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貧乏領主になりました  作者: 木苺
    休日
112/123

船が求める港・求められる船と船にとって大事なこと (船大工の図あり)

「船が求める港ってなに?」


花峡谷から来てくれた熟練航海士たちに尋ねてみた。


「出入りしやすく 安心して停泊できて 補修も補給もできる港ですね」


船乗りたちに言わせると、雇い主・船主・航海士・船員・船によって、港に期待するものがちがうらしい。

 この場合の航海士というのは、操船技術者、

 船員とは、船に乗っている従業員といった意味合いで使っている。


花峡谷の船乗りにとって、この航海士と船員との違いは重要らしい。

曰く

「航海士ってのは、船を航行させることを第一に考えます。

 だから 港の出入りと言えば、暗礁はないか? 潮汐にのって出入港できるか?と考え、

 風向きにあわせて寄港先を決めたりもします。


 しかし 船の中で食事関係専門(その業務の中には 船内での家畜の飼育や野菜などの栽培も含まれる)といった 操船にあまりかかわらない船員なら、

港で補給できる物品のことや、上陸による回復メリットや 上陸地での娯楽などを求めて 寄港の時期や寄港先を決めたがります」


「なるほど~」


「雇い主なら、運送メリットを第一に考えて 船や港を考えますね


 米のように腐らないものを一度に大量に 毎年毎年恒常的に運送する

 それも各地から一大消費地に集中するように海上輸送するなら、千石船せんごくぶね

 そうやって海に面した港に集めたものを、さらに 陸上の各商家の倉まで運ぶなら

港から各家につながる水路(河川や運河)を整備して、高瀬船たかせぶねを使います。


 そこには わたしら船乗りの口出す余地はありません」


 「たしかに」


ちなみに

「千石船」の積載量は

  米1000石=たわら2500 ひょう≒人足2500人分(馬1250頭分)


 (もともと ひと一人ひとりが担げる分が1俵、約60キロという単位になった。

  ゆえに 米俵を両肩に載せて2俵か告げる人は 力持ち!と尊敬されたのである)


 利根川水系で利用された高瀬舟は

  最大全長29m 米千俵(馬500頭分の輸送量)

 利根川水系で最も小さな荷船である川下小船は、船頭一人の操縦で

  米25俵(馬13頭分の輸送量) (※1)


「といっても ここヒノモト国では 千石船や高瀬船が使われたことがなくて

 わしらが保管する資料の中だけの話ですがね」(ろう)船長


「ふむふむ。 で、 船にとって望ましい港は?」


「その前に 聞いてほしいことがあります」


「はい」


「船にとって 一番大切かつ重要なことは、()()()()()()()()()です」

熟練航海士の長老カシノキは身を乗り出すようにしてきっぱりと言い切った。


「というと?」


「技術継承のために、これまで 代々天海号の造船を認めていただけたことには感謝しております。

 しかし 船は 使()()()()()()() なんです。


 造船には 貴重な資源を多く使い、多額のカネ・人・時間がかかります。

 しかも、その材料を産み出すためにも、多くの人手と時間が必要なんです。


 たとえば船材と使用するに足る木材にするには、

 それなりのサイズになるように木を育てる必要があります。

  丸木船を造るには太い丸太、

  平底船を造るには長い木材が

  どっちにしても それだけ育つ年月ってものが必要なんです。


 しかも 木材用の木というのは、ただほっぽてれば育つってもんではありません。


 節(幹から小枝が出た部分)があると、柱や板に加工したあと10年もたてば「節抜け」と言ってそこに隙間ができることがありますから、良い木材を取ろう思えば、木が育つときに枝打ちをして節が残らないようにする必要があります。


しかも船体にはまっすぐな木材だけでなく、うまい具合にカーブした木も使いたいと思えば

こちらの注文通りのカーブを描く木を探し歩かなくてはなりません。

ただ船大工の注文通りに育つ木がそうそうあるわけでもありませんから、

そこはそれ、状況に応じていろいろな技法を組み合わせるわけです。


挿絵(By みてみん)

(※3)


