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簡単な菓子などを買って現世と霊体についての現象をお互いに……と言っても俺がだいたい現世のあれこれを話している間に、例の時刻になってスミレは消えていく。
「じゃあ、またあしたね」
といって。
その時の空を見上げる顔はいつも少し悲しそうで。いつも、すこしだけいたたまれない気持ちになった。
結局本来の『約束』のことは分からずじまい、それもお互い忘れて新しい約束として、俺と話すことによって本来の『約束』のそれは薄れていくのだろうか。
別にそうでなくってもいい、彼女のひとときの暇つぶしにでもなればいい。
俺も暇だしな。約束だしな。
───そんな日々が一週間過ぎた頃。
「は?」
それは敷地に入る前の横道に行くときに通る屋敷の正門で俺の前に突如と現れた。
それは立派なデカくて大きいシマシマのトラ模様のフェンスだった。横には立派な白い看板で、工事予定日時が書いてあった。
俺は慌ててスマホを取り出して日時を確認する。
「……3日後じゃねえか」
日時は3日後の午前10時から。取り壊してマンションを建てると書いてある。そんなこと聞いてない……でも俺以上に驚くのはスミレかも知れない。
急いで横道のいつもの塀が崩れているところに行った。
「よかった」
そこはまだフェンスが立てられてはいなかった。
「タカシくん! 今日はちょっと遅いね、どうかした?」
いつものようにこちらを見つけるとポーチをウロウロしているのをやめて、ピョコンと飛び上がるようにした。いつもと違うのはそれだけじゃなかった、
「顔色も悪いよ……幽霊が心配しちゃうくらい」らしい。
「ああ、大丈夫だ……」内心大丈夫ではなかった。ちょっとめまいのようなものを感じつついつもの玄関の前の段差へと腰を掛けた。
「ふらふらしてるよ! 本当に大丈夫なの?」心配そうに覗き込まれるが、俺も正直こんなにショックを受けているのが信じられない。
「うん……ふぅ」ちょっと一息深呼吸。ちょっとまってくれコンビニで買ってきた唐揚げ渡すから。
俺は無言で唐揚げキュン! (製品名)を出して俺とスミレの間に置く。
「いいってば、体調悪いなら帰っていいよ、死んじゃったらまた会えなくなるし」
そうなんだ、それなんだ、肝心の対象は反対だが、スミレに会えなくなるかもしれない。
それがショック? いやいやいや待てよ。幽霊と出会って、それから会えなくなるからショック? 俺はどうかしてしまったのか、幽霊にあえないのが普通で会えなくなるのは普通じゃないのか? そもそも会ってなければこんなことにはなっていないから、ええい!
少し気持ちを落ち着かせる。かけてもないメガネを眉間のところでクイッと直したりもした。
ふぅ、落ち着いたかもしれない。
ちらっと横を見ると心配そうにスミレはこっちを見ながら口をモグモグさせていた。
「食うとるんかい」
「ほめん、がはん……ごくん、できなくて」
スミレは恥ずかしそうに両手で口を塞ぐがもう遅いぞ。
逆に安心と言うか脳天気なところを見せられて落ち着いた。
「……すまん、なんというかちょっと驚いた事になってな」
「驚いたことって、どんなこと?」
「……」
逆に言ってしまっていいのだろうか、知ったが最後、怨念の竜巻となって近隣一変を恐怖の渦に叩き込んで皆殺しになどしやしないだろうか? まず真っ先に殺されるのは俺だな。でも、言わずに突如家が壊されてしまったらどうなるのだろうか。地縛霊がもし土地じゃなくて建物に憑いていた場合はスミレは消えてしまうのだろうかそのまま残り続けてしまうのだろうか。わからない。
でも信じるしか無い気がする。今まで半月ぐらいの付き合いしか無いが、この人懐っこい人間味のある少女の幽霊に真実を告げても大丈夫な気がした。
