が全て出てくる話。アメリィは主人公で、恋に落ちた攻略対象と浄化の旅に出る話。攻略対象には全て妻か婚約者、恋人がいて、主人公は略奪恋を楽しむ18禁ゲームである事。


 話しているうちに段々前世の己が乗り移ったかのように猫背になって行く。

 そうして死因の話をした時には、完全に黄昏れた雰囲気を醸しだしていた。レオポールには無い、眼鏡を押し上げる仕草までついつい出てしまう。


「と、言う感じです。はい」

「まぁ…私がゲームの、ヒロイン…?掠奪…ですか」


 アメリィはよく理解出来ないと首を傾げた。

 レオポールは話し終えると欠伸を噛み締めた。


(やばい。落ち着いたら眠くなってきた…)


「気がきかず申し訳ありません。急ぎ部屋を用意させますね。湯は使われますか」

「お願い出来ますか」

「勿論で御座います」


 アメリィが部屋を出ると、廊下で待つメイドの隣でソワソワとアルメーヌが立っていた。


「お姉さま?」

「あ、アメリィ!大丈夫なの!?」

「うふふ。大丈夫です。それよりお姉さま、殿下はお疲れのようです。あの北の涼しい客室の手配お願い出来ますか?」

「あの部屋ね!任せなさい」

「コレットは湯の用意をお願いね」

「かしこまりました」


 それからマルスに父か兄の未使用の着替えを出してもらい、町の仕立て屋にも大急ぎで注文を出した。




「では、晩餐の時にお声かけしますね。ごゆっくりお休みください」


 部屋に通されたレオポールは草臥れた旅装束を脱いで、湯の張ってある盥の中に座った。袖捲りしたフェルヴェールが手桶でレオポールの頭に湯をかける。


「疲れた…」

「本当ですね。ホッとしたら余計に疲労を感じます」

「私は…間違っていたのだろうか。話してしまって良かったのだろうか」


 アメリィ・ボードルは優しい女性であった。落ち着いていて、気配りも出来た。

 レオポールは「18禁」と「転生」の先入観でアメリィ自身を決めつけていた事に罪悪感を覚えていた。


「よろしいのではないでしょうか。私も危惧していたような人物でなくて安心する事が出来ました。彼女なら殿下のお力になって下さるでしょう」

「そう、だな。それは大事だ」


 汚れを落とすと、湯と一緒に運ばれてきた軽食のサンドイッチを一切れ食べる。テーブルにはまたもレモネードのピッチャーと並々注がれた水差しが。

 苦笑して、レモネードをコップ一杯飲み干し、ベッドに横になった。

 瞼は一瞬で落ち、泥のように眠った。


 夢は見なかった。




***




 レオポールが目を覚ますと、辺りは薄暗かった。


「…夜明け前?」


 目も頭も体も、全てがスッキリしていて、なんならお腹がぐぅと鳴った。

 随分長く寝ていた様な気もするが、そうでもなかったのだろうか。


「夕暮れです」

「ぅわぁ!?」


 薄暗がりからぬっと現れたフェルヴェールに心底びっくりした。それくらい気が抜けていた。


「え、あ?夕暮れ?」

「そうです。軽食食べて眠って、日が暮れて、朝日が上って、お昼が過ぎて、再びの夕暮れ。今ココです」

「お、ぉお…。他人ん家で爆睡してしまった…」

「起きたのなら晩餐に出ましょう。皆様随分と心配されていますから」

「晩餐の服なんて持ってきてないぞ」

「昨夜のうちにこちらの執事が用意して下さいましたよ」

「仕事が早い。有能だなぁ。もうボードル領に好感しかない」

「そうですね。先入観で喚き散らした殿下の好感度が一番低そうです」

「…疲れてたんだ。寝不足だったんだ。以後気をつける」


 身支度をしながら雑談を交わし、情報も伝えておく。


「今ボードル領にいる領主一家はアルメーヌ様とアメリィ様のお二人だけのようです」

「二人だけ?あぁ、帝都の領主会議か」


 鉄道計画の中止をもぎ取ったのもそれだ。その後無茶な早馬でボードル領へ来たのだから、領主が戻っていないのも当然である。


「情報交換や社交をこなし、お戻り予定は10日後と伺っておりますが、昨日のうちにアルメーヌ様が知らせを出して下さったそうです」

「家令でなく?」

「ええ、ボードル家の“あだ名”はご存知でしょう?」

「“お祭り男爵”な」


 社交界ではかなり馬鹿にした言い様であったが、ボードル家的には「お祭り男爵上等」だそうで、全員が祭りを仕切れる教育をされる。


「未成年であるのにご立派な差配力です」

「なるほど」

「ですから晩餐の席で領主が戻るまで滞在出来るよう話して下さい。帝都より此処で領主と話してしまった方がアメリィ様の浄化魔法の事やこの先いらして頂く話がスムーズかと。ファンティモンド殿下には既に不在を任せる文を出しています。十数年振りの休暇といたしましょう」

