ケルンとハンモック
樽の木が海岸線を縁取るように茂っているので見通しが悪く
しかも海上からみても、「木がこんもりと茂っている」としかわからず
島の全体像がつかめなかったので、とりあえず予備も含めて5泊分の装備をもって上陸して探検することにした。
◇ ◇ ◇
上陸地点からまっすぐ南に向かって、歩測しながら、約3m置きに、樽の木の幹に番号札をつけながら歩いた。
番号は 上陸地点側から1・2・3・・・となっている。
札は地面から1mの高さの所につけた。
これは 樽の木の成長により、札の位置がどんどん上がっていくのを見越してのことである。
歩測と言うのは、自分が普通に歩いて、右左(または左右)と足を出して1歩と数える。
そしてその一歩分の歩幅が何センチか覚えて置くのである。
いつも 同じ歩幅で歩いていれば 自ずと歩数を数えれば歩いた距離が分かる。
なぜ両足分で1歩と数えるかと言うと、片足踏み出しただけで1歩と数えると、あっという間に数値が大きくなって数え間違いが増えるからだと、シノが教えてくれた。
(うん これ 夢の中でオリエンテーリングをやった時にも習ったw)
樽の木林を抜けると 緩やかな傾斜の岩場だった。
シノは、林を出るときに、最後の1本にぴったりと背中をくっつけて、立った。
私はキョーシローと一緒に さらに真南にすすみ 岩場をのぼり、振り返った。
樽の木は どれもにたようなもので、シノが立っていなければ、私たちが林のどこから出て来たのかわからなかった。
手旗信号で、そのことをシノに伝えた。
シノの横に立っていたタンタンが「了解」と返信してきた。
タンタンはセバスと一緒に シノの頭があった場所にしめ縄を張って、上陸地へ向かう樽の木の目印とした。
一方 シノは、地面に石を積み上げ並べて矢印状の目印まで作った。
↕の両端は、南北を指し示している。
コチもシノを手伝った。
ちなみに キョーシローは 私をシノの真南に立たせて、地面に 南北を記す矢印を作っていた。
石が転がったり傾いたりしないように、
大きめの石を集めて、それらの石の下半分を地面に埋める念の入れようだ。
ごつごつとした岩でできた坂を上り切ると、中心に向かってすり鉢状にくぼんだ
砂というには荒く砂利というには細かいざらっとした砂地にぶつかった。
「もしかして 噴火口あとですかね?」セバス
「この砂を少し持ち帰って 成分を分析しよう」
シノが砂を採取した。
「見渡す限りの岩場と窪地には、見事に 水も植物もないですね」キョーシロー
「この窪地をふちどるの岩場の端が この島では 一番高さそうだな。
この窪地のふちが、海岸に生える樽の木のてっぺんギリギリの高さよりやや低いから。
海からは 緑の森にしか見えなかったんだな」コチ
コチとキョーシローは何か相談しながら、双眼鏡と望遠鏡で 丹念に島の周囲の海を見回した。
「はっきりって、樽の木が生い茂っているせいで、波打ち際の様子もわかりずらい。
とりあえず、上陸地から登ってきたここに、石塚を作って帰路の目印としよう。」コチ
今回は、タンタンが辛抱強く、目印がわりに登り切った地点に立っていた。
タンタンの足下から 真北の方向に 望遠鏡を向けると、しめ縄をまいた樽の木が見えた。
しかし、林の向こうにあるはずの入り江は見えず、
外海に停泊中の天海号とその後ろの海だけが見えた。
タンタンの横に立ったキョーシローは言った。
「ここからでは、上陸した湾すらみえませんね。」
というわけで、タンタン足下と そこから真北に1m下ったところにケルンを作った。
そして2つのケルンの間に 石を並べて矢印も作った。
岩場の端に作ったケルンの中心には、ペグも打ち込んでおいた。
万一ケルンが崩れても、ペグが目印として残るように。
これくらいの目印を残しておかないと、一度ここから離れたら、2度と上陸地点に戻れなくなるかもしれないと思うくらい、窪地の回りには 目印となるモノがなかったのだ。
ケルンと言うのは、石を小山のようにしっかりとくみ上げて、そこに旗を立てて
初上陸や初登頂の記念碑にしたり、その中に後からきた探検隊へのメッセージを入れたり
道しるべにしたり、単純に空缶などのゴミが散らばならないように中に入れたり、
逆に予備の食糧を入れて帰路に備えたりするものだ。
中には 遊びでケルンを作る者もいるが、これは後発隊を惑わすことになるのでやめた方がいい。
基本的に未踏査地区の初探検隊以外は ケルンを作らないほうがいいと思う。
(というのも未踏査地区の調査隊と言うのは 往々にして遭難死するので