 木を育てるのも、望ましい木を見つけて伐採するのも大変ですが、

 伐採した木を適度に乾燥させて、木材と使用した時に歪が出ないように時間と手間をかけてやる必要もある。


 船につきもののロープや帆布はある意味消耗品ですから、その素材となる麻・葛・藤などの植物だって

常時栽培して収穫して素材化してストックしておく必要があります。

 (なわ)()うのが どれだけ大変かお分かりですか? 根気(時間)と手間(人力)が必要です。


そして木材を船体として加工する(さい)、隙間のないようにいかに木を継いでいくか?という(わざ)が大変なんですよ。ホゾ(みぞ)を掘ったり木釘を使ったり・・


挿絵(By みてみん) (※2)


 もちろんそうした加工をするには 専用の道具だっていります

 だから道具職人も必要だし、道具の素材となる金属を掘り出す出す者も金属加工をする者も必要です

 しかも 金属加工には火力が必要だから専門の炭焼きもね


木材を貼り合わせたり、船体の表面を塗装するための漆を作るのも手間暇がかかります。

 漆の樹液をとるために 漆の木を育てる年月も含めてね。


 船を維持するのも(しか)りです。


 我々は せっかく作った船を有効活用することにより、次の機会の造船につなげようと それはそれは工夫と努力を重ねてきました。


 しかし 本来 船というものは()()()()()()()()()であることは

人と変わりはありません!」カシノキ


「はい」

一族の末裔として 素直に 頭を垂れることにした。


「港についても 船と同じことが言えます。

 港を作る必要性 港に期待される役割は何か?

 を明確にしていただかないと

 そこに 寄港する船も浮かばれません」別の人が言った。


「その点に関しては、

 造船基地、船のメンテナンスのためのドック、補給拠点となる港を

 増設するのか、すたれた港を復活させるのか、

 既存のものにさらなる梃子てこ入れをはかるのか

 そのメリット・デメリット・バランスを考える為に 知りたいのです。


 それは 決して 花峡谷をないがしろにするという意味ではありません。


 それは これから ヒノモト国として あるいは竹林省として

 海運事業を発展させていくためでもあります」春香


「海運事業っていっても、遊覧船とか 海のレジャーとか ただの冒険願望以上の

 どういう実利を求めていらっしゃるのです?」

熟練航海士の中では若手にあたるヒノキが言った。


「そこを突っ込まれると 弱いですね。

 それらも 含めて バランスよく 海の事業をすすめるにあたって

 熟練航海士の皆さんの意見を聞きたいんです」春香


「だったら このことだけは忘れないでほしいのですが

 船というのは 注文したらすぐに出来上がってくるものではないのです。

 薄利多売なんてことは絶対にありえんのです。


 船が壊れたと早く次の船をと注文が殺到しても困ります。

 そりゃ 漁師たちのことを思えば できるだけ早く完成させてやりたいとは思いますけどね。


 かといって 注文がとだえたまま10年20年たてば、船大工も齢取って引退するし 若手はいないしで

 技術が廃れます


 できるだけ 息長く使い続けてほしいのは、船も船大工も操船技術者、いずれにも言えることです。

 なにか 事業を考えるなら 継続性ってことも重視してください」老大工兼航海士が言った。(※5)

(花峡谷では、船大工も操船できるのだ)

  

 ・・・・・

とまあ、熟練航海士の皆さんから いろいろなお話を伺って 私の頭の中では、情報がとぐろをまいた。というよりも めちゃくちゃになった。

 (蛇がとぐろを巻くように 情報がおとなしく鎮座ましましているならともかく

  紙吹雪が舞うように上から下にゆっくりとおちてくるならまだしも

  くっちゃくっちゃに飛びって収集(しゅうしゅう)がつかなくなってしまったのだ。) 


