第35話 〜栞 side〜 Le cafe du cerf
「はい、これ。
試作品」
このカフェのオーナーでもある鹿野さんが、熱々のブラックコーヒーとともに粉糖が優しくかけてあるチーズスフレケーキをサービスしてくれた。
厨房から、背の高いシェフがチラチラとこちらの反応をうかがっている。
その視線を感じながら
「美味しい!
フワフワしていて、こんなの食べたことないです!」
と、思ったことを倍ぐらいの表現でいってみる。
『そうだろう』とでもいわんばかりの表情で、シェフの目線がわたしから外れた。
『ふぅっ』と呼吸を整え、改めてケーキにスプーンを入れる。
一生懸命作ったであろうケーキを酷評することは、褒められたくて背伸びをして生きてきたわたしには到底出来ないことだ。
このカフェには始業式の次の日に初めて来て以来、毎日お邪魔している。
オープン初日に一杯無料といわれてブラックコーヒーを飲み、その時今日のケーキと同じように褒めたら(本当においしかったけど)、10枚つづりのコーヒーチケットをくれた。
だから、今までお金を払ったことがない。
それだけじゃなく、「売れ残りだから」とか、「試作品だから」とかでケーキやパフェを毎回くれた。
お礼といって簡単なメッセージ付きの手作りのクッキーを渡したら、そのお礼といってまたコーヒーチケットを。
だから、この先も当分お金を払わないで済んでしまう。
わたしにはこういうことが多々ある……。
砂糖やミルクを入れるわけじゃないから意味はないんだけど、コーヒーカップにスプーンを入れてかき混ぜながら、特別進学コースのてっちゃんを待つ一時間、いろいろなことを考える。
進学コースに『ドロップアウト』してしまったこと、そのことをママや文に伝えられていないこと、それからてっちゃんのこと……。
てっちゃんには悪いけど、どうしてもその順番になってしまう。
「本当にケーキ、美味しかった?」
鹿野さんがシェフにわからないように小声で聞いてくる。
「もちろん!
それに、コーヒーもいつもと違う気がします。
とっても美味しいです」
「よくわかるね。
そのケーキに合うように、少し苦みが強い豆を使ったんだ」
「そうなんですね!
確かに……。
ケーキとよく合います」
あごに手を置き、フムフムと擬音が点きそうなくらい大げさに頷いてみる。
残念なことに、私は味音痴だ。
もうひとつ残念なことに、わたしには厄介な絶対音感がある。
だから、わかった。
わかってしまった。
鹿野さんの音(声)が、いつもと違っていた。
それはコーヒーを出すという作業に、いつもと違う感情が混ざっていたということだ。
だから、わかった。
わかってしまった。
わたしには、そういうこと、わかってしまうんだ……。




