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貧乏領主になりました  作者: 木苺
    船関係者とその家族達
89/123

「コチ」の仕事・「海の男」の人生

古の航海王とともに初代天海号を操って行った航海士たちが引退したときは

一村領主として ヒノモト国の東側一帯にちらばった。


古の航海王亡きあとは、大型船が公式に就航することがなかった。


それゆえ 内陸部の一村領主となった航海士たちの子孫の多くは、陸暮らしになじんで 海に出ることなく生涯を終えた。


例外は 船長の子孫であるコチの一族である。


「コチ」というのは もともと初代船長の名前であった。

それゆえ 子孫たちも 新しい天海号のテスト航海の船長を務めるときはコチと名乗り、新たな船長が誕生するまでは「コチ」として、当代の航海士とその家族の取りまとめ役を務めた。


そうこうするうちに、「コチ」が一族の代名詞となってしまい、

一村領主「コチ」は、初代天海号の航海士や船員達の末裔の取りまとめ役(総代)のような立ち位置になってしまった。



一村領主の家に生まれた子供達の中には、先祖の話を聞いて自分も船乗りになりたいと願う者もいた。


そのような時には、当主がコチに連絡して、コチは花家に打診して、

航海士養成枠に空きがあれば その子達を花家で育ててもらった。


花家に空きがない時には、

東海岸各地で船を持っている家で船員見習いや船員募集をしているところがないか捜して斡旋した。


 「東海岸各地で船を持っている家」というのは、初代天海号の船員で

 各地の港で所帯を持った者達の末裔である。




船員がおかで所帯を持つとき、相手の女性がしっかりとした資産を持ち、自分で商売を営んでいれば、そこに婿入りするという形で すんなりと結婚生活がスタートする。

 がしかし 陸での慣れない仕事になじめなくて、海が恋しくなり、船員時代に貯めた金で船を買って、沿岸漁業や沿岸航海での運送の仕事を始めた者も多かった。


 陸での商売(奥さんが切り盛り)・海での仕事(夫)の二つの財布を持つ家は、家族としても 一家としても安定しやすい。(代替わりしても存続)