「ふ、悪くない」





 晩餐は恙なく終わり、休暇をここで過ごしたいという滞在希望も無事通った。

 


 たっぷり眠った後なので、数年ぶりに頭が冴え渡っている。夜風にでも当たろうとバルコニーへ出ると、そこには先客がいた。


「アメリィ嬢」


 アメリィはレオポールの姿を見ると腰を落としてさっと横にずれ、バルコニーの一番良い場所を空けた。


「別に構わないよ」

「恐れいります」


 庭を見渡すも、沈黙が気になりアメリィを振り返る。アメリィもレオポールを見ていて、ばっちり目が合った。


「何か?」

「あの、この前のお話の続きをしてもよろしいでしょうか?」


 一通り自分の話をして眠くなってしまったんだった、と恥ずかしいあの日を思い返しながら「いいよ」と答える。

 アメリィは視線を彷徨わせながら、言葉を紡いだ。


「あの、ゲームのお話、自分なりにですけどきちんと考えました。殿下の危惧されている事は、私が沢山の方と恋をしたり好き勝手して、浄化を疎かにするのでは?という事ですよね?」

「まぁ、アメリィ嬢には失礼だったと思うが、有体に言ってそうだ」

「なら、お父様が戻り許可がおりましたら、直ぐに帝都へ向かいましょう。国に今直ぐにでも浄化が必要な事は私も新聞で理解しています。浄化をきちんとすれば殿下の憂いを減らす事が出来ますよね?何より私は13歳。ふふ、えっちなヒロインにはなれませんわ」


 ストンとした胸を反らすアメリィが、やたらキラキラしく、レオポールはくらりとした。


(か、可愛……っくそ!ヒロインのポテンシャルが高すぎる!…ダメだ…俺は20歳、俺は20歳。落ち着け俺。あああ「20歳が13歳に一目惚れとかナイナイ(笑)フィクション乙」とか言ってた俺、今直ぐ死んでくれ!いや、死んでたわ!!)

 

「あ、でも13歳だと皇宮に出仕は難しいのでしょうか?」

「…いや、何事も特例はある。そちらは俺が手を回そう」

「では、私はヒロインのお役御免ですね」


 悪戯っぽく笑ったアメリィから、目が離せなかった。




***




 次の日からレオポールは朝ゆっくり起きて、庭や町を散策するというのんびりした一日が始まった。

 フルコースの晩餐は、毒見と給仕をするフェルベールの負担を理由に断りを入れた。すると次からは籠盛りのパンにサラダとスープ、それと肉料理が一気に出てくる夕餉になった。

 狩猟祭後だからパンが出ない日であっても肉がとにかく盛り盛りで、熊の煮込みと鹿のローストと兎の丸焼きが出た時は笑った。


「今日はパンが無くて申し訳ありません」

「いや、これはこれで良い。この組み合わせはここ以外では食べられなさそうだ」

「ボードル領では小麦の生産がなくて。小麦の他に飼料や飼葉なんかもモンブロー領から買ってるんです。けど今年は特に不作みたいで入ってこなくて…」

「ああ。モンブローか」


 モンブローはペルピナ伯の命で過剰な木の伐採を行い妖精の怒りを買った土地だ。特にここ半年は“妖精の悪夢”が蔓延り始めて、領民がまともに仕事をできていない。春の収穫は散々であったようだ。


(モンブローの不作は今後暫く続くだろうな…)

「小麦に余裕のある領が幾つかあったな…休暇が明けたら男爵宛に資料を送ろう」

「ありがとうございます。とても助かります」




***




 殿下が滞在されて4日目。

 今日は町へ下りてみたいと、レオポールとフェルヴェールは連れ立って出掛けて行った。メイドを付けるか聞いてみたが断られ、護衛を1人だけ連れて行ったので男性だけで楽しみたいのかもしれない。


