エピソード 1
_____side:八重________
『彼』と会えなくなってからどれくらい経ったのだろう。
今でも時々夢に見る。
忘れる事なんて、きっとこの先も出来るはずがない。
私にとっての彼は、とても鮮烈で、衝撃的な存在だったのだから。
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初めて出会ったのは春だった。
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新入社員の私は、先輩たちに誘われるまま花見に出かけた。
その日はとても暖かくて、満開の桜がとても綺麗だった。
夜になっても集まったたくさんの人が減る事はなくて、むしろ昼間以上に賑わっていた。
私の配属された部署の新入社員は1人だけだったけれど、隣の部署も合流して大所帯になっていた。
彼はその部署の新入社員だった。
光に照らされ、美しく舞う桜の下、お酒も入って気分を良くした先輩達は帰る様子もなく、私は少しいたたまれなくなっていた。
ふと、彼に目を向けると、酔っ払って盛り上がっている先輩たちの輪からそっと抜けて行くところだった。
周りを見ると、私の事など気にしている人は誰もいない。
私も彼を追って輪を抜け出した。
「あの、…一緒に帰っても、いいかな?」
声をかけると、立ち止まって振り返り、苦笑いの彼が言った。
「バレちゃったかぁ。今のうちに帰ろう」
どちらもとなく、笑い合って帰路についた。
彼の名は八重 大翔。
びっくりした。
私の名前は桜澤 八重。
お互いに自己紹介をして、偶然に、また笑い合った。
「俺と桜澤さんが結婚したら【八重 八重】になっちゃうね」
八重君はそう言って、なんだかツボに入ったと言って大笑いしていた。
翌週、出勤すると八重君とは挨拶をする程度の仲にはなっていた。
今までは気にしていなかったが、日に何度かは私の配属部署に足を運んでいたらしい。
会社を出ると、八重君にばったりと会った。
実は家もかなり近いということがわかったのだ。
いつもは億劫な帰宅ラッシュの満員電車も、今日はなんだか楽しかった。
そうして、いつもより楽しい日常は2日続いた。
そして、3日目。
出社するとなにやら騒がしい。
それでも新入社員が遅刻するわけにはいかないので、なんとか自分の部署まで行くと、事の発端は正にそこだった。
入り口には人垣ができていて中の様子を伺い見る事はできなかったが、そこからでも否応なしに聞こえてくる怒鳴り声。
1人は、八重君の声だ。
そして、もう1人。
八重君を宥めようとしている様子の声は、同じ部署の先輩の声だった。
その直後、悲鳴が聞こえた。
何が起こったのか分からなかったが、前の方から『救急車!早く!誰か救急車‼︎』と聞こえてきた。
次の瞬間。
何かが割れる音がして、再び大きな悲鳴が上がった。
先程と違って前の方にいた数人が部屋の中へ踏み入った様で、私も中を覗くことができた。
まず目に飛び込んできたのは血塗れで倒れている先輩。
ひっ!
っと渇いた悲鳴が喉に張り付く。
そして、大きく開け放たれた窓。
その窓から何人かが下を覗き込み、青い顔をしている。
…なんとなく状況が掴めた気がする。
恐らく、何らかの諍いの後に先輩を刺した八重君が窓から飛び降りた?
ここはビルの3階だ。
私に下を覗く勇気は、ない。
遠くから救急車のサイレンが聞こえる。
昨日、一緒に帰った時には笑っていたのに。
本当に八重君なの?
本当に飛び降りたの?
私の勝手な憶測は間違っているんじゃないかと、近くに居た人に声をかける。
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残念ながら、私の憶測はおおよそ合っていた。