ケルンの中に記録を残すことが、自分達の生きた証となるからである。)
ここで軽く一息を入れながら 今後の予定を決めた。
その結果、くぼ地に降りて通り抜けて反対側を上るのではなく、
くぼ地のふちに沿って一周することにした。
だって すり鉢状で アリジゴクみたいにざらざらとした割と急な斜面を下りて
横切った先で、登れなくなったら困るもの。
◇ ◇ ◇
コチは 昼過ぎまで私たちと一緒に島を回り、
昼食後、コチだけ上陸地に戻って、帰船することにした。
コチの分の食糧の余りのうち、長期間の保存に耐える缶入りの缶詰は、岩場の端のケルンの中に入れて置くことに。
「そのために わざわざ大きなケルンを作ってその下部に空の木箱を入れておいたのね。」
「ああ。備えよ常にと言うだろ」コチ
私、セバス・タンタン・シノ・キョーシローの5人は、海岸線の様子を観察しながら
2泊3日の予定で窪地の周囲を回り、もし 窪地の端からでもわかる入り江を見つけたら、海岸まで降りて、その状態を確かめ、
天海号が入港できそうならば、伝書鳥を使って母船に知らせることになった。
というのも、これまで歩きながら見た感じでは、
島の周辺は、白波の立つ岩礁が多くて剣呑なので、
無理に船で島を一周するよりも、
島の上部から海岸線を見下ろしながら歩いて、入港できそうな入り江の位置を確かめてから、
船を回した方が良いだろうとコチとキョーシローが決めたからだ。
伝書鳥の知らせを見て、コチが率いる天海号は 島の回りの風向きや海流を調べながら、本当にその入り江に入港できるか確かめる予定だ。
もし入り江が見つからなくても、2日目の夕方には、伝書鳥を使って途中報告を入れることにした。
◇ ◇
コチと別れ、私たちも、おはち巡りを再開した。
「もし この島が火山の跡地だとしたら、山の頂上近くまで海面が来ているってことになるのかな?」私
「海底で噴火する直前に 隆起したってことも考えられますよ。」タンタン
「あるいは 噴火しながら隆起したとか、噴火後に隆起したとか」セバス
「このくぼ地が噴火口だったとしても 砂で埋まっていますから、爆発したのはずいぶん前なのかもしれませんね」シノ
そんなことを話しながら、島の中心の窪地のふちのまだ岩がごつごつしている所を歩いて行く。
「波打ち際に樽の木が生い茂っているおかげで、波がやわらげられて、海岸線の侵食がゆっくりになったのかもしれません」キョーシロー
ところどころに林の切れ目があり、そこから岬に守られた波の穏やかそうな入り江も見えたが、
そういうところに限って、開口部の外側には 切り立った大岩が不規則に並び、
到底 入港できそうもなかった。
海岸線を計測し、入り江ごとに、入港ポイントがないか絵図を書き記しながら歩いたので、移動距離の割には 時間がかかった。
◇ ◇
全体の3分の1ほど回ったところで1泊した。
寝袋を使ったごろ寝である。
念のために 火を使わない携帯食をとった。
翌日、私たちが上陸した所とは反対側まで行った。
そこには 林越しに見ても、入り江かも?と感じるほど、広い湾が広がっていた。
波打ち際まで降りると、だ円形の湾の入り口の岬は 左右とも湾を囲むように突き出していたので、湾内は波が穏やかだった。
湾の出口の先の海も岩礁などがなさそうに見えた。
キョーシローは 伝書鳥を飛ばし、
船を湾の外まで移動させること
湾外で停泊できるようならば、ボートを下ろして、湾内に入る航路を探すこと
を、依頼した。
この伝書鳥と呼ばれる鳥は カモメに似ている。
海辺に居て魚などを食べるだけでなく、
時には船のマストで羽を休めることもある。
一説によると、昔大洪水が起きたときに、船に乗って避難した人たちに
陸の存在を知らせたのがカモメだったとか、
その船に乗っていたのが 陸暮らしの人間だったので、鳩と見間違えたのだとか・・・。
コチは この鳥を飼いならして、通船や上陸班から母船に連絡を取るときの伝書鳥として使っていた。
というか いつもは船長室付属のデックで飼育しているので、
つい最近まで、その存在に気が付かなかったよ。
もしかしたら、陸上拠点と天海号との連絡にも使っていたのかなぁ?????
(イギリスの作品では、拠点から補給基地や上陸地までは伝書鳩を輸送し、
補給基地などで伝書鳩を食料などと一緒に受け取った移動部隊が、伝書鳩をもって進軍し
進軍先からの日々の連絡用に 伝書鳩を拠点に向けて飛ばしているらしき様子が
断片的に出て来たけど、もしかして コチ達も同じことをやっているのかな??)
