表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貧乏領主になりました  作者: 木苺
    バッキ―の汚名を晴らす
15/123

裁判とその後

※厳罰部分があるので 苦手な方はスルーお願いします。

  (「~なろう」のほかの方の投稿作品ではよくある懲罰ですが)

 この回を飛ばして次回から読んでも 話の脈絡はわかります。

私にとって はじめての領主裁判は (とどこお)りなく終わった。


ケイタ―家の若旦那は、自分に着せられた汚名=根拠なき誹謗、すなわち中傷で、当時の自分がどれだけ傷ついたかを証言した。



タンタンが提出した 数々の証拠により、マーコによる不正経営(実際にすべての作業を行なっているのがバッキ―であるにもかかわらず、マーコがそれらをしていたと嘘を言って、すべての収益と名誉を独り占めしていたこと)の実態が暴かれた。

 さらに名目上の保護者という立場を悪用して、児童を使役して搾取していたことも。


  (日の出前からパンを焼き、日中は雑用、夜遅くまでパン種の仕込みなどの長時間重労働。

   これらを一人でバッキ―にさせ続けていたことは児童虐待レベルであると認定された。)

   

   バッキ―はパン焼き作業の手順と 作業量と所要時間との関係を正確に証言できたが

   マーコはパン焼きの手順すら答えられなかった。


   傍聴していた町の人々も、自宅でパンを焼いたことのある人ならば

   二人の発言を聞いて、どちらが実際の仕事をしていたのかがすぐにわかった。)


さらにバッキ―の祖父母と父の遺体を掘り出し、検死した結果、三人が毒殺されたことが分かった。

 その毒の入手経路を暴き、かつてマーコに毒を売った人物を捕まえ証言台に立たせることもできた。


バッキ―の母を跳ねた馬車の御者も、それがマーコから金をもらって請け負った仕事だったと証言した。


 毒を売った人間と殺人を請け負った人間という二人の犯罪者が受け取った金の流れも、二人をマーコにあっせんした仲介者についてもシノが調べ上げていた。



ペンペン町の人々は、次々と バッキ―に関する悪い噂をだれから聞いたのかを証言した。


 それら悪い噂の出所は すべてマーコであり、

 積極的に その悪い噂を拡散していたのは、梅園県からぺんぺんに流れ込んできた人々だった。


 また 毒の売買は梅園県で行われ、バッキ―の母の殺害依頼も梅園県でなされたこと

 それらに手を貸した人物もすべて梅園県の人間であることが立証された。


というわけで、マーコの顔に罪人の印を焼き付けたあと、その罪状を書いた立て札を背負わせて

梅園県まで引き立て、梅園県の県都の中心で磔刑(たっけい)に処した。


竹林省の領主は 代々慈悲深いことで知られていたが

罪人、特に誹謗中傷虐待に加担し者と 殺人者及び性犯罪者に対する罰の厳しさでも有名であった。


それゆえ 竹林省の領主の直轄地である竹林県の人達は 平和に慣れ親しみ、少々平和ボケしていたので、隣県からの流入者にも鷹揚(おうよう)に対応して 疑ったり警戒することを忘れていた。

 そして、このような犯罪が野放しになってしまったのだ。


肝心要(かんじんかなめ)なことだけをきっちり抑えて、あとは慈悲をもって望むという態度を上に立つ者が示し続けると

 自律心の低い流入者たちは 慈悲に漬け込みズルをやりたい放題 

 要の部分を守るようにという注意・忠告をはねつけ、

 「うるさい!干渉だ。よそではこんなこと言われなかった。ココでは流入者を差別している」

 と言いがかりの文句を言い建てる。


 さらに、己を律する心を維持してきた竹林県の者たちだって、

 要となることを守り続ける=己を律することの厳しさを知るがゆえに、

 その要の部分の厳しさについてブーブー言い立てる者流入者達のうるささと甘言に翻弄されて

 ついつい流されてしまったり、

 ズルをしている流れ者の所業はいかんともしがたしと目をそむけてしまい

 流れ込み居ついてしまった者達を増長させてしまったのだ)

 


というわけで、今回は 法にのっとって断固とした態度で 毅然たる姿勢を内外に示すことになった。


つまりバッキ―の罪状が いかに卑劣で、しかも巧妙に周囲をだまし続けることによって 継続的に悪行が続けられてきたものであるかを県下に広く徹底して知らしめると共に、その報い(罰)の厳しさをもはっきりと示した。


