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ある雪降る日の話

作者: moz

Snow mermaid


ある所に小川に美しい人魚がおりました。その人魚は白く美しく、雪の季節になると祝福の歌を歌う精霊の一種でした。彼女は人魚でありながらも、精霊の血を引く非常に珍しい人魚でした。

ある時彼女は雪の降る季節に雪を操って小さな妖精を作り、そこらじゅうの木の雪を落として遊んでいました。

すると、雪が落ちる音の後に男の叫び声がしました。彼女はびっくりして妖精をそちらに向かわせました。すると、軍服を着た男が落ちてきた雪を払っていました。

まさか人がいるとは思ってもいなかった人魚は慌てました。昔昔は人が人魚を食べたなどというおぞましい歴史もあったからです。今はわざとではないにしろ、人魚は人を害してしまいました。恐ろしくなって人魚は逃げ出そうとしましたが、それよりも男が人魚を見つける方が早かったのです。

男は驚いていましたが、特に何を言うでもなく呆然と人魚を見ていました。人魚は男の様子に首を傾げました。男はゆっくりと川の方へと降りてきましたが、雪深く途中で歩みを止めました。

男は、おまえは人魚なのか、と問いました。人魚は震える声でそうですと返しました。

男は寒くは無いのかと人魚に問いました。人魚は不思議な気持ちでした。敵意でもなく好奇心でもなく、心配をされるとは思いませんでした。

人魚は寒くはないわ、あなたの方がよほど寒そうね、と返しました。人魚は人間とは違い、寒さや温かさを感じることはありませんから、どれだけ寒かろうとも泳ぐことに支障はないのです。

男は何か言いかけましたが、苦笑いして凍え死にそうだと返しました。人魚には寒さがわかりませんが、人間は寒すぎると死んでしまうことは知っていました。慌てて男の周りの雪を溶かして、降り舞う雪を弱めてあげました。

男はびっくりして周りを見渡していました。人魚はなんだか可笑しくなってくすくすと笑いをこぼしました。男はハッとした顔できまり悪そうに帽子の雪を払ってありがとうと言いました。

人魚は笑顔で返しました。すると男はまたぼんやりとした表情で人魚を見つめました。人魚は相変わらず人間は不思議な生き物だなあと思いながらも、男を見つめ返していました。

男はおまえはここに住んでいるのか、と尋ねました。

人魚は少し困りました。住んでいるという概念が人魚には無かったからです。人魚は精霊でもあり、伝承により形作られた概念とも言えます。そのため、在りはしますが住むということがありません。

しかし人魚はここにいつもいるのですから、それが住むとも言うのかもしれないと思い頷きました。

男はそうか、と言って黙ってしまいました。

しばらくすると男は懐にしまっていた丸い金属を見て、慌ててまた明日来ると言い残して森の中に消えていきました。

人魚は最初から最後まで男がなんなのかもわかりませんでしたが、明日来るというので人魚は待ってみることにしました。


次の日、男は相変わらず鼻を真っ赤にして雪の中人魚の元へ訪れました。今日は小川のすぐ側まで近づく事が出来ました。人魚はあの後雪を降らせず、溶かしたままにしておいたからです。

人魚はにっこり笑って男に近づきました。男はしゃがんで目を合わせながら何か言おうとしているようでしたが、良い言葉が見つからないのか、しばらく黙っていました。人魚はゆっくり言葉を待っていました。

男は、触ってもいいかと聞きました。

人魚は人間に触られた経験がありませんから、とても興味をそそられました。人魚はにっこり笑って手を差し出しました。

男は手袋をとり、優しく人魚の手をとりました。人魚の手は冷たい冬の川にいるというのに冷たくはありませんでした。温かくもなく、温度が感じられない不思議な感覚でした。それでも男は微笑んで綺麗だと言いました。

人魚は瞬きをしてその言葉を受け取りました。

男はもう一度人魚の目を見て綺麗だ言いました。

人魚はまた瞬きをして、またその言葉を受け取りました。綺麗という言葉の響きは、人魚に、何か氷の溶けるような雪解けの季節のような優しい感慨をもたらしました。

男はどこか緊張した面持ちで人魚を見つめていました。人魚はなんだかまたおかしくなってきて男の手を握り返してころころと笑いました。男はびっくりしましたが、笑う人魚を愛しく思いました。

