フローラの故郷
フローラは花一族の総裁である。
花一族の棟梁は、フローラの甥が担っている。
総裁と棟梁のどこがちがうのかと言えば、棟梁は現地で直接一族を率いている。
総裁は、一族の代表として天河家直系領主に仕える立場の者だ。
それゆえ棟梁は代々存在するが、総裁は その時の花家棟梁の判断で決定されて、天河家の頭首に仕える為に送り出される。
ゆえに 仮に天河家と花家が争うことがあれば、花家総裁は天河家と運命を共にする羽目になる。
その一方で、一度「総裁」の地位につけば、「総裁」を送り出した花家の棟梁が代替わりしても「総裁」であり続け、その支配権は次世代の棟梁よりも強い。
なぜなら、花家総裁は 終身在職の地位であり
花家の棟梁は、花家総裁に背くことが許されないから。
だから 花家としても よほどのことがない限り総裁を産み出さない。
けれども かつてのあるいはこれまでの血縁関係から、天河家の南の領主の血脈が絶えたときには、新しい南の領主となりうる立場でもあるのが花家総裁であった。
ただし これには天河家北の領主総裁又は棟梁の同意が必要であったが。
◇ ◇
花家の先祖は、古の航海王の船=初代天海号を作った船大工だったと言われる。
船というものは 使っても使わなくても古びるのは木造家屋と同じ。
そして 船造りの技術も家造りの技術も、建造作業を通して継承されて行く。
だから どちらもその技術を持つ者を大工(大いなる工人)と呼ぶのだ。
というわけで フローラの故郷では、代々 20年~30年に一度は新しい「天海号」を作っては
技術と船の両方を継承してきた。
肝心の天河家の棟梁が航海をしなくなって久しいので、
使われることのない大型船の建造を代々続けるなんて 資源の浪費ではないか?という者もいたが、技術の継承のために 代々 天海号の更新を続けて来た。
古い方の天海号は そのまま 一族の住居として使ってきた。
それこそ 集合住宅(娯楽設備や集会室つき)の建物扱いだ。
一方 船の性能確認のために 作った船は時々航海させる必要がある。
その為に 天河家ゆかりの航海士の末裔集団と協力しあって 隠れ運行させてきた。
あちらは 航海技術の継承の為、こちらは ただの大型建造物ではなく ちゃんと「船」として機能する造船技術継承のために。
一族の隠里から 海に乗り出すとき、そして戻ってくるときさへ人目につかなければ、
早い話が 沿岸から目視されないほど沖にでてしまえば
伸び伸びと海上生活が楽しめる、それが天海号の試験航海であった。
魚を釣り上げ、イルカと波乗りを楽しみ、孤島の浅瀬で素潜りしてはきれいな貝やサンゴをとる。
諸般の事情で それらを陸で売買をすることはできないが、
船員たちが家族の土産に持ち帰ったり、好きな彼女に求婚するときのプレゼントや約束の印にと渡すのは 関係する一族のひそやかなる愉しみであった。
おかげで スペースの余りまくっている大型船で野菜類を栽培する技術まで確立した。
海風には塩気が含まれるので、海の側では作物の成長が悪いと言われる。
帆船の推進には風が欠かせないので、いわゆる良港の周りでは
塩害で農作物が育たず寒村が多いと俗に言うらしい。
(ほんとに寒村が多いのかどうかは知らないが、
塩害を防ぐために 海岸沿いに松林を造成したり、
海辺近くの平野部ではなく わざわざ海から離れた内陸部(山間部)に
農業拠点を持っている地域は珍しくない。
だからこそ 深い入り江を持つリアス式海岸ならば
潮風の影響を受けにくい入り江の奥に港をもって半農半漁が成り立つのかしら?????)