そして共に考えよう。明日からのことを。
スミレに向き合って、俺の方からスミレの目を見る。
「落ち着いて聞いてくれ」
「……うん」ゴクリとスミレの鳴るはずのない喉がなった気がする。
「三日後にこの家は解体される」
「え? ああそうなんだ」
とあっけらかんとスミレは答える。
肩透かしを食らった俺はちょっと謎の食い下がりを見せる、
「それだけか? もっとグォーーー! 皆殺しー! とかならないのか?」
スミレは立ち上がってお腹を抱えて笑う。
「あははは! そんなに怒ったりしないよ! それに」振り返って家を見上げて、
「仕方ないよ、もうボロボロだしねこの家。すごく長持ちしたほうじゃない?」
そう言ってクイッと首を傾げてこちらを見る。
俺はあまりにも軽い態度にすこし戸惑った。
「もうちょっとショック受けるかと思った。……それに」
───お前消えてしまうかもしれないんだぞ。
そう、言いかけたときに。
「だから、もう来なくていいよ」
「は?」
顔を向けるとスミレの顔は夕暮れのカーテンの影になって見えなかった。
「私、わかるんだ、この家がなくなったら消えちゃうって。だからもういいの……だからタカシくんも私のことなんて忘れてね……楽しかったよ。短い間だったけど」
スラスラと喋るスミレに面食らう。
「ちょっと、まってくれよなんだよそれは。そうだ、約束はいいのかよ」
「うん、しかたないよ、これが運命なんだと思うことにするよ」
スミレは後ろを向いてトコトコと歩いていく。その背中に俺はどうしようもないやるせなさを感じた。
「なんでそんなあっさり認めるんだよ! おれは約束のことだって忘れてないし、三日後までにできることを一緒に考えようとしてたんだぞ、なのになんでそんなにお前は」
スミレはくるっと振り返る、顔は見えないままだった。
「私なんかに構ってたら本当に死んじゃうよ。いつ悪霊になるかわからないしいい頃合いだったのかもしれないよ? それに嬉しかったんだ、最後にこうやって話せる人に出会えて。だからもういいのこれ以上は……」
少し声が震えて聞こえた。
でも、それでも諦めるのは違う気がした。最後まで諦めないで、なんとかこの世からちゃんと解き放ってあげたいと、今は心から思っている。
「悔いはないのかよ」
「うん、無い。って嘘か……こうやって出てるもんね、へへへ」
そういうふうには思えない。俺には全然思わない。
でも、だから、どうして、なんで、そんなごちゃまぜの感情が回っている。それでも、
───それでも。
「俺はお前……スミレを助けたい。それじゃだめなのか」
スミレは首を振る。そして優しく俺に、
「タカシくん、私になんか構わないで、生きて。そして忘れて。いままでのお土産、美味しかったよ」
「お、おい」
「今までありがとうね、じゃあ……」
そう言うとスミレは玄関の扉の向こうへ消えていった。
俺はしばらく物言わぬ玄関の扉を見ることしかできなかった。
いいのかそれで……お前は。
俺は……。
「お前がいいなら、いい、か」
忘れて。だってさ。そうだな、忘れようか。
立ってパンパンとズボンの尻をはらう。ポケットに入った高橋から借りたままのライトももう返してしまおう。
唐揚げキュン! (製品名)のパックも持ち上げて一粒食べた。
「んぐ……ん」
生暖かいはずの唐揚げは冷たくてパサパサしていた。
自転車で坂道を生暖かい風を感じながら下り、家路についた。
明日はどうしようか……残ってる宿題でもして過ごすか。
風呂に入り結局何も手に持つかずダラダラとベットで横になってスマホを見ながら時間をつぶすだけだった。ふと、あの横顔がチラつく。
忘れよう。幻だった。気の迷いだった。そう思うことにして。
「寝よう」
俺はタオルケットをかぶり目を閉じた。