 逆に、船員時代に稼いだ金で妻をもらって悠々自適の引退生活をもくろんだ者は、

陸の暮らしに退屈して酒浸りになって妻に逃げられたり、

海が恋しくなって どこかの船に再びのってふらふらしているうちに、一人残された妻が心細い状態で死んでしまったり・・・



個人事業主として 船を持ち 船を使う商売を継承していくのは、なかなかむつかしい。


たとえば、島の人間が、それぞれに耕す畑を持ち、

村人全員が平等に使える共有林があって、そこから得る食料と薪で生活がまかなえ、

さらに自分で木を伐り、自分で丸木船を造って その船で海に出て漁ができるならば、

若者は 自分の働きに応じた生活をすることができる。

 つまり 海に出なくても最低限の生活ができ、

 さらに 海にでることにより より豊かな生活を得ることもできる。

 そして 海に出るために必要な準備は 己の体力と努力で賄える範疇にあるから。



しかし、文明が発達する=共同体の中で役割分化がすすみ、

大地の恵みである共有物の利用に制限が加わってくると、

生きるためには、金を稼いで必要物を買わねばならなくなる。


 なぜなら、文明の発達と人口増は表裏一体をなしており、

 自分達の居住地が持つ自然発生的な供給力(食料その他の自然の恵み)を超えた数の人々が

 一つ所に住まうことを意味するからである。


 だから「文明の発達」とは、

人は 大地を耕したり遠方との売買によって 生活必需品を手に入れねば生きられない状態

  &

誰もが自由にとれる「自然=天然資源」が少なくなり、

天然資源は共同体もしくは権力のあるモノの支配下におかれてしまう状態

 と抱き合わせになってしまうのである。


(だから文明の遅れた地域の貧民が 文明の発達した国(文明の遅れた人間からみたら 豊かな土地)に流れ込んでくると、

 節操なく移入・新入先の公共財や共有物に手を出し、

 己の行為が略奪行為であると理解することなく、

「俺達は差別されてる」と不満ばかりをぶち上げる厄介な存在になり果てるのである。


 しょせん 己の生まれた地で最後まで生き抜く覚悟の無い者は

 文明を築く=生産力を上げるための つらい労働と厳しい節制・社会的制約を受け入れる気のない

 「取り放題=己の欲望が最優先」の生活が当たり前 という感覚しか持ち合わせない輩なのである。

 いいかえるなら 自分達や己の先祖たちが自分達にもたらした遺産を正負あわせて丸ごと引き受ける覚悟もなく、「いいとこどり」だけを狙う無責任な考えしかできないから、

不都合やつらいことがあれば すぐに逃げ出し、

よその土地の他人の努力の成果を奪うことを正当化する糞ったれ集団なのだ。


 選択を誤れば 己や己の子孫の生活が脅かされ死滅の危機さへ訪れるという自覚がないから、

 日々己にとって楽な選択を重ねて、その結果生じた不都合が積もれば、

  平気で居住地を捨てて他国に侵入し 

 平然とよその土地の他人のモノを奪って「己の生存の必要性を満たしているだけだから俺は悪くない」と主張し

 結局 己達の腐敗した生き方を最後まで改めるようともせずに、

 世界中に不幸と大地の荒廃だけをまき散らす疫病神となる連中なのだ)  閑話休題




文明がすすむと、新しい船を入手するにも、船のメンテや整備にも金がいる。

 それも 一人の人間が何年稼いでも なかなか貯められないような額の。


つまり 船を使う商売をしようと思えば、初期投資・維持費を賄うだけの資本がなければだめ。

もし 借金して事業をはじめるなら、借金返済のための収益を上げ続けなくては破産する。


しかも、船員・航海士としての能力は 一種の特殊技能で他職(陸暮(おかぐ)らし)への転用がむつかしい。

 逆に言えば 船乗りの技能を身に着けるには、「見習い」としてその職場に雇われなくてはいけない。


その業界が繁栄していて、毎年大量の新人採用をするならば

水産高校や商船高専で系統的に若者を教育することもできる。


しかし 新人採用が「欠員補充」程度の規模でしかなければ

「見習い」として どこかの現場で働きつつ 経験と技術を身に着けて行かざるを得ない。


だが、零細企業では、どうせ雇うなら即戦力が欲しいというのが本音


仮に余力のある現場が 「見習い」を預かって育てたとしても

 見習いを仕込むほどの余力のある現場なら、熟練者の数も足りているので

 せっかく育てた新人熟練者が活躍できる場所を提供できないのも世の現実


しかも海の仕事は「板子一枚 下は地獄」というほど 天候に左右されやすい。

 これは 遭難や事故による死亡の危険を言っているだけでなく

 潮の流れがかわれば不漁になる、

 悪天候が続けば出港できなくておまんまの食い上げ

といった 経済的不安定さをもさす。


しかも 出漁しなくても船は傷む。

どころか 嵐が来れば 停泊中の船だって壊れる。


だから、漁師は 悪天候の時に 船を心配して見に行くのである。

 特に船の購入時に借金をしてその返済がまだの者ほど、

 船が傷つくこと=破産への恐怖感が増すから。(これらは保険でも十分にカバーできないから)


天気に左右されるのは農業も同じだが、

そして大型機器を投入していれば資本リスクに翻弄されるのも漁業と同じだが、


個人が使うすき・くわなどの農具と、共同利用もできた千歯こき程度の農具を使っていた時代なら、荒天被害は 「収穫を得られない」損害だけだった。

(年貢借金をのぞけば。ちなみにヒノモト国では収入ゼロの人に課税してませんw)