花一族は、天河家のつてをたどって大量のガラスを仕入れて
船上にガラスの温室を作って、潮風を避けながら野菜栽培をしていた。
しかも 温室の熱と密閉性を利用して、温室内の一部の区画で
海水を蒸発させて、塩をとる一方で 蒸発した水分を野菜栽培に使う循環システムまで作り上げていた。
これはもう 完全に花一族の秘中の秘となる「秘儀」?である。
それほどの技術を持っているのに なぜ 花一族がヒノモト国と縁を切って
海の孤島で独立した生活を選ばなかったかと言えば、
こたえは簡単
大型船の原料となる木材の産地=森が ヒノモト国の所領にしかなかったからであった。
ゆえに、花一族にとって 一番大切なモノ、それは大型船の原料となる木が育つ森であった。
ガラスに関しては これは天河家ゆかりの別の氏族が持つ秘儀であったので
そことの交流もまた 花一族棟梁の重大任務ではあった。
航海士たちの末裔氏族との交流とあわせて。
さらに 策具の中心となるロープは、麻や葛の繊維で作られている。
帆となる布も麻布や葛布である。
麻は畑、葛も平地~山間部で育つ
滑車の原料となる鉄もまた 地面(陸)から掘り出さなければいけない。
もちろん木材加工で滑車は作れるし、鉄と違って錆びることもないので使い勝手が良いともいえるのだが、錆びない代わりに 擦り減ったり 濡れると膨張するという別の問題もあるのが面倒なところ。
眠り病から覚めた昔昔の天河領主の見た夢の中には、島の中央の山を露天掘りして ほぼ山の原形がなくなってしまった島「海南島」の話もあったが、
ヒノモト国では 山岳地帯で 細々とトンネルを掘って金属類を掘り出している。
だから 使わなくなった鉄製品は回収して溶かして鋳造しなおして使うリユースが徹底しているのがヒノモト国ではあるが、採掘による鉄資源の新規供給も必要なのだ。
衣服の元となる布もまた 綿花の栽培と切り離せない。
つまりは 造船技術を持ち 海での伸び伸びとした暮らしを愛する花一族もまた、ヒノモト国各地の領主たちとの交流(物流)なくしては
一族の伝統技術の継承も、一族の今の暮らしも成り立たないことに変わりはないのであった。
(おまけ)
海南島と「少数民族」問題
かつて 大日本帝国海軍の重要拠点であった海南島は、リー族・ミャオ族などが住む大きな島であり、鉄鉱石をはじめとする鉱山資源豊かな島であった。
海南島を開発し鉄鉱山の開発を進めたのは日本人であるが
中国領となってからは 四川省で大地震や飢饉が起きるたびに流出した移民を多く抱える島となった。
その移民の多くは 中国政府の経済政策の恩恵を多く被って
今では中国基準で「豊かな暮らし」を手に入れ
元住民(「少数民族」と呼ばれるミャオ族など)の村とは 一目で違いの分かる居住区で暮らしている。
平成になってもなお、鉄鉱山の露天掘りでは、朝鮮戦争の置き土産であるソ連製の戦車を改造した大型車両を使って作業を行っていたという隠された現代史の象徴多き島である。
表向きは 南の楽園を売りにした観光地として今は宣伝しているが。
そして 最近 急速に日本人による開発の歴史が抹消され ネット上でも中国中心の歴史記述が激増していることに驚いた。
当時を知る現地の人々が高齢になりドンドン死去しているのに合わせるかのように><
私個人としては 中央の政治に牛耳られている海南島への投資に日本人が係わることは、
巨大債務を背負い込む未来に同意することに等しく
下手すれば現地訪問の際に政治的理由で投獄される危険すら生じるので
絶対にかかわってはならないと思っている。
投資勧誘宣伝はすごいが ハイリスクローリターン、というよりリスクしかない土地と
中国人すらみなしているのが海南島ではないかなぁ・・・。
そもそも資源のある場所が全部 少数民族の居住地だったの摂取して、かつて中国政府が推進した中国大陸からの移民(漢民族)に割り当てた土地だから><
政治家の思惑だけで、外部からの投資家を支配できる土地、それが海南島だ。
いつでも 投資家が開発した資産・設備・技術をその時の為政者・権力者の都合で取り上げ可能
資産や事業の乗っ取りが容易くできる国=中国の特質そのものの土地、それが海南島。
・・
中国政府が言うところの「少数民族」とは、地域単位で見れば、
人数と歴史性において、その地域のれっきとした主要民族というよりも、現地住民にほかならず、
中華人民共和国成立後のたかだか半世紀余りの間に、
中国各地の貧民を政治的に流入させてのっとる時に「少数民族」と呼ばわって差別の対象として
その地域の主権を奪ったにすぎない点に注意しなければいけない。
「少数民族」というラベルを張り付けて、政治的迫害と
移民に過ぎない漢民族(元は他地域の極貧層)による差別により、
その地の本来の住民の抹殺を図っているところが、中国政府の言うところの「少数民族」である。
数からいえば まだまだ 多数派現地人であるのに。
その点が、
大航海時代の結果として今現在、アフリカや南米各地に残る「少数民族」、つまり数が極端に減ってしまった集団との相違である。
言い換えるなら 中国内の「少数民族」というのは、
政治的社会的に抹殺されつつある現地人(つい80年前までは その地域で生活していた主流派)であるという点が、すでに数を極端に減らしてしまって固有の文化・言語の継承が不可能となってしまった世界各地の「少数民族」との違いである。
だからこそ、中国内の「少数民族」問題に関しては
「民族文化の保護」という抽象的理念(福祉)の観点ではなく
内政問題として日本国政府としても対処しなければならないので
日本国としては かかわりたくない外交事項なのである。
欧米各国としたら 中国政府への内政干渉の格好の言いがかりポイントとして
’保護の必要な「少数民族」問題’として取り上げて見せるのが
外交的ブラフなのだが、
その嘘ロジックを拡散するメディア・似非人権派のプロパガンダに載せられて、中国内の「少数民族」問題に言及する日本人・日本の議員は
日本国に不利益しかもたらさない危険人物とみなしてよいと私は思う。
なぜなら 日本列島もまた 歴代中国政権が虎視眈々とつけねらう「周辺国=領土拡張対象」に過ぎないのであるから。
中国の為政者とその手足となるべく育てられている中国人民(少なくとも中国共産党シンパ)にとっては、日本人もまた「少数民族」に過ぎないのだから
日本人の方から 中国政府の「少数民族」政策に言及することは、わが身に刃を引き寄せるに等しい行為なのである




