2:呼び声
重要な予定を控え、目的地まで電車に揺られて移動中、全く関係ない駅で電車が停車しドアが開く。電車内に吹き込む都会の風は、さながら私を冒険へ誘っているかのようだ。
「ここで降りたらどうなってしまうんだろう。」
そんな妄想をたまにする。
リュウの背中を見て歩く。厳密に言えば、リュウの背負っているリュックサックを見て歩いている。確かあのリュックサックはリュウの六歳の誕生日に俺がプレゼントした物だ。相変わらず小柄な体躯のおかげで今もなお背負うことが出来ているようだ。
俺らは共に十七歳、成人だ。生まれた頃からずっと一緒にいるが、俺とリュウに血の繋がりは無い。俺が生まれるとすぐ、リュウはとある夫婦の元から引き取られてやってきたのだった。
両親はというと、ある日家から出て行ったきり、帰ってこなくなった。未だ乳離れの出来ていない幼き日の出来事だった。
そして、隣人から両親が亡くなった状態で見つかったという旨の話を伝えられたのは、俺らが十歳になった頃のことだった。
悲しくは思わなかった。顔もはっきりとは覚えていなかったし、当然愛されていた記憶も無かったから。聞けば、どうやら両親は盗みを働いたところを役人に見つかり、その場で銃殺されたらしい。
両親は商人をしていたそうだが、今考えてみれば、経済的な面からして、アバル人の商人がまともに子供二人を育てられる訳が無いのだ。恐らく盗んだものを売ることで生活の足しにしていたのだろう。
それからというもの、両親が犯した罪に対する反動だろうか、俺は「人の為に尽くす」ことを求めるようになった。子供なりに抱いた不確かな罪悪感から解放されたいが為の贖いのつもりなのか。それとも、俺は両親が憎くて、単に反発しているだけなのかもしれない――そこら辺のことは自分でもどうなのかは分からない。ただ、人の為に尽くすのなら、「人の為に死ぬ」ことだって厭わないと、その確固たる信念のようなものが根本にあるというのは定かであった。
しばらくして俺は「魔薬師」の存在を知る。確か、良くしてくれていたおじさんが教えてくれたのだったか。高収入且つアバル人にしか出来ない専門職と聞かされて、その響きにも感動したものだが、リスクである「命懸け」という言葉さえ、俺には魅力的に感じられたのだった。それはつまり、最期は人の為に死ねるということ。人の為に尽くし、人の為に死ねる。まさに魔薬師は自分の求める職、天職であると悟ったのだった。
俺が魔薬師になるのだとリュウに告げた時、「それなら俺も」と、リュウも魔薬師を目指すようになった。さすがにリュウには、人の為に死ねるから魔薬師を目指すのだ、とは伝えていない。一応、二人で魔薬師になって安定した生活を送ろう、ということにはなっている。
――なんて、人の後ろ姿を見るなり色々と物思う辺り、全く俺は呑気なやつなのだろう。
「疲れてないか?」
「大丈夫」
俺は痩せ気味で身体が弱い上、茶色がかった黒色の瞳と髪という、有り触れた外見をしていて、おまけに能力も人並みか、それ以下なのだが、対してリュウは小柄でありながら力が強く、何でもそつなくこなす天才肌で、瞳は深紅、尖った短髪は風に和らぐ小麦の穂のような淡い金の色をしている。
多少口が悪いところがあるものの、根は優しく、親切で頼りがいのある兄のような存在だ。そしてあの小さくも大きな後ろ姿は俺の憧れでもある。
「見ろ、バド広場にあんなに人が集まってる。今年は志願者が多そうだな……」
リュウが遠くを指さした。その方向を目を糸のように細めて見ると、確かにいつもは閑静で物寂しいバド広場が、打って変わって大勢の人々でごった返しているのが分かった。
「俺らとあの中から今期の魔薬師が選ばれるって訳だが……ハルマ、絶対合格しろよな」
「わかってるよ。あれだけ二人で鍛錬を重ねたんだ。リュウこそ自分の心配しなくていいのか?」
「ま、俺は絶対に合格するからな」
広場がそこまで広い訳でも無く、三方向に延びた畦道となっている所に大勢の人間がはみ出して、すしずめ状態になっているが、この光景を見てもなお、やる気の衰えないリュウ。相当な自信が窺える。
正直、俺には自信が無かった。昔から何処か抜けている性格で、誰かを蹴落として勝ち上がるような実力も無ければ、度胸も無い。
その点リュウは俺と違って、負けず嫌いというか、そもそも今まで彼が勝負で負けたところを誰も見たことが無いというくらい、事実、心身共に強かった。
そうだ、二人で鍛錬を重ねたと言ったが、リュウが俺を鍛えてくれていたと言ったほうが正しかったのかもしれない。俺を心配してのことなのだろう。
「ハルマは第二会場だったな」
「そうだな」
「俺は第一会場だからこっちだ。お互い頑張ろうぜ。健闘を祈る」
そして広場に繋がる行列の最後尾辺りまで辿り着くと、俺とリュウはそれぞれの会場の列に分かれた――ここからは一人の戦いだ。
魔薬師になるために。全てが今ここに懸かっている。
頭の中でひしめき合う不安と高揚感が視界を回転させるような目眩を引き起こす。余計なことだけは考えるなと、俺は俺自身に言い聞かせ、全身の震えを堪えようとしていた。そんな時――
『お前の心に――』
声が、まるで古傷が疼くかのように、じんじんと頭の中から響いて聞こえてきたのだった。