◇ ◇
今夜は、樽の木林に ハンモックを吊って寝ることにした。
だって 地面は ごつごつとして岩が痛いんだもの。
ハンモックは布製で、腰のところでくの字に曲がらない製品だ。
網製のハンモックは、軽くて持ち運びやすいが、すぐに引っかかって破れるし、腰が沈んで体が折れ曲がってしまうので 寝ている間に腰が痛くなる。
その点 布製のハンモックは 体への負担が少ない
だけど 少しの揺れで布地が傾いて 転がり落ちそうになる(というかまじで落ちる)から寝返り厳禁である。
私は 寝相に自信がないから バンドで体を固定すると言ったら、
逆さになって布の下に固定されたまま宙づりになるよりは、転がり落ちたほうがましでしょうと言われてしまった。
ゆえに ハンモックはひざ丈くらいの高さに設置した。
「落ちるの前提ですね」キョーシロー&シノ
私とセバス・タンタンがひざ丈、キョーシローとシノは腰の高さのハンモックで寝ることにした。
「だって、蛇とか 虫とか いやですもん」とお二方。
「うー 落下による打撲か 蛇や虫か、それが問題だ」セバス
思わず キョーシローに抱きかかえてもらって寝たら一番安全カモと思ったけど、それもまた暑苦しそうに思ったので、落下以外の危険を考えないことにして 眠ることに決めた。
「いっそのこと 寝袋をぶら下げてその中で寝れたらいいのに」
「ふむ 改良型としてそういうハンモックを作ってみてもいいかもしれませんね」タンタン
「そういうハンモックもないわけではないが、いざというときに素早く逃げられませんね」シノ
「しかし 陸暮らしの客用には そっちの方がいいかもしれませんね」キョーシロー
「しかし 袋状の部分に体が入っていても、所詮は体を横たえるハンモックと同じだから
傾いた弾みに顔が下になったまま、もとにもどれないことは起きるんじゃないか?
それとも 縦にぶら下げるのか? それだと 立って寝るのと同じで疲れるぞ」シノ
「寝返りをせずに寝る鍛錬不足ですみません」としか言いようがなかった。
それにしても 寝返り打たない眠り方の鍛錬ってあるのだろうか??
「鍛錬というより 馴れですよ。
私も子供の頃は 良く落ちました」キョーシローが慰めるように言ってくれた。
(そういえば、昔は船倉に押し込められた下級船員は、荷物の上にハンモックをつって寝ていたんだっけ?
キョーシローは どんな状況で ハンモックに寝ることに慣れたんだろう・・)
そんなことが 頭をよぎったが、すぐに眠りの中に引き込まれてしまった。
※ 土日休日は 朝8時
月~金は 朝7時の1回投稿です
(参考)
ケルンについて
https://chouseisan.com/l/post-16311/
カモメについてのサイト紹介(鳴き声つき)
https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1404.html
サントリーの愛鳥活動 ←50音順に鳥の名前で検索できる図鑑
(おまけ)
19世紀末から20世紀初頭にかけて 展開された極地探検競争
それを後押ししたイギリス王立地理学会
ナンセン:フラム号による北極海の漂流と越冬
アンドレ―:気球を使った北極探検(遭難死)
アムンゼンによる北西航路初公開
アムンゼンとピアリーの北極点到達競争(ピアリーの勝ち)
アムンゼンとスコットによる南極点到達競争(アムンゼンの勝ち、スコットは南極点到達後遭難死)等々
これら探検家たちによる手記は ランサムの時代にはホットな話題であったのか、彼の児童書の中でもしばしば触れられています。
また 戦後日本でも かなり翻訳本が流布していたのは、南極昭和基地探検隊に沸いた当時の日本の国情を反映していたのでしょうか?
その後 ほとんどの著作が絶版となり
さらに 公立図書館の曝書ラッシュで再読できなくなってしまったのですが
最近はまた ちょろちょろと新作紹介本が出ているのは、一時期日本でも上映された洋画の影響でしょうか??
にしても 公立図書館の曝書ラッシュによって、失った知的財産は もう取り返しのつかないものです。
かつて 貴重な記録本や資料を寄付した先人たちを裏切る行為でもありました。
最後の砦、古書店にあった貴重本の大半も 中国人達に買い占められ買いあさられて日本国内から姿を消しましたしね><
日本における出版文化の崩壊はあまりにも速すぎた・・・
(サイト紹介)
アムンゼンと同じころ、日本の白瀬隊も南極点を目指しており、南緯80度05分、西経156度37分の地点を「大和雪原」と命名し、隊員全員が無事帰還。
詳しくは https://shirase-kinenkan.jp/tankentai.html
白瀬南極探検隊記念館(秋田県) をどうぞ。