だが 漁師・沿岸運送業者は 昔から 船という高額な先行投資と多額の維持費のいる資産があっての商売だったので、

家業として後を継いでいくのも、後進を育てるのも より厳しい状況であったと言える。



それゆえ 各家の状況の把握に努め、

 見習い希望者と見習い受け入れ先のマッチングや、

 新人熟練者の就職あっせん。

 後継者を見つけて引退したい者と、船を購入して独立したい船乗りとのマッチングなどなど

の取りまとめ役が、代々の「コチ」の仕事であった。



なにしろ、海に憧れ、「海の男になりたい♡」と思っても

 大型船の航海士になるのと、雇われ船員になるのと、自分の船を持つ暮らしとでは

全然違うからである。


さらに、

 母港とその周辺海域で漁をしたり、近距離輸送を行うならば、その地域・海域固有の知識と技能

 流しの船員として各地を転々とするならば、操船技術に特化した腕が必要

と、身につけなければいけない技術、求められる能力がまったくことなる。




おまけに昨今では、船主には経済的センス=時機を見る目が より重要になってきている


・船の購入~廃船or転売までの

  初期投資(購入費等)・維持費・ランニングコスト:毎年の収益見通し(変動幅を含む)


を見越して、

・「営業を続けるだけの能力を身に着ける」機会(船員経験&経営能力)をいかにして得るか


・何歳までに船主になるか(それまでに 初期投資費用を蓄えられるか)


・船主として何年営業すれば、引退後の生活費(老後資金)を賄えるだけの貯蓄ができるか?

   毎日の生活費や子育て費用も考えたうえで


こうしたことを考えたうえで参入しないと、自分の人生を棒にふることになってしまう。



「貨幣経済がすすむ=自分の労働を一度 賃金に換算しないと、食料その他生活必需品をなにひとつとして手に入れられない社会」に生きるってのは めんどくさいなぁ。


「何かを育てる・捕まえる⇒食う」

「必要なモノは探して見つけて加工して使う」そういう単純な暮らしがしてぇなぁ。


貨幣(かね)があれば便利だと言ってられたのは、

 稼いだカネで生活がまかなえてこその話だよなぁ。


 カネの稼ぎ方をしっかり考えないと、

 無駄骨ばっかりおらされて(労働搾取されて)体を壊しておっちぬ(死ぬ)だけの世の中って 怖い(こぇ)よなぁ」


と内心ぼやきつつも

だからこそ 少年たちの希望と その時点において就職可能な選択肢との違いについても

きちんと 子供にわかるように説明するのも コチの仕事であった。


(まったく子供や若者の夢を壊して恨まれ役ばっかりの「コチ」の務めなんて やだねぇ)byコチ


さらに、花家の造船予定にあわせて、次世代の航海士となる子供達を各地から集めて教育するのもコチの仕事であった。


 この「造船予定に合わせて」というのがミソである。


 早い話が 造船間隔が20~30年と幅がある。

  諸事情で10年ぐらい前後するのは、社会的変動という観点からすれば誤差のうちである。


 しかし 人の一生として考えると、新しい船ができたときに、自分が10歳であるか、15歳であるか20歳であるか、30歳であるかの違いは大きい。


大工たちなら、船を造っていないときでも、家や家具や細工物を造ったり、船のメンテを行なったりと 関連事業で経験を積みながら、一生のうちのどこかの段階で造船に携わり、その経験を直接 次の造船作業の時に次世代に引き継いだり、あるいは書を通して引き継いでいくことができる。


しかし船員は・・10歳でキャビンボーイになるのと 40歳で初航海に出るのでは

その後の生活が大きく違ってくる、というかそれまでの人生だって大きく変わる。


それゆえ、花家には 就航10年前には造船予定を発表しろと、代々のコチは言い続けている。


が、しかし 社会的変動ってやつで造船着工予定がグラグラするのも 世の常だ。


(まったく 気苦労ばかりの多い役目だな)byコチ

※ 土日休日は 朝8時 

  月~金は  朝7時の1回投稿です

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