それに、発言内容に集中するあまり、発言者の顔も名前も記憶に残ってない。

声や口調は頭に焼き付いているのだけど・・。


そこで フローラに尋ねた。

「ねえ ねえ 熟練航海士さん達になにを依頼したらいいのか わかんなくなっちゃった。

 せっかく 来てもらったのに、およびたてしたことじたいが無駄になりそうな・・」


「『港湾施設建設候補地の選定のための事前準備』という大目標のために集まったんですよ」フローラは 笑っていった。


「だけどさ・・・」


「無から有は産まれません。


 花峡谷の者たちも、航海士の末裔たちも、いにしえの契約に縛られて

 外の世界の者達との交流がかなり限られていました。


 せっかく 船をもっていても、南の入り江に来ることそのものが制限されていたのもその一つです。」フローラ


「えっ そうだったの?」


「軍事とか利権とか機密条項とか いろいろ政治的問題でねぇ。

 このたび、初めて そうした縛りを解くことに手を付けたのです。


 だから 関係者一同が顔あわせすること、

 互いの信頼関係を構築することから始めるという意味で

 花峡谷の熟練航海士たちを、海路で招待したことの意味は大きいと思います。


 ペンペンでの宿泊室を天河家が提供するというだけの条件で

 航海士たちが集まってきたのは、

 彼らには彼らなりに 今後の展開に賭ける思いがあればこそです。」フローラ


「そうなの?」


というわけで、私は、いくつかの船を乗り換えながら、各地の港湾巡りをしながらお勉強することになった。


 げっ またもや 船酔いの旅?!


 なになに 隠密行動のため、陸路も併用するって??!


そして 今回集まった熟練航海士たちは、フローラの指揮下で、

予定通りの調査を始めた。(らしい、多分・・・(;'∀') )



・・・・・・

(参考)


家具造りの時に 板を継ぐ方法2種類

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


上記画像は、https://www.kanamoku.com/woodworks/post-753/ かなもく サイトのものを加工しました


実継さねつぎ」で検索すると、あちこちの家具やさん関係の方からの紹介画像がヒットすると思います、


 https://www.haburikobo.com/knowledge/k0015.htm 「木になる話:半布里工房」のサイトでは

  溝を掘る時につかく道具=治具 

   https://www.haburikobo.com/knowledge/k0020.htm


  吸い付き(さん)()り止めの為の加工法

   https://www.haburikobo.com/knowledge/k0017.htm

などの紹介のページがありました。



※ 土日休日は 朝8時 

  月~金は  朝7時の1回投稿です


(参考)

※1「港の日本史」

   吉田秀樹+歴史とみなと研究会 祥伝社 2018年初版  より抜粋


(※2) 和船を作る道具の話 小川智彦 船大工見習い

https://note.com/ogawatomohiko/n/ncff00735f653

 アイバズリノコを使っている所、ツバノミの紹介 船釘を打つための「かしら」を掘った所の写真あり

 

(※3)船大工考 全6章 山田佑平(日本財団図書館)

https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01267/contents/0010.htm

 和釘・海具(外板)・合ば摺り(あいばずり)の動作についての 図入り説明があるが 

 専門的過ぎて歯がたたなかった。


本文で紹介した図は

https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01267/contents/0011.htm


このページには 紹介した図のほかにも、ノミの使い方等 いろいろ作業順に図入りで説明され

帆柱を立てるときの図がまるでドック入りした船そっくりでした。


・貴重な資料をネット公開してくださっている山田佑平氏と日本財団に御礼申し上げます


(※5)https://lib.suisan-shinkou.or.jp/ssw617/ssw617-15.html

中・小型漁船市場をめぐる産業構造の変遷—船価高騰にどう影響したか—/濱田 武士

 では、東日本大震災後、中小造船所が 漁師の為に身を削って造船に取り組んだことが述べられている

 




・・・


(おまけ)

我が家には伝統的な製法によりつくられた家具類(木製品)がいろいろあり、どれもが100年以上使われてきましたがまったく狂いもなく 今も使えます。


中には 「古道具」とバカにして 足台代わりに使って上から故意に揺さぶった成人男子の蛮行より

木の継ぎ目が緩んでしまったので、私が丁寧に分解してその構造を確認したものもあります

 (接着剤を使うことなく 精密な加工でぴったりと組み合わさっていたものでした)


教養のないバカ者(特に生意気盛りの20~30代)にはうんざりします。

伝統工芸品を日常的に使い続けていくには、制作工程にどれほどの時間と技が込められているかを伝承しつつ、「ていねいに作って長く使い続ける心」のない人間を生活圏に入れない気構えも必要でしょう。

それが 排他的ととられるか、文化の継承・伝統ととらえられるかは ひとえに社会情勢によるのでしょう。

(残念ながら「人に対して分け隔てなくつきあう」ことが 必ずしも良きことではないと 若いころに、私は学びました。

 きれいごとを叫んで己の我欲を満たすために人を傷つけることを正当化する人間が多すぎます)


別視点から考えると、波に揺られる船の場合は、家具や木造家屋と違った頑丈さ=継ぎ合わせの技法が必用なのだろうなと思います。

 今 ネット上に挙がっているのは、最近の技術がほとんどなのですが(-_-;)

  ↑

 私の検索の仕方がまずかったのか、「船大工考山田佑平(日本財団図書館)」のサイトをみつけるまでに今回約半年かかりました。(そもそも「船大工」で何百回検索かけてもヒットしなかったのよ!)

