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貧乏領主になりました  作者: 木苺
     島だ!探検しよう!
76/123

天海号、ペンペンに帰港す。

私たちが今いる島の名を「樽の木島」転じて「タール」と命名した。


そして 最初に上陸した湾を「上陸湾」

今天海号は停泊している入り江を「タール湾」と命名。


上陸湾よりも タール湾の方が波が穏やかなので、ノリの養殖にはこちらの方が向いているらしい。


ちなみに 天然の岩ノリは 岩礁の多い上陸湾の方がはるかに多い。


一方 この島は、真ん中が砂地の窪地なので、島の面積の割に、樽の木が生えている面積が少ない。


しかも 島を半周した感じでは 主な植物が樽の木で、それ以外の樹木が見当たらない。


それゆえ、樽の木からの飲料の採取も限定的であろうというのがコチの見立てだ。


つまり この島に上陸して何か活動するときは、上陸日数分の水を持って来ないとだめということ。


つまり 近辺を通りかかったついでに立ち寄るのがせいぜいで

ここで生活するのはむつかしいだろうという予想。



一方、私たちが島を半周していた間に、天海号では、キラを捕まえて、めざしを作っていた。


 細い紐の先に針をつけて、めざしにして、その紐をマストとマストの間に張り巡らして作っためざし。


 これは 航海中の食料にもなるし、船員たちの家族への土産になるだろうということだ。


 しかし 魚そのものは、竹林省の沿岸漁業でまかなえているので、

 大型船を出してまで漁をしても、商業的にはわりにあわないだろうとのこと。


◇ ◇


タール湾で1泊した翌朝、天海号の船室で今後の予定を話し合った。

 参加者は、特別船室の住人+コチ


私たち上陸班は まだ島を半周しかしていない。


 しかし私たちは 一応 航路開拓の船旅であって、探検隊ではなく

 私は領主なので、ゆとりをもって公表している帰港予定日を過ぎてからぺんぺんに到着するのはよろしくない。


 未探査の入り江の出入りには予備調査が必須なので、入港するだけでも1泊2日はかかる


等の状況を考えて、いったんペンペンへの帰路に就くことになった。

 後ろ髪引かれる思いではあるが。


海図には、タール島の 上陸湾とタール湾の緯度と経度、

 さらに島の概略図をかき込んだ。


 上陸班がまだ歩いていない(測定しない)場所は 破線である。


昼前の引き潮に載って、タール湾を出た天海号は、島の東側の沖をゆっくりと回った。


 コチとキョーシローによると、タール島の周囲にも反時計周りの海流が流れているそうだ。



タール島の回りを流れる海流から離れ、風の力を受けて北上し、


今度は ヒノモト島の外流に入って、西にすすみ


それから 追い風にのって、ヒノモト島の南の入り江に(はい)

ペンペン港に帰港した。


天海号が南の入り江に入る姿を見た ペンペン街の人達は、

港まで 迎えに来てくれていた。


沿岸の漁村の方々も、 漁船に大漁旗をあげて漁船を出して、航路の脇に適度な距離を置いて停泊しながら出迎えてくれた。


昨年の12月に王都へ向かう時は、館から馬車を出して、あっさりと事務的に出発したのだが、


3月の末 春の花が咲き始めた今、天海号で帰った来た時には、華やかに出迎えてもらって

胸がキュンとした。



◇ ◇

歓迎にこたえるために、正装して上陸することにした。

 私は王都の新年会に出席した時の男装だ。

 頭には、ターバンとワンセットのかつら(前出の写真の国王スタイル)をつけた。



純白の服を輝かせ、天河家の旗を掲げたピピを先頭に

天河家の緑の制服を着たセバスが最初に下船して 先ぶれを務めた。


「竹林省領主 天河春香様、


  このたび 王宮にて試練の儀をはたされた。


  バンザイ国ジョーダン王は、竹林省を天河家当主春香様の直轄地と認めたぞ。


  さらに、ヒノモト国の全領主、全神官が、春香様を航海王と認めたなり。


 祝えよ 天海号の復活を!