その結果、バッキ―をはじめとする罪人たちを、出身地梅園県へ護送する際には、

竹林省の領都ペンペンの人々だけでなく、護送ルートにあった周辺村落の竹林県民たちも加わり

 武装した一大集団が、梅園県への抗議と、梅園県内の共犯者の断罪を要求しに押しかける仕儀(しぎ)となった。



 梅園県の県令(領主を僭称していた一族)はアッサリと投降した。


というのも シノとその配下の者達が梅園県内での、県令一族の不正の数々(県民への圧制の数々)を調べ上げ、

タンタンが、梅園県の住民代表たちをとりまとめて、証拠と証人(圧制の被害者)をそろえて、梅園県の都で 竹林省全体の領主である私に訴え出たからである。


そして その公開裁判の場には、梅園県の人々も 県令一族に抗議するため 武装して集まった。

 それぞれの町で圧制に加担していた人々を引き立てて。


梅園県の県令は、『私の両親を殺したのは、松林県の県令の関係者だ』と証言するから 命だけは助けてくれと懇願してきた。


もともと 法では、反逆罪は殺人罪と同じく死刑であるが、身分の僭称や横領などでは死刑にできない。

 ただし 反逆か否かを判断するのは領主権限なので、たいていは 身分を僭称すれば死罪だ。


しかし 今回の地元梅園県民からの訴えに関する裁判のポイントは、

県令という立場を利用して、圧制による住民への搾取を行なったことである。


法では、定められた職権の範囲を逸脱して私腹を肥やした者には、その罪の程度に応じて焼き印または入れ墨を施し 今後不正を行えないように衆人環視の下におくこと、

余罪があれば懲役を科すこと。

また犯罪者が不正入手した金額の程度に応じて、2~3親等の血族と姻族の全財産没収となっている。


すなわち 婚姻相手も含めて親族全体が 犯罪者の余禄(よろく)に預かった共犯者とみなされるわけである。


(ちなみに バッキ―のように虐待されていた子どもは 犯罪の被害者であるから、処罰の対象からは (はず)される。

 また 犯罪発生以前から交流のなかった親族も除外されるが、10年くらいは 処罰後の犯罪者を援助・ほう助することのないように監視対象となる


 未就学の子供達は施設預かりとなり、親族姻族との交流は生涯にわたって禁止される。


 就学後の未成年たちの去就(親子で暮らすか施設入りするか)は本人の選択にまかせるが、

 成人後10年たつまでは監視対象となる。逆にいえば 悪事に走らぬよう保護されているともいえる)


 施設に入った子供達がいじめられることはないよう、プライバシーは保護されるし、

 上部からの監査もしっかりとなされる。

  その分 預かった施設への補助金の割り増し優遇制度もあるが、

  そのことを知るのは施設を監督する上部組織の人間のみである。


 (もともと施設では入所者のプライバシー保護が重視されていた。

  保護者との交流を望まない子が入所するのはよくあり、要配慮の子供を受け入れれば

  施設への監視は厳しくなるが 補助金をもらいやすくなることは よくあることだから)


というわけで、

梅園県の圧制に関与していた者達は 全財産没収の上、関与の度合いと余罪に応じて、

焼き印または入れ墨と懲役刑に処された。

 懲役は 一番重い罰が終身懲役であり、懲役の期間と仕事の内容は罪の程度によって異なる。


 なお 恩赦の一つとして、被害者が許せば 眠るように死ぬことのできる毒杯を得ることができるが、梅園県の人々が抱く圧制者への恨みは強かったので、ほとんどの者が10年以上の懲役となった。


 懲役を受けることの利点は、失業する心配がなく、最低限の衣食住と安全が保障されるという点である。 そこがいわゆる奴隷や奴婢(ぬひ)とは異なる。


 それゆえ 貧困層よりは生活の保障があるのが懲役刑に服する者であるという矛盾が生じるが

 周囲に害をなさぬように閉じ込めておく必要があるのだから、仕方がないともいえる。


(うっかり 釈放して、かつての被害者が恨みを晴らさんと復讐に走って犯罪者に転落するのを阻止する意味合いもある。

 それゆえ 懲役囚が脱走することはめったにない。

 法の番人よりも(むご)いことを行なうのが、感情に()られた一般人であることを

 服役者たちも良く知っているから。

  というのも脱走した者の末路は 復讐者達によってさらされ、服役者たちにも伝えられるから)) 


