船員達の処遇
ペンペンに集まった民衆を 東町や西町へ輸送する仕事を終えた天海号。
船員達が天海号に乗り組んで約半年、
寄港しても、身の衛生を保ったり 補給したりの作業に追われて 上陸休暇らしい休暇はなかった。
寄港先での自由時間がなかったのは、機密保持と保安上の理由からでもあった。
もともと 花家の仕事、特に天海号のテスト航海はそういうもんだという認識だったので、特に不満もでなかったが、さすがに 半年も船に閉じ込められていたら
うんざりもしてくる。
◇
東町や西町への運送業務の合間に、天海号では幹部会も開いた。
夜になると、ペンペン入港中の船にフローラがやってくるのだ。
「今後 天海号を使って 客船や貨物船としての定期運航をするなら
船員達にも それなりに 上陸休暇の過ごし方や 寄港先での息抜きについても教育しなくてはならん」コチ
「花家のものは 外の暮らしへの免疫がないですからねぇ」フローラ
「これからは 天海号の船員を狙って、陥しにかかる輩も跋扈するでしょう」タンタン
「ハニートラップ対策なんて 俺 知りませんよ。
補給のために寄港するだけでも、船員達の管理と警護がたいへんなのに
自由行動を前提とした上陸休暇の時の警護なんて どこまでやればいいんですか?」キョ―シロー
キョーシローからすがるようなまなざしを向けられたシノは平然と言った。
「私が請け負ったのは 天河家領主の警備のみ。
天海号の船員のことは知らん」
「しかたがない。
とりあえず 1週間、入り江に停泊して、
その間に 船員達を交代で上陸させる。
接岸すると 船の警備が面倒だから、入り江の中ほどに天海号を停泊させ
通船を使う。
上陸中の船員達のお守りは フローラ、君にまかした!」
とうとうコチは、「天海号乗員たちのペンペンでの休暇」案件を丸投げした。
◇
コチの要望により、花一族の土地(「花峡谷」と最近命名された)から
30年前のテスト航海の時に乗船していた航海士たちが 小型帆船を操って
ペンペンまで来ることになった。
速い話が、
天海号をいつまでも南の入り江に浮かべているのは目立つし
船のメンテにも差し支える。
かといって接岸していたら、単なる好奇心から悪意ある侵入者にいたるまで
いろんな者が忍び寄ってくるのを防ぎれない。
しかも ペンペン港には 大型船の補修施設(=専用ドック)がない。
ペンペンから花峡谷の間の海岸線をさらに詳しく調査するには 小型船の方が便利
今回の天海号の航海には 航海士志望の若者を多く船員として乗船させたので
沿岸調査には小型船の操船に長けた熟練航海士を使いたい
自分は 天海号と乗組員を率いて さっさと花峡谷にもどり、
船のメンテも含めた「大型船の扱いに関する次世代育成訓練としての
新造船天海号のテスト航海」を終了させたい。
天河家との新たな契約「ヒノモト国の南海岸の調査」については
キョーシローと現在花峡谷に居る熟練航海士たちに任せたい
というのだ。
これは、東町や西町への運送業務の合間に、コチとキョーシローで話し合って決めたことらしい。
◇
花峡谷との連絡には、伝書鳥が活躍した。
花家からぺんぺん見物に来た若者たちが、「花家に向かって飛ぶ伝書鳥」を運んで来ただけでなく、
前回 イモがフローラに会いに来た時には、「ペンペンの領主館に向かって飛ぶ伝書鳥」を花峡谷に持ち帰っていたらしい。
私は、館で伝書鳥を飼っていることにも気づかなかったし
天河家ゆかりの者達の間で、地下トンネルだけでなく 伝書鳥の輸送と伝書鳥通信網まで これほど使われていることも知らなかった。
(うわー 領主として学ばなければならないことが 次から次へと・・)
鳥の帰巣本能を利用した伝書鳥システムを運用するには
飛距離を伸ばすために、「拠点から 徐々に離れた場所へ鳥を運んで放鳥する」訓練もしなければならないだろうに。
ランダムな旅先から本部に伝書鳥を飛ばすには、
夢の世界の修道院システムのように、リレー式伝達の定点伝書鳥飼育・放鳥方式とは違う訓練方法が必要なのではないだろうか???? どうなんだろう?
この二つのシステムそれぞれにあった鳥の性格とか、飼育・訓練法とかってのもあるんだろうか?
気になる!
