表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貧乏領主になりました  作者: 木苺
    船関係者とその家族達
88/123

シノとキョーシロー

天河北家の棟梁というのは、男女の区別なく、直系長子継承が基本である。


しかし 10歳になるまでに、勉学・武芸・体力・気力・知恵と勇気・気性と性格各方面に置いて一定水準にあると認められなければ継承権を維持できない。


しかも いざ代替わりとなると、人望がなくてもは 一族の同意がえられないし、挑戦者が(あらわ)れれば その者を討ち果たさなければ(もしくは叩きのめして負けを認めさせなければ)棟梁になることができない。


それゆえ 歳の近い子供達は 互いに切磋琢磨(せっさたくま)しつつ、

自分が年長者を蹴倒(けたお)して棟梁目指すのか否か、自分で道を決めなければならなかった。


 それこそ「和を乱し 覇をたててまで 何をなすのか?」を己に問いかけ

 他者をも説得できるだけの自信を身に着ける必要があった。


 しかも 異議申し立ての機会は1回

 その1回に敗れれば 一族から追放されたり、時には命を差し出さねばならない。


 ちなみに 一族の中では、

歳相応(としそうおう)に 各々(おのおの)の立場に合わせた仕事が次々と割り振られ、

その仕事に合わせた専門知識や技芸の習得にもかなりの時間を費やさねばならないので、

本気で棟梁の座を奪取したいと思えば、12・13歳ごろまでに声を上げねば、間に合わないという現実もあった。


ゆえに 10歳になるまでに己の運命の大半が決まると言っても良いだろう。


キョーシローは 3歳の時から剣術を習いはじめた。


最初の頃は 素振りの稽古だけだったが、

じきに シノねえ相手に 切り返し(面うち)→追い込み(相手が下がるのを追いかけて打ち込む)という対人稽古もはいってきた。

 もっとも 防具をつけない稽古であったから、

 キョーシローが打ち込むのをシノが竹刀(しない)で受け

 キョーシローが受けの練習をするときは シノが絶妙の力加減で寸止めをしていた。


師匠は 毎日素振りをちょっと見て、それから 切り返しや追い込みのどちらかをちょっと見る。

 幼いキョーシローの相手をするのは いつだってシノであって、師匠ではない。


そのあとは シノと師匠が打ち合う姿をキョーシローは見学だ。


それが悔しくて 遊び時間に、キョーシローはしょっちゅうシノに突っかかって行ったものだ。


が しかし 不意打ちを狙ってもいつも気づかれてしまう。

 最初のころは 正面から受け止められてばかり


 そのうち あっさりとかわされて こちらの攻撃はかすりもせず

 そうこうするうちに 気が付くと投げ飛ばされていたり

 気が付くと蹴りやら肘うちやらが飛んできて・・


そんなシノに負けたくなくて、キョーシローは 体術もいろいろと習ったが

とうとう 一度も勝つことがないまま10歳の誕生日がせまってきた。


このままでは、シノを打ち負かせず、一度も師匠と打ち合いの稽古をつけてもらわぬまま、里を出ることになるかもしれないと思うと、あまりの悔しさに 思わず嗚咽(おえつ)がもれた。