・・・


松林県の県令は、梅園県での成り行きを聞き、自ら投降してきた。

 そして、梅園県の県令の証言など不要、己の罪の責任は己でとると宣言して割腹して果てた。

  (影バラを切ってから 一族を率いて投降してきたのだ)


松林県の県令一族は、梅園県の県令一族ほどの悪行には手を染めず、ただひたすらに私腹を肥やすことに専念していただけであった。


なので 関係者一同の全財産没収の上、10年間の労役とした。

 労役の場合は、最低賃金が保障されるうえに、入れ墨はなしなので、

 表面上は一般人と変わりはなく生活することができる。


 ただし 前歴が前歴なので 厳しい監視下にはおかれた。


懲役刑の場合入れ墨などを入れて目印をつけることによって 監視の手間をはぶくことができる。

しかし最後まで意地汚く己の利を追求した梅園県の県令一族と比べ

松林県の県令は 潔く罪を認めて自決したので 一族の者は入れ墨なしの労役との温情が下されたのだ。


実際には 私の両親(=先代領主夫妻)の殺害に加担した者たちは全員、松林県の県令によりとっくに始末されていて

余罪を追及できなかったことも関係しているのだが。

(しかも 県令一族の家臣や傍系の中には、少数ながらも 今回武力蜂起を唱えた者もいたのだが、

 県令は、武力蜂起を唱えた者達を全員切り殺してから投降してきたという念のいれよう。)


・・


というわけで、バッキ―の汚名は晴れ、

タンタンも名誉を回復した。


タンタンは 今さら梅園県に未練はないからと言って、商売を復活させるのではなく

竹林省の領主に仕官したいと言った。


バッキ―も 今すぐパン屋を引き継ぐよりも、気持ちが落ち着くまで 

うちの館の料理人を続けたいと言った。


そして 私は 名実共に竹林省の領主となった。(たぶん)





※ 土日休日は 朝8時 

  月~金は  朝7時の1回投稿です


(補足)


物語の中での 刑罰の選択については 少し迷いました。

現代日本の感覚とは 合わないなぁと。


しかし、

 慈悲と厳罰の両面があってこそ、穏やかに安心して暮らせる社会が維持されるのだということを示すために

 異世界物語には、あえて その刑罰をとりいれました。

  あくまでも 物語であって リアルとは違いますものね!

  

さらに、罰とは、犯罪者が罪を犯し続け周囲をきずつけることを止める目的(犯罪抑止)と、

 被害者の処罰感情をなだめて、「復讐」目的の新たな犯罪を防止するという両面があるから、

 罰には 相応の厳しさが必要なのだという理由もあるからです。


しかも、処罰の実効性と、処罰コストによる税負担のつり合いも考えれば

 犯した罪の程度に応じて刑期は定まるが、服役終了後も再犯の可能性が高い者や

 街の者と一緒に活動することもある処罰中の人間や、

 脱走の可能性の高い服役者の存在を

 わかりやすく示すことが、市民の安全を守るためには必要であるという観点から、

 処罰方法を選択しました。


私個人としては、服役中の改悛などということは期待していません。

 せいぜい 犯罪は割に合わないと悟って 再犯しない心構えを持てばいいなぁくらいにしか

 服役者のことを思っていません。


 結果的に罪を犯し、そのあと己の罪を悔いる者は、捕まって刑務所に入れられようと入れられまいと、おのれの過ちを悔いています。


(だからこそ 現代社会においては、罰が過重になりすぎないようにと 法で、罪に応じた罰則の内容を規定しているのです。

 その前提条件は 罪人は 捕まる前から その罪を悔いているだろうという予測があればこそです。

 だからこそ 裁判では 反省の度合いによって 法に定めた範囲内で量刑を加減するのです。


 犯罪者に自白を迫って訴追費用を減らすための駆け引きに利用するために 量刑の加減をするなんて、「立法時の法の精神」に反する、官僚の私的運用・法の乱用(公務員の犯罪)にほかなりません! 

