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貧乏領主になりました  作者: 木苺
     島だ!探検しよう!
71/123

カッターとキラ

彼方に見えた魚影は キラの大群だった。


キラというのは、群れで泳ぐ魚だ。

 夢の世界のイワシのような魚だった。生態は違うかもしれないけど。


面白いことに 島の近くでは ゴマメくらいの大きさの稚魚

そこから、煮干しサイズ・めざしサイズ・成魚と 島から離れるほど大きくなっていた。


島の周りは岩礁と海藻に囲まれていた。

 島から少し離れたところは 昆布、島に近いところはノリ


天然の食糧庫みたいな島の周りだ!



ただ 大型船が近づくのは剣呑けんのんだということで、通船(ボート)で上陸することにした。


一般的に大型船と上陸地との間を行き来する手漕ぎボートのことをカッターボート、略してカッターと呼ぶことが多い。


1本マストの小型帆船のこともカッターと呼ぶ。

 こちらは 小型帆船なので 船室がある。


一方カッターボートに帆柱をたてて搬送することもある。

 やはり手漕ぎはしんどいのだ。それにこぎ手の人数もいるし・・・

 カッターボートには、帆柱を立てて帆を張ることはできるが、船室はない。


この物語では 天海号付属のカッターボートのことを「ボート」と呼ぶことにする。

 ボートと言っても、公園の池の二人乗り(こぎ手は一人)のボートではありません。

 むしろ 6人が横2列になって長い(かい)(オール)を突き出してこぐ、漕艇(そうてい)をイメージしてください。


 ただし、海洋センターなどの体験学習で漕ぐカッターは細長く、

 カッター競技大会などで見かけるカッターはもっと細い気がしますが

 天海号の通船として使用しているボートは、荷物がしっかりと積めるように真ん中が広めです。

 

  その分 抵抗が増して、漕ぐのが大変ですけど、スピードよりも利便性重視!

  いざとなれば 防水布でくるんで 海の中に吊り下げて運ぶこともあります。


(それにしても、なんで 船関係の用語って 同じ言葉で違うものを指したり、

 同じものを違う言葉で言い表したりするんだろう?

 ややこしい!><)


◇ ◇


ビチビチと跳ねる魚たち。

 その銀色の体が光を反射して、遠くからも 魚群を見ることができた。


いざ その群れの中に船をこぎ入れると、ボートの周りを飛び跳ねる魚を、さっと網ですくえた。

 刀を一閃いっせんするがごとく キョーシローが持ち手の長い網を横殴りに振るだけで

 わさわさとれた。


 しかし キラの体の表面も傷つきやすいので、すぐに食べなくてはいけない。

「これは その日に食べる分だけ捕まえるより仕方がないですね」タンタン


「捕まえるよりも さばいて内臓をとる方が 手間も時間もかかるわね」ピピ


「せめて 網に入れて海中にたらして、生きたまま陸揚げできたらいいんだが・・」キョーシロー


それができないので、ボートの中央で、全員でキラを開いて、内臓を取り出し 海水で洗い流してから薄い金属ボックスに入れて その箱をロープで海中でたらし(海中の中の方が 大気よりも冷たいため)島に向かった。





※ 土日休日は 朝8時 

  月~金は  朝7時の1回投稿です


(参考)


カッターについて

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E8%88%B9)


カッターボートについて

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%88


イワシ漁について

https://dancyu.jp/read/2019_00002110.html

  広島の小イワシ漁・・・鮮度が命!が実感できますw



(おまけ)

・琵琶湖哀歌と琵琶湖の見どころ案内の動画

  https://www.youtube.com/watch?v=DF8_v0tR6i8


  1941年、琵琶湖で漕艇訓練中に転覆して行方不明になった11人の若者たち

  必死の捜索にもかかわらず 11人全員の遺体が発見されるまでに2か月かかったことから

  近畿の人なら 知らぬ者のない事故となりました。


  その後、彼らを悼んで作られた歌が2度の大ヒットとなったために

   当時、まだ私の親ですら生まれてなかったのに

   漕艇訓練といえば「琵琶湖周航の歌」が思い出されるほどに・・・

      TV・ラジオの歌番組の威力すごっ!


  そして彼らを悼んで作られた琵琶湖哀歌は、あまりにも歌声と歌詞が美しすぎて

  ほとんど琵琶湖の観光案内曲のようになってしまいましたが・・

  この動画を見たら ほんとに琵琶湖の景色がよくわかるなぁと思いました。


・船から海の中に荷物を吊り下げて運ぶことについて


 私の物語の大半は 私の思い付きの与太話ですが、(すみません)

 船から海中に荷物を吊り下げて運搬するのは 実際に今も昔も行われている方法です。


 伊豆半島で切り出した大石を近畿まで運んだとか

 房総半島の沖から、関門トンネルの工事現場まで、トンネルのパーツ(高速道路のトンネルを通る時よく見ると トンネルは 上下に分かれたパーツを組み合わせて作られていることがわかりますが

 ああいうパーツ)を船底からぶら下げて運んだのです!