 ちなみに3年前から、ときどき造船に関する検索は続けていたのですが、

 その時は かすりもしませんでした。><


 図書館で資料アサリをしていた子供のころにも経験しましたが、研究者やその道の間の方で使われている「キーワード」を知らないと 資料集をみつけられないことがよくあります。


 専門集団として「その道」の人達の世界が確立され()()()いるとき

 あるいは かつてはメジャーだったのに、急速にその担い手が減ってしまった時に起きる現象のような気がします。


 だからそういう時には、はばひろ~く 近接領域と言えば聞こえはいいけど ほとんど関係なさそうなところから じわじわ~と 「キーワード」探しをやって、そのキーワードを手を変え品をかえ

「検索の世界」に放り込んで・・ やっと出会った!と思ったら・・・書き手様の世界と私の経験したこととの隔たりが大きくて 「書いてあることがわからん」とまたまた新たな角度から迫っていくことになる、 情報検索ってのは そういうものだと思います。


 しかも私の頭は散漫で すぐに 想像ロマンの世界にさまよっていくから・・・→雑学どまり><

それでも そうやって足腰を鍛えていたおかげで、己の職務の「仕事の速さ・手堅さ」につながりましたが、それもまたうたかたの夢。時流の変化と利権争いの激しさの中では 砂上の楼閣みたいなもんです

 これもまた 業界人・勤め人アルアル話なんでしょう。


だからこそ、「技」の世界を趣味とする二足の草鞋わらじを履いて己の心の支えとしてきましたが

それゆえに、「技」の世界で生計をたてている生粋の「職人さん」たちの領域(生活)を守らなくてはならんと思うのです。


 職人が技術革新を求めるのは 当然の欲求です。

 でも 資本家が「技術革新」と称して 実は人件費を安く上げたり、「売買による利ザヤ」稼ぎを狙って、職人を都合よく使い捨てにするのは モラルハザードどころか隠れ不正なんじゃないかと最近思うようになってきました。特に政財界が結託している場合は。


理にかなった「技術革新」なら、それにかかわるすべての人が恩恵を受けています。職人も含めて。

 意外なほど 波及効果の及ぶ範囲が大きい。


昭和の終わりごろの職人さんからの「聞き書き」などでは、昭和の半ばに関するそういう話が多かった。


しかし。1980年ごろから急速に 風向きが変わったように感じる

そして1990年代にはいってからは もう手が付けられない状況に。


利権屋の為の「技術革新」なんて 天然資源を浪費しつつ 人の生活・営みを破壊する波及効果が累積して 国の崩壊にまでつながっていく スクラップ&ビルドどころか、がれきの山と極貧者しか残らない悲惨さをもたらしている


「情報の嵐」が 人の欲望の火を煽り立て爆発させ連鎖的破壊を引き起こしたのかもしれない・・

と思う。



(蛇足)

・1972年8ビットマイクロプロセッサ~1976年(BASCIC機発売開始)のあの熱気に包まれながらものどかだった時代から、1977年パーソナルコンピュータ以後の消耗戦の開始(まだ夢があった)

そこに殴り込みをかけたIBM(1981年)からが怒濤の時代。


(富士通社員は血尿を流し 社長は早々にIBMに下る。

 シャープは単純作業を間違いなく長時間こなすからと知的障碍者をメインとした作業ラインを稼働させる(障碍者雇用=福祉と宣伝してた。実際 労働条件はまとも(ホワイト)だった)もジリ貧で敗退。NECはグダグダの末に中国製パーツに頼って不良品を量産売り逃げ路線に走った)


・話はプログラミングの世界にとどまらず、政治とメディアがズブズブの情報戦(対象は大衆=有権者)