 そんなわけでボードル邸では久々に女性陣が深く息を吐いた。


「はあぁー。みんなお疲れ様。特に殿下付きに回ってくれたジレニスは本当にご苦労様」


 今現在ボードル邸には、アルメーヌ付きのジレニス、アメリィ付きのコレット、それから通いの下女達の統括を任されているベルの3人しかメイドが居なかった。筆頭メイド含めた全メイドが、帝都でパーティを開くための人員に動員されてしまっているのだ。

 よってジレニスをお客様接待に回して、コレットがアルメーヌとアメリィを担当していた。

 洗濯、掃除、料理のチェックをするベルも気を張りすぎてヘトヘトである。

 正直、ホストとしての役割が無ければアルメーヌもアメリィもメイドに回ったくらいである。


「いや、王太子殿下のお世話は全てフェルヴェール様がしてらっしゃいましたよ。シーツからお食事、お風呂まで。私はフェルヴェール様のお手伝いしかしてません」

「それでも疲れたでしょう?お父様にボーナスくらい頼んでおくわ」

「それは有り難くいただきます」


 女性5人でテーブルを囲み、ぐったりとドライフルーツを摘む。姿勢が悪くても汚れない、良いおやつである。


「私は結構綺麗好きな方ですが、これ程強迫観念に駆られながら掃除したのは初めてです」

「ベルさん、ジレニスさんすみません…私が一番楽をしてしまったかもしれません」

「いや、コレットも2人分の着付けやヘアセットを毎回短時間で仕上げてるんだから大したものよ」


 愚痴や称え合いをひとしきり吐き出し、アルメーヌはパンッと両手を打った。


「よし!休憩終わったら、殿下達が出掛けていらっしゃる間に手分けして仕事終わらせてしまいましょう!私は掃除のチェックにいくわ」

「では私は厨房の方に。ジレニスは備品と殿下達の部屋のチェック、コレットはアイロンをヨロシクね」


 アメリィも立ち上がる。


「では私は洗濯の様子を見て来ますね」

「え、アメリィ外に行くの?1人付けましょう」

「お姉様、忙しいんですもの大丈夫よ。外と言っても屋敷の裏手だもん」

「そお?何かあったら叫ぶのよ。マルスにも言っておくから」

「お姉様ったら心配性なんだから。行ってきます」


 一度部屋で布の少ないワンピースに着替えてから洗濯場へ向かう。

 いつもだったら汚れ物のみしか洗濯に出さないが、レオポールとフェルヴェールの部屋はリネン類全て毎日替えているので洗濯物が倍に増えていた。


「ネネ、どうかしら?」

「お嬢様!」


 領主一家の殆どが居ない今、洗濯婦は1人か大物洗濯の日でも2人。今日は1人の日だ。

 山盛りの洗濯物に囲まれ一心に手を動かすネネの隣にしゃがみ、アメリィも洗濯板を手に取った。


「手伝うわ」

「申し訳ありません!ですが…本当に助かります…お、終わらないかと思った…」


 大きい物や扱いの難しいものはネネに任せて、小物を黙々と洗い、お昼過ぎにはなんとか終わった。


「お嬢様、ありがとうございました!片付けは私がしますのでもう大丈夫です」

「ネネもご苦労様。あと3日くらいだと思うんだけど…ごめんなさいね」

「とんでもありません」


 後をまかせてアメリィは屋敷への入り口へ向かった。脚にまとわりつく濡れた裾を払ってから、うんと伸びをした。

 青い空の果てを眺めてレオポールを思い出した。


(前世…あれは私の前世。そして殿下も前世の記憶があるとおっしゃっていたわ。私だけじゃない。私は頭のおかしな娘ではない。ちゃんとお父様とお母様の子供よ)


 ずっと悩んでいた事に、やっと自分の心が納得して落ち着いた。



 そんな事を考えていたからか、気付くのが遅れた。


「はっ、お前はいつも見窄らしい格好だな」


 ドク、と鼓動が軋んだ。そろそろと顔を上げると、半年でより背の高くなったエドガールがそこには居た。


「な、何故、貴方が」


 一瞬で冬の記憶がよみがえる。


(いいえ、私はあれからきちんと淑女教育を受けてるわ。前世の記憶だって私だって受け止められた。この半年で私は強くなった。落ち着いて。大丈夫)


 ひとつ深呼吸するとアメリィは微笑みを浮かべた。


「申し訳ありません。急なお越しだったものですので、着替えて参りますね。当家にはどのような御用で?いま執事をよこしますので」


 お待ち下さい、の言葉を言う前にエドガールは距離を詰め、アメリィの手首を強く掴んだ。


「なっ…!?」

「例年通り、祭りを行ったらしいな」


 エドガールの目には強い憎しみが浮かんでいた。


「こんな片隅の、辺鄙な小領地で小麦すら作れないくせに!隣なのに、何故!いつも通りなんだ!」

「なにを…」


(あ!殿下とお姉様が話していたモンブロー領の不作の事!?普通の、天候が悪くて不作なのではないの?)