この逢瀬は短いながらも毎日のように続きました。

男は住んでいる街で流行りのお菓子やその日あった出来事を話してくれました。人魚はその話を笑ったり驚いたりしながら聴いていました。人魚からは、小さな綺麗な石や薬草、時には歌を歌いました。

ある時男は、人魚にアクセサリーをプレゼントしました。青い石のはめ込まれたブレスレットのようなアクセサリーです。人魚はとてもとても喜びました。手首では泳いでいる間に取れてしまうからと、腕につけることにしました。

男は微笑んで自分の右耳を指さしてお揃いの石が耳についていることを人魚に教えました。

人魚は更に喜んでその石にキスをしました。男は驚きましたが、笑って人魚の腕に光る石に同じようにキスをしました。

お互いに顔を見合わせて笑い合うふたりは幸せでした。人間と人魚では子供を成すこともできず、婚儀を行うことも出来ませんが、彼らは真に幸せでした。


しかし男はただの村人ではありませんでした。軍服を来ていることからもわかるように、男は軍人でした。

戦争が起こり、男はその戦に向かわねばなりません。下級兵よりか安全な場所にいる身分とはいえ、危険なことには変わりありません。男は戦争が終わるまで、人魚の元に行くことが出来なくなることをわかっていました。そして生きて帰れるか否か、わかりませんでした。敵国と自国の兵力は拮抗しており、恐らく多くの死者が出るであろうことは容易に想像できたからです。

男は戦争に行く前日に、小さな包みを持って人魚の元を訪れました。

人魚は相変わらず、綺麗な姿で美しく笑ってそれはそれは嬉しそうに男の来訪を喜びました。

男はいつものようにしゃがんで、人魚と目を合わせながら、小さなオーロラ色の包みを人魚に渡しました。

人魚がその包みを受け取り、ゆっくりと開くと小さな銀色のリングがありました。人魚はそのリングが何を意味するのか、そもそもどうすればいいのかわかりませんでした。手に取ってリング越しに男を見ると、男は悲しいような嬉しいような、それでいて幸せなような不思議な表情をしていました。

男は、そのリングは人間の間では愛している人に贈るものだということ、一生添い遂げたい人に贈るものだということ、婚姻の証であることを話しました。贈った相手も同じものを同じ場所につけるということも。

そして自分の左手の手袋をとって自分の左手の指にも同じリングがあることを見せました。

人魚はそこで初めて、男が自分を愛していて、そして自分も人間の男を愛したことを自覚しました。

人魚は自然と涙が溢れてきました。男はリングを人魚の左手の薬指にはめました。

男は、人魚に自分とずっと一緒にいてくれないか、と問いかけました。

人魚は惚けて男を見ていました。男が微笑んで手を握るとはっとして、ゆっくりと頷きました。

男はくしゃりと笑って人魚を抱きしめました。相変わらず温度の感じられないはずの肌は、心做しか温かいような気がしました。

人魚も抱き締め返して、包み紙と同じようにオーロラ色の尾鰭を動かして喜びました。

そして男はもうひとつ大事なことを人魚に告げました。戦争に行かなくてはいけないこと、いつ終わるか分からないこと、生きてまた戻れるかどうかは分からないこと。

人魚は茫洋とその話を聴いていました。そして人間とはどうして争いたいのだろうと不思議な思いでもありました。人間は争わなければ生きていけない種族なのだろうかとも思いました。そして自分の愛した人間の男はその争いに巻き込まれて命を散らす運命を辿るのかと。人魚はまた涙が溢れてきました。先程とは違い、凍てつくような痛みを伴う涙でした。

その涙とともに雪がふりはじめ瞬きの間にあたりは雪に埋もれてしまいました。

男は優しく人魚の涙を拭い、帰ってこれたならば退役して、ずっと一緒にいられるようにこの小川のすぐ近くに家を建てると約束しました。男は必ず帰ってくるとは言えませんでした。妻子をもつ部下や上官が殉職する瞬間をたくさん見ていました。だからこそ今まで誰とも恋仲になろうとはしませんでした。