がはじまる。


私の感覚では、あの時以後、その波に乗らなかった財界の常識人がメディアの大合唱で追い出されて、

メディアが担いだ利権屋の時代に企業の社長たちが飲み込まれて行った時代に突っ込んでいったように感じる。


1982年NECの16ビット機と8ビット機のコスパを大真面目に考えて、富士通の動向をにらみながらPC購入のためのアルバイト計画を立てていた私なんぞかわいいもんだ。


・1970年代初頭から、コングロマリット(軍産共同体や巨大企業)のあらたな戦略の危険性を指摘する本が新聞記事が 子供だった私の目に触れるくらい出ていたのに、

 いざ その進行が日本に上陸した時には、その直前から起きた図書館での曝書処分やら、古い新聞の閲覧中止(廃棄)により、メディアに踊らされる議員どもにストップをかけるための資料として活用できなかったあの悔しさ!

 1970年代前半まで、情報(図書館)ネットワークの構築を進めていた司書たちの大量解雇・左遷と非専門的職員が図書館に配置された人事異動の嵐(1970年代後半~)の中で起きた曝書事件。それを礼賛・推進した朝日新聞も含めた全国紙とTV。


NHKつぶし扇動運動の発端と、NHKが担当していた映像アーカイブ活動(ニュース映像・ドキュメンタリー・ドラマなど幅広く)が、歴史書きかえを狙う利権屋どもとの関係をご存じですか?すでに前世紀となった話など思い出せる人も少ないか(笑)

本格的なNHKつぶしに最初に手を付けたのが国会だったのを覚えている人も少ないだろうなぁ

 (報道の良心を抱く人達の首切り・左遷を目的とした組織の改編、それを喜んでいた民放と全国紙の記者・編集者ども。実に恐ろしきは嫉妬心)


それらと同時並行で進んだメディア(全国紙とTV)による歴史の書き換え大宣伝・大進行!に追随した

偽りのネットアーカイブの動きが出版界にも波及。


(ちなみに 日本財団が資金を出している研究活動などは 社会貢献度も信頼性も高いと私は考えています。もともとの親分の社会的な立ち位置とは関係なく、助成金の行先はものすごくまっとうだと思う

ただし 東京五輪関係はミソをつけたと思う。事後活動への援助は早くすっぱりと打ち切るべきだ。やっぱり代替わりしてダメになったのかな・・)  

 

・コンピューター博物館 https://museum.ipsj.or.jp/computer/personal/history.html の記述は

郷愁を誘うものではあるけれど、

当時 休日になれば電気街巡りをしていた私が目にしていた多くの新機種、特に売れ筋or高評価機種の名前が記載されていないし、私の記憶年齢から逆算した発売開始年とこのサイトでの発売年の記述にも1年程度の差があるのが不思議(ちなみに ここでは コンピューター博物館の記述に従いましたが・・)


都会に住んでいると、書籍に印刷された発売日より前に新刊本が店頭に並んでいたのと同じ現象が PCにもあったのかしら?

あるいは、輸入果物類でも 市場に正式に売り出す1年以上前に、特定の市場でパイロット販売するのはよくあることだ。 PCも 同じ事をやっていたのかな? 

それとも 私の記憶が雑なのかな??(笑)


 歴史・年代ってやつは 出典と執筆者の公的立場を書いてないと 検証できないのよ・・・

 ネット検索で 歴史や年代をたどろうとするときには、このことを念頭に置いていただけたらと思う


『一つの記載を 複数の独立した文献で裏付けすること、裏付けられないときはその理由をさぐること


 さもないと 過去を見誤り 未来に向けた今のかじ取りを誤ることにもなりかねない』と。


もちろん 想像の種探し程度のお遊びなら その限りではないけど

お遊びは ほどほどにしてこそ 楽しいのも確かだ。

 ただなあ ネット世界ってのは 「頭の中」と「足下=日常生活」の境を飛び越えて

 影響力が広範囲に破滅的に及ぶこともあるから怖い。

  しかも やってみないととわからないこともあるからもっと怖い。


たとえば 最近検索エンジンの動きが 眼に見える形で大きくかわっただけでなく、

感覚的にも 変化が速いって感じるのは気のせいなの?なんなの??

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