 称えよ 天河家御当主春香様を!」



次に 天河家北の領主の正装に身を包んだシノにエスコートされた私がタラップを降りる。

 実は 今でも私は、船に乗り降りするたびに、船酔いと陸酔いで足元がふらつくのだ。

 


セバスの先触れにより沸き上がった拍手は、

タラップに出て来た、天河家南北の領主が並び立つ姿を見て歓声に変わった。


「天河家ばんざーい!」「おめでとうございます!」


さらに 私の後に続くララの金の徽章や タンタンの白金の徽章が日の光を受けてきらめくと

人々は 船乗りの歌を歌いだした。


♬ それ 錨あげ、波乗り越えて のリ出せ わが海原(うなばら)

  風 ふきたけり 波揺れるとも

 恐るな 海の男よ


  我らの腕には 力が宿り~♬


上陸すると、私の後ろに側近たちは並んだ。


フローラが私の前まで出てきて、膝をおった。

「おかえりなさいませ」


「ただいま。」

  私は フローラの肩を抱くようにして立たせた。


  フローラは 素早く 私の後ろに並ぶ列の中に入った。

    位置的には シノとタンタンの間である。


「みんな 出迎えありがとう!」民衆に声をかけると 歓声があがった。


「そして 天海号の素晴らしき仲間たちにも拍手を!」


私は タラップの方に半身(はんみ)を開いた。

 そこには 濃紺のスーツで ズボンの裾をロングブーツに押し込んだコチと

 スカイブルーの袴に白の着物、濃紺の地下足袋姿のキョーシローが立っていた。


 「船長コチ」「航路マスターのキョーシロー」

私の紹介に合わせて、二人は手を振った。


 (実は、昨夜 打ち合わせをした時に、

  キョーシローを紹介するときに「魔物対応&水先案内人を務める~」と言うよりも

  「航路マスター」という肩書にしてしまった方がかっこいいし、

  一応は機密情報に属する航路や航海術に関する無用の詮索を避けるのにも都合がよいだろう

  ということになったのだ。)


街の人々は 拍手と指笛で大歓迎だ。


 舷側(げんそく)には、白い帽子に 白とスカイブルーの横じまのTシャツ・紺色ズボンの船員たちが並び、水夫長のホイッスルにあわせて敬礼した。


「このように 暖かく迎えてもらえてうれしい。

  長旅をしてきたかいがあった。


 これからの(すえ)長い友好を願う」


コチは デッキの上から人々にこのように語りかけ、キョーシローと二人で敬礼した。


・・・・・

(参考:敬意を表すお辞儀)

挿絵(By みてみん)


・基本は片足を後ろに引き、前側の膝を折って、腰の位置を落とす。


 現代風に握手しながら行うこともあれば、

 騎士のように、片手を胸に もう一方の腕を後ろにひくこともある。


 バレエの舞台挨拶の場合は、演目の特徴的な腕の動きを組み合わせる


・子供の場合は、チョンと片足を後ろに下げて膝をぴょこんと折る程度。

 (子供の頃は それで精一杯だからw)


・現代の国際儀礼に乗っ取らない場合は、後ろに引く足を伸ばしたままだったり

 逆に後ろに引いた足の膝をつくこともある。


・国際儀礼では 背筋をまっすぐに伸ばし直立させるだけでよいが、

 より深い敬意を表すために、体を前傾させることもある。

  イギリス人は たいてい体を直立させていることが多い。(自分の威厳を示すためにw)


 体のバランスが取れなくて 背中を丸めて頭を下げるのは、みっともない!!

