〈51〉令嬢の戦力
紅茶の香りを口いっぱいに吸い込んだメアリが、吐息をホッと空へと漏らす。
豪華な背もたれに体を預けながらマッシュの傘を片手で撫でて、対面に座るドレイクへと視線を向けた。
「リリの方は、うまくいったみたい」
弟くんの容態は安定していて、今は自分の足で歩いてこちらに向かっている。
初めは戸惑っていたリリの感情も、今は心の底から幸せが溢れているように見えていた。
「優しい弟と、素敵なお姉ちゃんね」
あまりにも幸せそうで、ちょっとだけ焼けてくるし、口元が緩んでしまう。
「あなたは幸せになって良いのよ、リリ」
そう小さく呟いて、共有していた意識を、マッシュの中から切り離す。
手のひらに精霊を乗せたドレイクが、優しく微笑みながら、しっかりと頷いてくれていた。
「こちらでも確認が済んだよ。経過観察は必要になるけど、大きな問題はないかな」
「そう。それならひと安心ね。古竜のお墨付きがあるなら、万が一もないもの」
竜は精霊を通して、魔力の流れが見える。
言ってしまえば、この分野の専門家だ。
「空を選んだメアリくんのお手柄かな。陸路じゃ間に合わなかった」
事前に手配していた知り合いの処置も、延命と言う意味では適切だった。
リリが持ち込んだ“ 賢者の実 ”も、その効果を十二分に発揮してくれた。
だけどそれは決して、私のおかげだなんて思わない。
「私がしたことなんて、手紙を書いたことと、崖の穴までの案内だけね。すべてはリリが決めたことよ」
得体の知れない果実を毎日食べ続けて、
竜も高いところも怖いのに、王都まで背に乗って……。
そんな心根の優しいリリだから、周囲が協力してくれて、上手く事が運んだと思う。
「……そうだね。リリくんも立派だったかな」
不意に精霊を空へと飛ばしたドレイクが、なぜか口元に小さな笑みを浮かべて見せる。
両手で魔法陣を生み出して、その魔力をゆっくりと高めていった。
「長女のおかげで、次女が悲しまずに済んだ。そのご褒美、ってことで、キミの後始末をちょっとだけ手伝わせてくれないかな?」
優しく微笑む淡い色の瞳が見詰める先にあるのは、教会が誇る豪華な建家の姿。
古竜らしい縦長の瞳孔が、
気を失っているリアム殿下と、
ずっと叫んでいた女性、
兵士に両脇を抱えられて連れてこられる神殿長に向けられていた。
「……そうね。お願いするわ」
ここを血の海にする訳にはいかないもの。
そう言って、人々が集まりつつある周囲に視線を向ける。
「お菓子、美味しいね!」
「うん! キノコさん、ありがとう。甘くておいしかったです!」
「ありがとぉ、キノコちゃん!」
「きゅぁ!」
いつの間にか集まっていた子どもたちが、楽しそうな笑みをこぼしている。
豪華な服を身に付けた貴族たちは、どこか遠くへと消えていて、戸惑いながらも指示を待つ兵士の姿が見て取れた。
「ありがたや、ありがたや……」
「一週間ぶりの、食べ物……!」
「これも食べていいの……? ありがとう、キノコさん!!」
向けられる視線は好意的なものばかりで、幸せそうな笑みが華やいでいる。
教会の関係者も、豪華な衣装を身に付けた者たちは、見える範囲から消えていた。
ドレイクを見上げて、祈りを捧げ続けている者は、地位のない者だけだ。
「本当に、たいした信仰心ね。古竜を崇めれば幸せになれる、なんてどの口が言っていたのかしら?」
「偶像と本物は違う。この場合は、建前と本音、そう言うべきかな」
クスリと肩をすくめたドレイクが、笑ってみせる。
そうして周囲を観察している間に、ドレイクの準備が終わったみたい。
「マッシュ。教会の様子は?」
「きゅぁゅ」
「そう、わかったわ。ありがとう」
建物の中には誰もいない。
高価な物も、マッシュたちが回収してくれた。
「ぅ゛……、ここは……?」
「王太子様! ご無事ですか!!」
「誰か! 王宮医師を呼んでこい! 王太子が目を覚まされた!」
どうやら、こっちは限界ね。
リリたちはまだ遠いから、うやむやに立ち去るなんて、出来そうもない。
ドレイクと視線を交わらせて、頷き合う。
散らばっていたマッシュたちに市民の誘導の指示を出して、人々を遠ざけてもらう。
「白竜様! あなた様は、その女に騙されてーー」
「〈古代の炎〉」
聞こえてくる女性の声を遮るように、感じたことのない光と炎が、一瞬にして教会の周囲を包み込んでいた。




