プロローグ 自傷行為
暗がりの部屋で少女はベッドに自分の膝を抱えて座っていた。
くたびれたぬいぐるみ、小奇麗な机、手付かずの教科書。見慣れた自分の部屋でふと思う。
「…切ろう」
おもむろにベッドの隣にある机の引き出しを開け、中から手探りでカッターナイフを取り出す。
カッターナイフの刃がカチカチと音を鳴らして飛び出る。
少女は息を呑むように刃先に意識を集中させ、左手首に刃を当てた。
ゆっくりと指先に力を入れる。
鋭い痛みが走り、少女は奥歯を噛みしめるように体をこわばらせた。
そのまま刃を真一文字に動かすと左手首は燃えるように熱を帯びる。
みみず腫れのように膨れた傷跡から玉のように血が溢れていく。
…来る。
食いしばった唇の感覚が麻痺する。
痛みと血の温もりが彼女を確かにしてくれるような。
そんな気がしていた。
視界が明瞭になり、感覚が直結する。
一斉に皮膚が呼吸を始め、生きているという実感が波のごとく押し寄せて先程までの悩みなど彼方の島へと押し流していった。
「夏美ー?ご飯できたわよー!」
階下から母の声が響く。
その声に急に現実に戻された彼女は慌てた声を出す。
「ちょっと待ってー!今行くから!」
慌ててカッターを机に置き、ティッシュを数枚取って血を拭う。
パーカーの袖を手首が隠れるよう懸命に伸ばし、よろめきながらも少女は明るいリビングへと駆けた。