※ 土日休日は 朝8時
月~金は 朝7時の1回投稿です
(下記の補足に対する追記:2023年4月16日)
file:///C:/Users/micro/AppData/Local/Temp/MicrosoftEdgeDownloads/6077f46a-0530-4d36-a818-5d3b2dc3bd3b/ti75_5%20(2).pdf
桃山学院大学教授 深見純生シ「ジャンク船の南海進出」によると
〇伝書鳩の起源はペルシアにあり、中国には玄宗期にペルシア船が伝えたと言われる
李肇の『唐国史補』が、鑑真から少し後の 8 世紀後半から 9 世紀初め頃の広州の様子として、
〇南の海から来る「南海船」はすべて中国以外の国の船である
〇毎年安南や広州に来る
〇師子国(シンハラ=スリランカ、https://kotobank.jp/word/%E5%B8%AB%E5%AD%90%E5%9B%BD-1330214)の船が最大で,はしごで数丈を上下する
〇海に出帆する船舶は必ず白い鳩を飼い,伝信用にしている。
もし船が沈没したら,鳩は数千里の距離があっても必ず戻ってくる
と書いている そうです。
(なぜ 先に投稿した補足部分より前に このような形で追記することになったかの説明は
私の活動報告、https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3139202/に書きました。
すみません ややこしいことをして)
(補足)
伝書鳩の使い方2タイプ
①通信兵や斥候が 鳩をかかえて出向する。
出先から 抱えて来た鳩を放って 拠点に報告を入れる
この手の鳩は 飛距離を伸ばす訓練のために、イギリスの場合 汽車の車掌に鳩を託して
指定駅まで鳩の入った籠を運ばせ、目的駅までついたら、車掌は放鳥していた。
(アーサー・ランサムの作品だけでなく ほかのイギリスの児童文学の中でもこの描写はあり)
②修道院式伝書鳩リレーについて
→Bに向かう鳥 →Cに向かう鳥
A ←馬車でBからAに鳥を返送 B ←馬車でCからBに鳥を返送 C・・・・X
伝書鳩には能力差がある。
それゆえ 大多数の鳥が確実に帰巣できる間隔で、伝書鳩の飼育&待機場所を設ける
伝書鳩の足のリングに細くまいた通信文をはさんで放鳥するのだが、
その紙の外装に宛先をしるしておく。
AからXに通信する場合、中継点にあたるBC・・・は、受け取った通信文を、隣の中継点行の鳩の足に付け替えて放鳥する。 そのようにして最終目的地Xまで 通信文をとどける。
カトリック教会では欧州各地に展開する修道院で このようにして伝書鳩連絡網を展開していたようだ。
戦前、日本でも愛国少年達が伝書鳥の飼育していた(各地に自伝的証言記録あり)
しかしその実態が語られることがなかった。
ただ あまりにも広範囲・小規模に伝書鳩を飼育していたので
「ひな鳥を育てるにしても小規模すぎる
一般人である少年達に伝書鳩の訓練ができるのか?」 と非常に不思議だった。
が、ヨーロッパの修道院の記録を読んでいて、伝書鳩通信網のことを知った時に
もしかして 愛国少年たちが飼育していた伝書鳩というのは、
日本国内の伝書鳩通信網の鳩のことだったのか??
それならば 活動実態について全く語られることなく(軍事機密)
「愛国少年」と「伝書鳩の飼育」が一対で語られていた理由が解る気がする! と思った。
そしてまた 日本の主要都市に伝書鳩の子孫がいた理由も。
子供のころ 公園にしかいない鳩(ドバトと明らかに色や形が違う)が、
都市の公園には かならずと言ってよいほど群れており、やけに人なつこく
政令指定都市以外の市町村の公園には全くと言っていいほどいなかったことが不思議で、
親に尋ねたら、ものすごく言いにくそうに、
「戦争が終わった時に、家で 伝書鳩を飼っていた人たちが飼育費用の支給が止まったので、一斉に放鳥したからだ」と説明され、ものすごく不思議に思ったことの答えにもなると思った。
実際のところは どうなんでしょうね?
そして 公園の鳩の数は 10年ごとにかなり数が減って行き、最近は ものすごーく数が減って
伝書鳩系のスマートさがなくなったなと思います。
半世紀前は 公園で鳩に餌をやる人もいないのに、公園の地面を埋め尽くさんばかりに鳩がいた。
子供の私は 鳩に追いかけられたほどです。
だって 鳩を踏まないようにと鳩をよけながら歩こうとしても 鳩の方がよってくるのだもの。
大人に言わせると、「公園にいる子供は おやつを持っていることが多く食べこぼしたり、お菓子を落とす率も高いから、幼児を見ると 鳩の方から寄ってくるんだ」ってことでしたけど。
鳩の賢さをほめて 鳩に追われるこども(私)を眺めてニコニコしている大人って
ちょっと薄情ではないか?と幼心に思いましたけど、それに 私はおやつを持ってなかったのに!!
昔の大人って 危険がない限り 子供が困っていても「見守る」だけだったものねぇ。
助けを求めると「それくらい自分でできんのか? あかんたれ!」と言われるだけで(笑)
今の子育てとは まったくスタイルがちがうわ。
そして 都会の街路樹や公園に野鳥が増え、鳩が往時に比べれば激減する一方で
「鳩の糞害」に悩む地域は 薄く広く拡散していったようです。
昔は 一般の市町村には雀がいて 鳩はいなかったけど。
一時期 一般の市町村でも 日常的に鳩の鳴き声がするようになり
でもやがて それらの鳩も また どこかに住処を変えて、雀もいなくなり 代わりに雀よりも大きいサイズの野鳥を町中の電線の上で見ることが当たり前の光景になりました。