キョーシローが涙する理由を知ったシノは言った。


「バカだなぁ。

 師匠に相手をしてもらいたかったのなら 問答無用(もんどうむよう)で師匠にとびかかればよいだろうが」


「ええ!! どうやって」


「どうやってもこうやっても 師匠の姿を見つけたら とびかかればいい。

 お前が いつも 私にそうしてきたように」


なんだか これまで自分がかされていたような気がしたが、

それを嘆くよりも 残り少ない日を思い、とにかく師匠にとびかかることを優先した。


が、しかし、道場では礼儀として不意うちはNGだ。


とはいえ 道場外で師匠の姿を見たことがない。


稽古の前は 師匠よりも先に道場に入っていなければいけないから

門の前で待ち構えることができないが

稽古の終わった後なら 師匠の後をついて出て・・

 と思っても、礼のあと 師匠のあとをついていくと

師匠が振り返り ジロリとにらまれて足がすくむ。


気を取り直して 遠ざかる師匠の後を追っても追いつけない

 いつの間にか姿が消えている。


これではだめだと次の日は、思い切って 振り返った師匠に向かって言ってみた。声をふりしぼって。

一手御指南いってごしなんを」


にやりと笑って師匠は答えた。「いつでもこい」


そこで 思いっきり突進したのだが、師匠にかすりもせずに(ころ)んでしまった。

 めげずに置きあがった時には 師匠の姿はなかった。


「俺が 里を出るまでにあと3日しかないのに。


 シノ姉は どうやって 師匠にせまったんだ?!!」


いつのまにか キョーシローの横に立っていたシノはあっさりと言った。


「うーん私は 最初 剣術ではなく忍びの稽古をさせられていたからねぇ。

 男の子たちが 剣術を習っているのがうらやましくて

 必死になって 師匠の(あと)をつけ回したよ。


 そのうち 師匠は 姿をくらますのではなくて、私に松ぼっくりやら木の実やら 挙句あげくに短剣まで投げつけてくるようになってね。


 こっちも 何かを投げる動作の間合いを図って突進かましたり

 そのうち 師匠の通り道をさぐり当てて 何日も張り込んでみたり


 ただ張り込むだけでは、気配を察した師匠が道を変えて避けてしまうと気づいてからは、

 師匠の動向を探って、師匠の訪問先の玄関前にひそんだり

あの手この手を試したが 全部だめ


最後は 道場の門屋根の上で 師匠を待ち構えて、飛び降りたよ。


 それでやっと 剣術の入門が許されたというわけ」


てっきり 姉弟は 同じ事を習っているのだと、

姉は単に俺より先に生まれて 先に習った分だけ、俺よりも体が大きく 練習量も多いから 

今の俺はまだ勝てないだけで 大人になるころには追い付けるはずと思っていたが、

幼いころから 習っている内容そのものが(ちが)ったということに驚いた。


がしかし シノ姉のことを考えるよりも 今は 師匠に一手御指南頂(ごしなんいただ)くことが優先。


そうか! 門屋根から飛び降りればよいのか!\(◎o◎)/!


早速さっそく 翌日試してみた。


結果 見事にかわされ 俺は あわやというところを、シノに助けられた。


あろうことか 地面に激突する寸前に 投網とあみですくいあげられたのだ。


そのあと 師匠から散々叱られた。

 投網ですくい上げられなければ、顔から地面に激突して

 脳挫傷か首の骨を折って死んでいたかもしれないと。

 たとえ死ななくても 体が動かなくなっていたかもしれないと。


稽古に励むだけでなく、己の習ったことが 何につながり

今の稽古だけでは 何ができないかを自覚して動けということだ。


もう 悔しくて悔しくて

「どうせ 俺は よそにやる予定の子だから

 中に残すシノほどには チャンと教育をつけてくれなかったんだろう!」

とくってかかってしまった。


 シノ姉が 忍びの術を習っていたことを知った後からのモヤモヤが

つい 口をついて出たという感じ。


その時 シノは ものすごく傷ついた顔をしていた。

と同時に 「馬鹿もん!」師匠の怒声にたまげてしまった。

  それこそ魂が切れる感じ。


そのあと 3人そろって 親父おやじの前に呼び出された。

 いわゆる 事情聴取というやつ。


そこで洗いざらい、先ほどの俺の勘違い発言について釈明させられた。


親父殿はため息をついておっしゃった。

「おまえ 今まで 剣術と体術以外のことに興味を示したことがあったか?」と


「ありません。

 おれにとっては 剣術でシノを打ち負かすことが 一番の大事でしたから」


「お前から学びたいと言ってきたことには すべてこたえたはずだが

 ちがうか?」親父


おれは(おのれ)を振り返ってみて答えた。


「確かに 俺が学びたいと言ったことには 応えていただきました。

 しかし 忍びの術について何も知らなければ 学びたいと思うことがなくても当然ではないでしょうか?」


「愚かな。

 お前は 忍びの術が存在することすら知らなかったというのか?」親父


「名称くらいは知っていましたが」


「名称を知っていても 興味をもたなかった。

 学ぼうとも思わなかった。つまりはそういうことだろう」親父


「確かに」


「ならば 学べなかったのではなく、お前が学ぼうとしなかった、それだけの話ではないか。」親父


「シノは どうだったのです?」俺


「私は 忍びという言葉を覚える前に 

 あれをやりたい それには何をすればいいか?と人に尋ねて

 いろいろやったよ。

 うまくいかなければ xxしたくて△したけど ◇になったのは どうしてだろう? 何をどう改めればいいのか? どういう練習法があるのか?

