〈50〉戦いを背に 3
それは雇い主であるメアリ様が、毎日のように食べさせてくれたもの。
今更 見間違えることなんて、あるはずもない。
「賢者の実……?」
だけど、どうしてこんなところに?
そんな思いと共に顔をあげると、駆け寄ってくる大きなキノコの姿が朧気に見えていた。
銀色の果実を傘の中から取り出して、手の中でクルクルと踊らせる。
ジャグリングでもするかのように、3つ、4つと空へと投げて、その数を増やしていった。
綺麗な円を描いて回るそれは、魔力を回復させるもの。
甘くて、美味しくて、
減り続ける魔力を増やすもの。
「弟の、特効薬……!!」
降り注ぐ光を反射する銀色の果実が、いつもよりもキラキラと輝いて見えた。
滲んでいた視界に晴れ間がさして、全身の痛みが消えていく。
握り締めていた自分の手の中には、見慣れた銀色の果実が輝いている。
見間違いじゃない。
確かに、ある!
「でも これって……。持ち出したらダメなんじゃ?」
雇い主であるメアリ様は、確かにそう言っていた。
でも、たぶんだけど、大丈夫。
「良いんだよね?」
「きゅ? キュァ!」
もちろん、と言った様子で、大きなキノコがドンと胸を叩いてくれる。
どんな理由があるかわからないけど、メアリ様なら何よりも命を優先する。
理不尽なことは言わない。
使い魔である大きなキノコが頷いてくれたのだから、誰かの命が危険にさらされることもないと思う。
「そっか。ありがと」
手の中の果実を両手でギュッと抱きしめて、アルスルンに視線を向けた。
涙が頬を流れ落ちるけど、気になんてしない。
「弟がーーソラがいる場所に案内してもらえますか!!」
「……えぇ。もちろんです。こちらへ」
「はい!」
優しそうに微笑んだアルスルンが、大通りを城の方へと進んでいく。
手の中の感触をもう一度だけ確かめて、力強く頷いて、前へと踏み出した。
「大丈夫。きっと、大丈夫」
ソラは強い子だから!
そんな思いを胸に、大きな門を通り抜けて、豪華なドアを開けていく。
大丈夫。絶対に大丈夫。
自分にそう言い聞かせながら、知らないお屋敷の中を進み出る。
いつの間にか、ひときわ豪華なドアの前で立ち止まったアルスルンが、コンコンと音を立ていた。
「失礼します」
不意に感じたのは、懐かしい香り。
「ソラ……?」
開いた隙間の向こうに、天蓋付きの大きなベッドと、幼い少年の姿が見えていた。
子猫のような癖毛の少年が、豪華な布団に埋もれるように眠りについている。
見間違えることなんて、絶対にない。
「ソラ!!」
気が付くと、足が独りでに駆けていた。
先を行くアルスルンを追い越して、一目散にベッドの側へ。
伸ばした手の先が頬に触れて、ホッとする暖かさが流れ込んでくる。
「……ただいま」
いつもと同じ言葉を口にするけど、ソラは笑ってくれなかった。
( お帰り、お姉ちゃん! )
そう言ってくれた唇も、淡く結ばれたまま動かない。
ギュッと閉じた目尻には、苦しそうな涙が浮かんでいた。
「待たせて、ごめんね……」
薬のお金を稼ぐために王都を出てから、二週間と少し。
発病してから、数年。
久し振りに会う弟の前で、私は上手に笑えているだろうか?
お姉ちゃん、今日もかっこいいね! そう言ってもらえる笑みが、出来ているだろうか?
そんな思いを胸に、ソラの手をギュッと握り締める。
「おくすり、持ってきたよ。きっと、大丈夫だから」
パパとママに会いたい気持ちもわかるけど、もうちょっとだけ待って……。
「わがままなお姉ちゃんでごめんね。お姉ちゃんはやっぱり、ソラがいないとダメみたい」
メアリ様みたいに優雅には笑えないけど、今出来る最高の笑みを浮かべて見せる。
手の中にあった銀色の果実を口いっぱいに頬張って、ゆっくりと噛み締める。
小さくなった甘さを、ソラの唇に注いでいく。
「パパ、ママ。お願い」
良い子にしてるから、ソラを守ってください……。
たった2人しかいない、姉弟だから。
守りたいって思った、可愛い弟だから。
私の、弟だから。
「……お姉ちゃん?」
不意に、ぼんやりとした小さな声が、聞こえていた。
「ソラ!!」
知らないうちに、頬を涙が流れていく。
体が勝手に、弟を抱きしめる。
「寝過ぎなのよ、あんた……」
そんなバカみたな言葉が、涙と一緒に出て行った。
「どうしたの、お姉ちゃん? そんなに強く抱きしめられたら苦しいよ? ……泣いてるの?」
「うるさい、バカ……」
耳元から聞こえてくる弟の声が、心の中に落ちていく。
嬉しいはずなのに、視界が滲んでいく。
背中に回された小さな手が、暖かい。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。ぼくがついてるから」
「……うん」
腕の中に幸せがあって、心の中にも幸せがある。
懐かしい感情が、胸一杯に広がっていた。