・ちなみに 中世日本でいうところの「石船」というのは、船底から 石を詰めた籠をぶら下げて運んだり、簡素な小船に石を載せて埋め立て予定地まで運んで、目的地に着いたら、船底からぶら下げた石入りの籠を切り離したり、石を積んだ船を沈めて船員は川に飛び込んで岸まで泳いでいくなどの方法で、堰や埋め立て地を作った時に用いた船を指すようです。


日本の一級河川、揖斐・木曽・長良川の合流地点 「あぶらじま」の締め切り工事、や「長島」も

その手法によってつくられました。


詳しくは 岸武夫先生の「千本松原」(児童書)をお読みください。

 ↑

江戸幕府から 洪水防止のために 堤を作ることを命じられた薩摩藩士たちの苦闘と、その作業に携わった地元の農民たちの物語です。

 薩摩藩の力をそぎ落とすために、鹿児島から岐阜まで 多額の資金を持たせて移動させて

 工事をさせたのです。徳川幕府が。しかも すべての買い物を現地で行うように命じて。

 薩摩藩士たちが現地の人間をやとって 自分達も率先して土木作業を行ったそうです。


(岸先生は 地元の教育大付属校の校長だったと思います。

 当時 中部圏では 教員と地元の郷土史家が連携して、一般市民向けのフィールドワークもやっておられたように思います。

 子供のころ、名古屋市立図書館で その足跡の一部(活動報告かなにか)を見た覚えがあるのですが 幼すぎてあまり覚えてません。


 私個人としては、金沢の歴史を物語にした「かつおきんや」先生の作品が好きで、その関連で岸先生たちの活動も知ったのです。

 きんや先生は元中学校教師だったことも影響しているのか、

 小学生の私が、書籍挟み込みの愛読者カードに感想を書いて送ったら、その都度直筆でお返事のはがきをくださったのが印象に残っています。)


濃尾平野を中心とする中部圏は 治水の歴史の集積地でもあるので、

護岸工事等のために、船がいかに使われたかは 各地の郷土誌に その土地土地のやり方が残されています。


それを知っていれば、信長の大坂攻めの時に作られた鉄鋼船が、運送を目的とした「船」ではなく

海上要塞的な 海上建造物に近いものであったと容易に推測できるはずです。


 日本デスリしかしない日本国外からの移住者たちによる言いがかりは、ほどほどにしていただきたい!!

 イエズス会の情報収集力も知らない=世界史に関する無知蒙昧さ加減はいうまでもなく!


 日本人なら 日本の郷土史を知る者なら、「船」とは 水面に浮かぶ建造物の総称だとわかるはず!


ほんと 日本を貶めるためのデマを執拗に繰り替えす日本居住の、隣国からの流入者とその子孫どもめが!


そのような輩の流言飛語に惑わされないためにも、郷土史は原典資料を確認する精神で しっかりと学ぶ必要があると考えます。


特に今の日本の内閣は、ただの閣議決定や首相からの伝達を用いて、日本の学校教育のみならず

公的機関での教育活動・情報提供を阻止したり 資料の破棄を進めて、郷土史を抹消して

外国籍議員や外国勢力の代弁者であるメディアの言いたい放題、日本誹謗・日本のっとり情報戦略に積極的に加担している状況ですから、自ら 先達の歴史を学び その資料を保管(写本・写メを手元に残す)必要が緊急課題となっている情勢と考えます。


※現在の「長島温泉」のある所と千本松原は 少し離れています。


ホテル花水木の先代社長は 郷土愛溢れる方で地元貢献に熱心だったと伺っております


和歌山のホテル浦島(忘帰洞)の先代?社長も、進駐軍兵士により略奪された熊野大社の御神刀(国指定重要文化財)をアメリカまで探しに行って略奪された重要文化財である御神刀を買い戻して熊野大社に奉納しなおしました。


 このように、ホテル社長の中には 地味にひっそりと地元貢献をする方もおられます。


 九州福岡の社長のように 老舗旅館を名乗って客をバカにした詐欺商法を平然と行う輩のようなのばっかりではありません。 


「老舗」を名乗ることなく堅実に経営している旅館の主から、郷土史や地元の伝統産業について

お話をお伺いすることも これまで度々ありました。


 宣伝されずとも 明治期より営業されている旅館、旅館業を始める以前からなん百年も地元で

 生きてこられたご一家、そういう方々と 出会えることもあるのが、

地域の歴史や産業を追いかけて旅する楽しみといえましょう。


 そういう意味では 宿選びも 旅の重要ポイントなのであります。

  宿と店は 派手な宣伝文句ではなく 堅実そうな経営しているところを選びたいw

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