 と人に聞いて 今に至るだな」シノ


「キョーシローとて、お前にとびかかられたシノが新しい道を示すたびに それに食いついて

 体術・武術を学んできたのではないか?


 それに シノは 自分が新しく学んだことをお前に見せるために

 いつも俺を相手に お前の前で見本を示していたことに お前は気が付いてなかったのか?」師匠


「ええっ あれは 師匠が シノ姉に稽古をつけていたのではなかったのか?」


節穴ふしあなだな お前の目は。

 せっかくの姉の心遣こころづかいにも気づかず

 模範試合と稽古の区別もつかぬとは」

師匠は 深々とため息をついた。


「残念ならが キョーシローのうつわは それだけだったということだ。


 今までの話を しっかりと己の課題として受け止め

 これから先の10年を精進(しょうじん)しなさい」

親父は 棟梁の顔をして言った。


このあと 俺は 己を見つめなおし己を立て直せと命じられ

10日間の滝行たきぎょうに行かされた。


滝行を(おこ)なっている間に10歳の誕生日となり、俺の養父となるコチが

俺に会いに来た。


コチは 「天河家の坊ちゃんは 養子になるというのに

養父に迎えに来させて自分は修行三昧(ざんまい)とはいい気なもんだ」と嫌味を言ったが


「この際だから 船乗りの基本の水泳を覚えてもらう」と言って

俺に滝つぼでの 素潜(すもぐ)りやら長時間水泳やらを命じた。


俺の泳ぎを観察したコチは言った。

「フム 泳ぎの基本は身に着けているようだ。

 しかし 川と海は違うぞ

 滝行を続けるなら 場所を変えろ」


そして コチに連れられ 俺は船に載せられ とある入り江に連れて行かれた。


そこには 海に向かって 流れ落ちる滝があった。


それから 俺は波に足を洗われながら 滝行をする羽目になった。

 おかげで 潮の満ち引きやら 干満の差を体で覚えることになった。


 そして風向き次第で 波の当たり具合が変わることも。波の力も。


「もはや 滝行をやっているのか 海で「案山子かかし」を務めているのかわからない」とぼやいたら 


「せめて 道標・澪標みおつくしと言えよ。

 これから お前は 海の男として生きるんだから」とコチに言われた。


「それとなあ おまえさんはいずれ 船長として船員を指揮したり

 艦隊を率いて船長たちをまとめる立場に立つかもしれない

 言ってみれば海の族長である俺の跡を継ぐために、俺の息子となったんだから、

 しっかりと広い視野を身に着け、深い考えのできる男になるよう努力しろ。


 その覚悟ができたら、滝行を卒業して 海の(おさ)になるための勉学開始だ」とも。


そこで 俺は 滝行を終えた後、きちんと北の盟主である親父殿に報告書を送り、それからコチの息子としての修業を開始した。


 10歳になるまで修業した剣術は タコとの打ち合いに役立った。


 10歳になるまでに身に着けた体術は、その後のあらゆる肉体的活動に役立った。

  もちろん けんかの仲裁にも。酔っぱらいのあしらいにも。

  陸に上がった船員達が スリに会わぬように見張ったり、

  船員達に護身術を仕込むのにも。


 武術以外のことは コチの下で働いたり、あるいは コチから紹介された先で働いて学んだ。


 コチの養子になって気が付いたこと、

それは 俺は生家では シノ姉に武術で勝つことしか考えていなかったんだなぁってこと。

 それが 俺の子供時代だったのかな?


海に出てからは 生家での暮らしも シノ姉のことも 薄らいでいき

やがて思い出さなくなった。


だから 天海号で再会した時には、まるで初めての人に会ったみたいな気がした。


そもそも 思い出の中のシノ姉と全く別人みたいだった。

 天海号の中で見たシノは。

 一応 姿形すがたかたちは 記憶の中のシノ姉と似ていたけど。

※ 土日休日は 朝8時 

  月~金は  朝7時の1回投稿です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