(アメリカ映画にだまされちゃぁいけませんw まあ あちらにはあちらの事情があるんでしょうけど))


 むしろ捕まって刑が確定することにより、「逃げ続ける必要がなくなった」ことに救いを感じ

 刑期が明けること=己の贖罪期間の終了=赦しを得たと喜ぶのが 罪を犯したことを悔いる人間です。


 罪を悔いる心のない犯罪者と言うのは、捕まって刑罰に服することになっても 

 反省文・反省の態度表明は あくまでも己への罰を減らすため=己の利益の為でしかないのです。


 だから神妙な顔で出所してから 平気でもっと巧妙な もっと残酷な犯罪を繰り返す。

 

 国民の教育レベルが上がるほど そういう悪質犯罪者の比率が高くなる。

  人間社会とは そういうもんだと 私は 近年 考えるようになりました。


リアルで 出所者の支援活動の実態や 触法少年たちのその前・その後の経過も見て来た経験から。


そして悲惨な境遇で暮らしながらも まっとうに生きようと努力を続け、やがて力尽きて 犯罪を犯さない代わりに自分自身の人生を失っていく人々への援助活動を続けてきた経験からも

「罪人には処罰を与え、

 援助とは まっとうに生きる努力をする者にこそ与えるべきである」と思うようになりました。


 しかも まっとうに生きる努力に疲れてはてると 人は 人格が崩れていく傾向があるから

 そうなる前に まっとうな人を援助することこそが肝要。


 だからこそ「罪人を罰することよりも 罪人を作らないことが大事」と言う言葉が生まれたのであって、罪人を罰しない口実に利用するのは、大間違いにもほどがある!!!


「まっとうな人間への援助活動をなおざり・否定して、犯罪者を甘やかすのは本末転倒すぎる!」

  と言いたくなったこともままあります。

   自己満足のための人助けをアピールして、

   犯罪者の処遇について『社会への理解と変化』を求める輩に対して。


  なにしろ 悲惨な境遇であえぐ人への援助って

  その人が背負う厄介事に 自分も向き合うことでもあるから、

  犯罪者への更生援助よりも ずっとずっとむつかしく手間がかり、

  相手の立場を考えれば、『自分が援助した』と成果を誇るどころか示すこともむつかしい営みです。


  だいたい「悲惨な状況」に居る人というのは、一般的に人が聞きたくないような事柄に直面しているのだから、それが片付いたって、どうやって片づけたかなんて話を聞きたがる人はいません。 


 それに比べて、犯罪更生者への援助と言うのは、

  元犯罪者が「この人のおかげで私はこれほど更生しました!」とアピールすることより

  自分が更生したと社会に認めさせることに役に立つと考えて、援助者を称賛してくれるので

  自己満足をしたい『援助者』にとっては とってもおいしい活動なんですよ。


  しかも庶民としたら、『改心物語』って 心温まる話題、社会不安が減ったかのような幻想を抱かせてくれる物語ですから。


 もちろん罪を悔いる者に 更生の機会を与えることに反対はしません。


 しかし「更生の誓い」なんて 所詮 舌先三寸に過ぎず

 更生したかどうかは 罰を受けた後のその者の行動によって証明するしかないものと考えます。


  犯罪者への 迫害はしないけど 援助も無用。

  援助するならまっとうに生きようと努力する者に与えるべき


  個人と個人の関係において、相手の罪を個人的に許すことはあっても

  社会としては 犯罪者には 応分の処罰が必要、「援助なんて盗人に追い銭」

 と考えます。

  


「服役中に 教育的なかかわりをしてくれる人の存在を知り、それを人の情けと感じて 立ち直る元受刑者」と言うのは

国民の大半に 教育の機会が与えられていなかった時代の話・トピックに過ぎず


それが全てであるかのように流布する勢力は、「犯罪者の更生」を唱えて犯罪の温床を守ろうとする

ずるがしこい集団の代弁者たちにすぎないと 最近ではつくづく思います。


それは なにも刑務所ビジネスや弁護士営業の話にとどまらないのです

 「犯罪者の更生物語」を流布して 犯罪の温床を育てて 金儲けする輩というのは。



(「貧乏領主になりました」で、そうした問題まで、取り上げる予定はありませんけど

 「まっとうな人がまっとうに稼げる社会」で 一人でも多くの人が幸せに♡

 と願う「貧乏領主(ただいま見習い中の女の子)」の物語ではあります。)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