「モンブローとボードルは仲がいい?はっ、父上も異なことを!真に仲が良いのなら、祭りなどに税金を使わずこちらを支援するだろう!モンブローを助けないボードルなど必要ないわ!潰れてしまえ!!」

「いっ…」


 捕まえた手首を引かれ草の上に尻餅をつく。

 上から迫るエドガールに、アメリィの喉は錆びついたように軋んだ。


『何かあったら叫ぶのよ』

(お姉様!!)


 身を縮こまらせて、両目をぎゅっと閉じる。

 また蹴られるかも…!と衝撃を覚悟したが、聞こえたのは「バシャッ」という水音だった。一拍遅れてアメリィの頬に飛沫が飛ぶ。それはふわりと、馴染んだ夏みかんの香りがした。


「アメリィ嬢のレモネードをこのように使うのは遺憾だが、妖精の悪意は払えたようだな」


 そっと顔を上げると、エドガールの後ろに水筒瓶を逆さにもったレオポールがいた。

 レオポールは空の瓶をフェルヴェールに渡し、アメリィの前で跪いた。薄青い髪がさらりと靡く。


「あぁ、済まない。少し飛んでしまったか」


 そういって、親指でアメリィの頬を拭った。

 その、指の温かさに。アメリィを見る瞳の優しさに。

 アメリィの胸はどきりと高鳴った。


「怪我はないか?」

「は、はははい…。あうあり、ありがとうございます…」


 あまりの動揺に嚙みまくったのをレオポールは恐怖の為だと勘違いした。


「怖かったろう?大丈夫だ。君のレモネードはどんな穢れも浄化出来…」

「き、貴様!どこのどいつだ!この俺がモンブロー子爵家の長男と知っての狼藉か!?」


 声を荒げたエドガールの顔をレオポールは不思議そうに見た。パチパチと瞬いた後でポツリと溢した。


「なんだ、普通に性格が悪いのか」

「ぶふっ…」

「なっ!?きっさま…うわっ!?」


 吹き出した声は誰のものか。

 フェルヴェールが肩を震わせた護衛に指示を出し、エドガールは捕縛された。


「やめろ!離せ!」


 エドガールのでかい声を聞きつけて、アルメーヌも邸から走り出てくる。


「何があったの!?アメリィは無事!?」

「お姉様!」


 事のあらましを聞いたアルメーヌは即刻エドガールを敷地から追い出した。


「お前…覚えていろ!」

「貴方こそ覚えていなさい。父上と子爵様にきっちり報告させてもらうわ。さ、町の外までお見送りして。必ず、外に出すのよ」


 ボードル家の護衛が子爵家の馬車に付いて行ったのを確認すると、アルメーヌはレオポールの前で膝をついた。


「皇太子様、アメリィを助けて下さりありがとうございます。休暇にお手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした」

「よい。立ちなさい。無事で何よりだ」

 

 アルメーヌは立ち上がって礼をとると、アメリィに近寄った。


「怪我は…無いわね」

「騒いでごめんなさい」

「違うわアメリィ。無礼者には毅然と対応しなくてはダメ。お祭りで騒ぐ酔っ払いなんてもっと酷いわ。いい?あれくらい平手で黙らせないと立派なボードル(お祭り)一族にはなれないわ!謝るとしたら、“負けてごめんなさい”よ!」


 姉の教育にアメリィは鼻息を荒くして拳を握った。


「うん。負けてごめんなさいお姉様!次は負けないわ!」


 しゅっしゅっと拳を突き出すアメリィの傍らで、何故かレオポールとフェルヴェールが肩を震わせて遠くの空を見ていた。




***




 三日後。

 ボードル領主夫妻が慌てて帰宅した。長男夫妻は残って約束済みの社交をこなしてからの帰宅らしい。とはいえ使用人達も5人程一緒に帰ってきて、メイド達は手を取り合って喜んだ。


 男爵はレオポールへの挨拶もそこそこに、2人で応接室に籠り、部屋から出てきた時にはアメリィの帝都行きが決定していた。


「家族とアメリィ嬢付きのメイド以外には浄化魔法の事は漏らさない様に話がついたよ。正直、今浄化を必要としている領地は1箇所や2箇所ではない。もし君の存在を知れば誘拐してでも欲しいだろうからね」