「な、なんだ……これ……」
今までに経験したことの無い感覚だった。外から聞こえてきた訳でも無く、単に何か聞き覚えのある声を思い出したようでも無い。女性の声であることは確かなのだが、明らかに聞き覚えのない声だった。しかし、何処かで聞いた訳でも無いのにも関わらず、その声は自分を求めているように思われた。
「あのー、列並んでますか?」
「は、えっ……」
突然、自分の後ろに並んでいた男が肩を叩く。
気付くと、俺は会場へ連なる長蛇の列から一歩、足を踏み出していた。
何をしているんだ、俺は。緊張のせいで幻聴でも聞こえ始めているのだろうか。よりにもよって人生が掛かっているこの時に。
「あぁ、すみません。俺は――」
もちろん列に戻る――果たしてそれで良いのだろうか。いや、それで良いに決まっている。どうして迷う必要がある? 今日のためにリュウが鍛錬に付き合ってくれたというのに、その努力と時間をどこからともなく聞こえてきた妙な声の為に溝に捨てるというのか。
二年に一度試験があるとはいえ、生活は既にギリギリだ。一刻も早く魔薬師にならなければならない。また二年後に来ればいいや、だなんて、そんな甘ったれた話は通用しない。
そう、自分の人生より大切なものなんて、あるはずが無い。ある訳が無い――それでも。
「並んでません……先どうぞ!!」
次の瞬間にはもう、溢れかえっていた人の姿が己の視界から消えていた。俺はひたすら来た道と逆の方向へと駆け出していたのだ。脚が軽い。馬車の荷台の後方に腰を繋がれて、全速力で引き摺られているかのように、自分の力では無い、別の力が働いているような感覚がする。不思議と疲れる気がしない。
あともう少しすれば広場も見えなくなり、ちっぽけな我が家が見えてくる頃だろう。しかし、目指すのはもっとその先だ。もっとその先の何処かだ。行ったこともない何処かだ。
「はぁ……はぁ…………」
後悔は――多分していない。何故なら、俺の頭の中にひしめいていた不安はまるで見当たらなくて、今はただ「あの声」の元へ行かなければならないという使命感だけで満たされているというのだから。
『黒……残り……のなら――』
「こっちだ……!!」
声はまだ聞こえている。俺は我が家を通り越した先をしばらく行った所にある、大きな山に立ち入った。木々が生い茂り、薄暗く、不穏な空気が漂う不気味な山だ。途中、規制線だろうか、赤く錆び付いた針金が山への入り口を塞いでいたが、勢いに任せて踏み壊してきてしまった。
「こんな山があったんだな。こんな山に、こんな時に、立ち入るなんて。本当に俺ってやつは……どうかしてる」
今ここに来て、改めて俺はどうにかなってしまったのだろうかと思う。とはいえ、太陽は空高く昇ってしまっている。草木の向こうに米粒大になった広場が見える。もう試験が始まる時間だろう。どうせ後戻りは出来ないのだ。
いっそのこと、どうにかなってしまえばいい。そうすれば、なるようになれだなんて、そんな破滅的な思考もどうってこと無くなるはずだ。
「進もう」
そこには腰の高さ程はある孔雀の尾のような雑草が無数に生い茂っていた。俺はそれを掻き分けて突き進む。雑草の茎が折れて汁が滲み、脚を濡らし、青臭い匂いが鼻腔を刺激した。
気付けば「あの声」はもう聞こえてこなくなっていた。頭、耳、鼻、目、手、足と、忙しなく身体中の意識を移し替え、感覚で道無き道をただただ突き進む。
「おーーーい!!!」
草むらを掻き分けて行くと、いつの間にか地面は粗めの砂利で覆われ、滝の流れる開けた場所に出た。周囲は反り返る断崖で囲われており、真下には黒い影を落としている。今しがた俺がしたように、思い切り叫びたくなるような空間だ。
この時、「あの声」が聞こえていた時から今まで、ずっと繋がっていた糸のようなもの、目に見えない道標のような、俺を連れてきた己の俯瞰的な直感が、プツリと途絶えてしまったのが分かった。途端に何処へ向かえば良いか分からなくなる。
行き止まりではあるし、どうやらこの辺りがゴールではあるらしいのだが――参った。
ゴールへの道案内というだけで、ゴールで何をすれば良いかは自分で考えろという訳か。とはいえ、周りはよじ登れそうにもない反り返った断崖で囲われているばかりで、「あの声」の主の姿は見えないし、男なら一度は夢に見るであろう、如何にもな宝物が祀られている訳でも無いし、異界への扉が開かれている訳でもない。何の変哲も無い自然空間がそこに在るだけなのである。
「何だよ……何も無しか? 全て投げ出して来たんだぞ! 人のこと呼んでおいて、そんなのってありかよ!」
――何もかも俺の勘違い。緊張による幻覚、幻聴に惑わされただけ。
まさか、そんなことは――そうであっては困る。人生が決定すると言っても過言では無いあの場において、俺は「あの声」の元へ向かうことを選んだ。突発的だったとはいえ、「あの声」の元へ向かう行為が己の人生を賭けるに価すると一度でも見定めたのだ。
「最悪だ……」
放心していたところ、頬に感じた生温さに意識が戻る。雨だ。人生を棒に振ったかもしれない哀れな男を嘲笑うかのような醜い雨だ。空を見上げて頬を垂れた滴が、もはや雨なんだか涙なんだか分からない。
やっぱり少し、俺は後悔しているらしい。