しかし、人魚を初めて見たその時から、ずっと共に居たいとそう思ってしまったのです。いつかこうなることもわかっていましたが、どうしても切り捨てることが出来なかったのです。

男はもう一度、出会った当初のように人魚の手を取って言いました。


『全てが終わった後に、もう一度。』


もう一度、一緒にいるという誓いをたてさせてほしいと言いました。

人魚は泣きながらも笑って頷きました。


そうして2人は別れ、男は戦争へと向かいました。

人魚は男を待ち続けました。

一年。

二年。

そして十年の月日が流れました。

しかし男は帰ってきません。人魚はどれほど待てばいいのか、戦争とはどれほど続くものなのかわかりませんでしたから、これが長いのか短いのか検討もつきませんでした。

そしてそれから百回目の冬。百年の年月が流れ、人魚は人の寿命とはどれほどなのかと思いを巡らせますが、生憎とこの人魚は精霊でもあるために寿命という概念が薄く早々消滅することがありません。

百年とは長いのか短いのか。そして男は生きているのか死んでいるのかそれすらも知ることはできません。

人魚からすれば百年など長くもありませんが、いかんせん心配になっていきました。本当に死んでしまったのかもしれない。まだ戦っているのかもしれない。

人魚は昔に比べて弱くなった力を振り絞って妖精を作りました。妖精に男を探すように命を授けて、男が住んでいた街からその敵国であろう国へと妖精を飛ばしました。

しかしそこに街はなく、国もなく、ただただ荒れ果てた廃墟のような森のようなものが広がるばかりでした。どれだけ探そうともいるのは動物や妖精ばかりで人はとんと見かけませんでした。

人魚はぼんやりした頭で考えました。戦争は終わっているのだろうかと。それとも場所が変わっているのだろうかと。そして男はどうしているのだろうかと。

そうして男を探して更に二百年以上が経ちました。

人魚はもう動くことも出来ず、小川を揺蕩うだけの存在となっていました。作った妖精も、もう光を放つだけの存在となっていました。

そんな時、小川の緩やかな流れに乗って、汚れて青い小さな石のついたピアスが人魚の元を訪れました。

人魚はそれを手のひらに乗せました。

そして、それが男のものであるということもすぐにわかりました。なぜかはわかりませんが、それが男のものであると、すぐにわかったのです。

人魚は力を振り絞り、体を起こして周りを見渡しましたが、雪が降るばかりで人の気配も、動物の気配すらもありませんでした。

人魚は悟りました。男は、死んでしまったのだろうと。いつどこで命を散らしたのかは分かりません。亡骸すらもありません。でもこうして男の一部である、揃いの石が手元にあるというだけで人魚は十分でした。もう、人魚に昔のような力は欠片も残っていませんでした。この世を呪う心も、悲嘆する心も、朧げにしかありませんでした。それは人魚が消滅しかけていることを意味していました。

伝承で成り立つ存在は、言い伝える人間がいなければ存在を保つことが出来ないのです。人間が減れば言い伝えは消えゆき、そうして力も弱まってゆき、待つのは消滅しかありません。

人魚の存在を語り継ぐ人間たちは戦争で亡くなり、生き残った人々もそう多くはありませんでした。そうして人魚を知る存在は今やおりませんでした。

人魚は自分がもう消滅するだろうことはわかっていました。自分がもう実体を保っているかどうかすらわかりませんでした。

もしまたもう一度会えるならば。そう思いました。

また会えたならば。もう一度。もう一度誓いをたてましょう、と今は亡き男に微笑みました。天高くこちらを見下ろす太陽が、ちらりとこちらを見たような気がしました。





二〇二〇年十二月二十五日。

森の奥にひっそりと流れる小川を、小さな男の子が見つけました。鼻を真っ赤にして、小川を見つめるその子供は、もう少し先の方で人が歩くような音がしたことに気づきました。

よく目をこらすと、白と見まごうような美しい髪に、雪のように白い肌をもつ同い年ほどの小さな女の子が、川のそばを歩いていました。

男の子は、その女の子に一目惚れをしました。

思わず一歩踏み出すと、女の子の方も男の子に気づきました。雪のような透き通る青い瞳でした。

それはまるで昔昔いたと言われる雪の人魚のような。


もう一度。誓いをたてましょう。




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