 庭を散歩していたアメリィにレオポールからそう話しかけてきた。


「男爵殿も帝都にいたからね。あの惨状を見たんだろう。君の帝都行きを心配はしていたけど止めはしなかったよ。先日の子爵令息(ぼんくら)の事もあるし護衛は惜しまないよ。帝都での保護者は私が務めるから安心して」

「殿下自ら!?お、恐れ多いです」

「それくらい君が大切なんだ。絶対に奪われるわけにはいかないからね」


 優しい微笑みを向けられてアメリィは頬が熱くなるのを感じた。


(やだぁ、イッケメ〜ン!!夢の中と合わせてもこんな男前初めて見たよー!あぁ、ホストにハマっちゃう人ってこんな感じなのかしら?ってダメダメ大切なのは浄化魔法の事だから。落ち着け私。そもそも殿下は例の“攻略対象”とやらなんでしょう?絶対好きになったらダメな人じゃない)


 帝都への日程を確認しながら歩いてると、急勾配で山肌の出た場所の前を通りかかった。邸から随分離れてしまったらしい。ぐるりと周ると上は領主の牧場になっている場所だ。


 戻りましょうか、そうアメリィが声をかけようとしたが、レオポールはその山肌にそっと手を当てた。

 一瞬、ふわりと薄青い髪が舞い、瞳が煌めいた。

 声掛けを躊躇う、気高い横顔に息を呑んだが、その顔は直ぐに少年の様な笑顔に変わった。


「いいもの見つけた」

「え?」


 大きく目を見開き、口の端は大きく弧を描いて、ちらりと犬歯が覗く。その顔は何よりもアメリィの心を掴んだ。


 レオポールの指先の土がボコボコと湧き出す。

 そうして土の中から飴色の艶やかな塊が飛び出してきた。


「見て、アメリィ嬢!妖精琥珀だ」

「妖精、琥珀?」

「知らない?妖精の化石なんだよ。ほら、中を見て。魔力の結晶が金箔みたいに閉じ込められててキレイだろう?」

「お、お詳しいのですね」

「前世では考古学者になりたかったんだ。そのせいかついね、勉強しちゃうや」


 あはは、と苦笑して、レオポールはあどけない一面をまた仕舞った。


「これは君にあげるよ。男爵領の物だしね」

「あ、ありがとうございます」

「こちらこそ、楽しいひと時をありがとう」


 石を両手で握りしめて、アメリィは言葉を探した。何か。何か、言いたい。そう、私だって夢の…前世の影響を受けている。やりたい事を出来る範囲でやっている。それはいけない事?いいえ、幸せはいい事。では、殿下の幸せは何?


「あの、早くお世継ぎが生まれるといいですね」

「ん?急になんだい?早く結婚しろって事か?はは、最近はよく言われるんだが…何故唐突に」

「御隠居になればもう少しご自分の自由にお時間を割けますものね」


 アメリィの言葉にレオポールは目を見開いた。


「そう…だね。全くその通りだ」


 虚を衝かれた顔をしたものの、レオポールは直ぐに貴族の微笑みを浮かべて冗談めかした。


「だけどまだ皇帝位も継いでいない。気の遠くなる話さ」




***




『あんた真面目ねぇ』


 真面目はよく言われた。親に友に、時に褒められ、時に感心され。それは善の言葉だったが、姉が言う時だけは違った。

 呆れ。“仕方のない子”という響き。

 そんな俺に、姉は18禁ペラ本の手伝いをよくさせた。


『あんた、まだやってたの?キリがいいところで仮眠しな』

『姉貴が明日までだって』

『さっきマコが仮眠から起きたから大丈夫。あんたもーちょっと人に任せれば?あたしみたいに〜』

『…姉貴はもうちょっと自分でやってくれ』

『あははは〜』


 今思えば、あれは姉なりの教育だったのだろう。ちょっとは面白可笑しく生きてみろ、との。多分。……違うか?いや、そう信じておこう。うん。


 自分はレオポールになっても真面目に生きてきたと自負している。国を滅ぼさない為に全力を尽くしてきた。人に頼らず自分で動いて。


 だけどそれって“王様”かな?


「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人…か」


 フェルヴェールが茶器をテーブルに置く。


「何かおっしゃいました?」

「フェルごめん。俺皇太子辞めるわ」





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