 


 

※これにて 第一部終わりです。


(画像引用元)

https://www.multilingirl.com/2017/06/dianna-curtsy-emperor.html


https://twitter.com/sajmcbstaff/status/1490823673951195136


現在の国際儀礼プロトコールについては、外務省のサイトをご覧ください

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/po/page25_001892.html


残念ながら、お辞儀の写真はありませんが、握手に関する約束事とか国旗や服装の扱いについては

具体的です。


(余談)


・一般的なお辞儀については、海軍礼式令準拠で良いと思います。


①挙手の敬礼:帽子をかぶっているときのみ=室外

  相手に注目して、右手の五指を伸し掌を左方に向け、人差し指を帽子の庇の右側に当たるように敬礼する。←肘から手の甲・指先まで1本の筋が通っていれば美しい

  右手が塞がっていれば、注目だけして軽く頭を下げる。←現在でいう所の目礼の基本


  すれ違うだけなら、歩いたままの目礼(一般人)または敬礼(軍人)で良い。


②室内

  部屋に入る前に脱帽

  脱いだ帽子は右手で庇を持ち、帽子の内側を見せないようにぴったりと腿に向ける。

  相手に対して正面を向き、姿勢を正して注目、それから十五度のお辞儀


・私が子供の頃は 当たり前のように家庭内でこのようにしつけられてました。

  45度の最敬礼が必要な場面はなかろうと言われました。

  最近では 謝罪会見で45度のお辞儀がはやっているようですが、なんかそらぞらしいなw)


・お辞儀をするときは 両腕を自然に体側面に添わせる

 (女性用バックを持っているとき以外は 両手を前で合わせる必要もないし

  まして 肘を横に張るのは「我を張る」ことになるからみっともないし、相手に対して無礼である←ココ大事!

  最近のマナー講師は 日本の常識・日本人の心に沿った儀礼を完全否定していておかしい!!)


 ただし、振袖を着ているときには、袖を美しく見せるために、さりげなく両手を前にもってくることは許容の範囲。だが やりすぎは「見せびらかし」になるからよくない。


 基本は男女ともに 腕は自然に体側にそわせる。だらしなく曲げない

  肩から中指の先までのラインが通っている方が美しく見えるが 不自然に見えないように注意w

   →この教えにより私はバレーダンサーの達のラインの見せ方に注目するようになったのです(笑


・5・6歳の頃、歩きながらの目礼や背筋を伸ばしたお辞儀とか、女の子としてそれぞれの場に応じた服装をしての歩き方・立ち方・座り方・礼の取り方の稽古は 母から受けました。懐かしい思い出です。


・昭和64年=平成元年までは、日本各地の小学校に、定年まで勤める海軍兵学校出身の教師がいて

 運動会の入場行進と敬礼の指導をしていたようですが、

 彼らもまた日教組関係者による、誹謗も含め迫害され続けた存在でした。

 じっさいには、「教師による、児童いじめ・児童間のいじめあおり」を阻止する力を持った方々でしたが・・

 日教組関係者達は あらゆる手段でそうした方々の追い出し・押しのけを実行していたのでした。

  単純に出身が海軍兵学校出身であるという理由で。

   裏工作にのせられない冷静な存在であったという理由で


・海軍兵学校では、部下のあいだでのいじめ問題がおきないように、上官がいかに動くべきかの指導もおこなっていたので、そこを卒業してGHQにつかまることなく教師になった人というのは、集団のダイナミクスを冷静に見て 穏やかな指導により「いじめを発生させない集団づくり」ができる人も多かったように思います。


そもそも 体罰も威圧もなしに人を指導する実力(雰囲気)をまとわなければ、船の指揮官は務まらないでしょう。船長も機関長も。


(以前 ある海洋調査船の公開イベントで船内を見学中、連れがワイワイ言っているところに

 偶然通りかかった船長さんから声をかけられて、その威厳にビビったことがあります。滝汗


 航海士や調査担当者の方々から いろいろな質問に丁寧な回答を頂けましたことを心から感謝しております)


現代では、海技教育機構の海洋実習船のxx長が酒浸りで とうとう 船をチンさせた(実際には沈んでませんが その修理費に金がかかりすぎて、世界一周の航海実習が以後一切おこなわれなくなって 実習船は日本近海をくるくる回るだけになった><)と 当時を知る実習生・予定者達の間では言い伝えられていますが

 

 あれは 素人でも「なにやっとんじゃ!」とわかる ありえない事故だったので

 そういう噂を複数の方々から聞いた時も(噂がとぶのもありうるな)と心の中で思いました。

  聞き手としての私は いつもニコニコ・うんうんでコメントしないけど。

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