4.黒い翼
「父様!」
駆け出したジョイを追うと、よれよれの男がジョイを抱き上げていた。
「父様どこに行っていたの? とても心配しました」
「ごめんごめん。父様が新しい屋敷を探していたのは知っているだろう? ようやく決まったから、一度、見に行こうと思ってね。そしたら、道に迷ってしまって、なかなかたどり着けなかったんだ。やっと見て、本契約も済ませて屋敷に戻ろうとしたら、やっぱり迷ってしまってね。屋敷に戻ったら、ジョイは教会にいるっていうじゃないか。だから、こっちに迎えに来たんだよ。今度は迷わなかったよ。すごいだろう」
そこは自慢するところじゃないだろう。
「新しいお屋敷、見つかったの?」
「うん。ちょうどね、ジョイのいた教会の近くだよ。大きな屋敷ではないけれど、郊外より人がたくさんいる所のほうが、私も落ちつくからね」
「良かった。父様、私を捨てたんじゃなかったのね」
「当たり前だ。おまえを捨てたりしないよ。なにも言わなかったのは、秘密にしていて驚かそうと思っていたからさ。ちょっと時間がかかりすぎたけどね。屋敷の方は妹に任せたし、もう何も心配せずに二人で暮らせるよ」
父親のマヌケっぷりは安心できないが、まぁ良かった。これでジョイは、元の家ではないけれど、家に帰れる。
最初に見たジョイの色。俺に似た色は、『元いた屋敷に帰れない』という意味だったのかもしれない。それにしても、最初にオバサンが言っていたのは、なんだったんだ? 父親のこの態度からすると、案外、ジョイの異常を父親は知らないのか?
仲良い親子を祝福するかのように、夏の早い朝の光がさしてきた。
やわらかなベールのような清浄な光があたり一面に満ちたとき、ジョイの身体に妙なモノが見えた。背中に黒いコウモリの羽と、その下には先が三角に尖った尻尾、頭の上にはこれまた黒い角のような。平たく言えば、悪魔のそれだ。
「ん? んんん?」
俺は瞬きをして眼鏡をかけ直すと、もう一度見た。眼鏡をかけているのにまだ見える。
「ジョイ、それ、なに?」
片言の俺に、嬉しそうにジョイは答える。
「キース。これが、私の異常よ」
「異常だなんて、とんでもない。母様の忘れ形見だよ。ああ、母様は本当にキュートな悪魔だったよ。落ちこぼれで、魔力は全然なかったらしいけど、あの羽と尻尾は可愛かったなぁ」
このおじさんは無視しよう。
「ジョイ、君、それで空を飛んだり」
「できないわ。羽も尻尾もあるだけで、なんにもできないの。だから能力はないって言ったでしょ?」
「……そう、だね」
俺は言葉の難しさを思い知った。
「なんで今、いきなり出てきたの?」
「いつも隠しているんだけど、朝日を浴びた時だけは隠せないの。今までもうまく隠していたんだけど、昨日うっかり、おば様に見つかっちゃって。おば様、半狂乱になったから困ったわ」
そりゃなるだろう。インパクトありまくりだ。
見つめる俺に応えるように、ジョイは羽と尻尾をピコピコ動かしてくれた。
「でもね、本当に何にもできないのよ。ただ、角と羽と尻尾があるだけ。それも、朝のほんの少しの間だけ。ねぇキース、あなたなら、わかってくれるわよね? 私、最初はあなたの能力に驚いた。けど、異常だなんて少しも思わなかったわ。私より役に立つ素敵な力だと思った。それに比べて私は、羽があっても飛べないし、尻尾も角も飾りみたいなものよ。悪魔の娘のくせに、魔法は使えないし、猫ともネズミともカエルとも話せないのよ」
確かに、いわゆる悪魔だの魔女だのだったら、落ちこぼれもいいところだろう。
俺は、能力について理解しているつもりだった。
能力は個性のようなもの。少し特別な能力があるだけで、他は普通の人間と変わらない。
今日一緒にいただけで、ジョイが優しい女の子だってわかっている。だけど、今見えている姿は、どう考えても悪魔のそれだ。俺はジョイを見つめたまま何も言えなかった。
「ジョイ。今日はもういいじゃないか。彼はお疲れのようだよ。また会えばいい。友達なんだろう?」
「そうだったわ。私のせいで疲れているのよ。キース、今日は本当にありがとう。私、最初に仲間だって言ってもらって、とっても嬉しかったのよ。今度はうちに遊びにきてね。私もあなたに会いに教会に行くわ」
笑顔で父親と去っていくジョイに、もう角も羽も尻尾も見えなかった。本当に見えるのは短い時間だけなのだろう。
俺はせっかく教えてもらったのに、ジョイに言葉を返すどころか頷くこともできなかった。
ジョイはジョイなのに。
「怖い……?」
言ってから驚いた。俺、変だ。あんな可愛い女の子を怖いだなんて。怖いんじゃなくて、これはなんだ?
急に、母様のことを思い出した。
もしかして、母様が俺のことを怖いのは。俺が何も話さないから、理解の範囲外だから? 能力がどうとかじゃなくて、俺が何を考えているのかわからないのが、怖いのかもしれない。
俺自身も、母様が怖いのかもしれない。母様と話さなくなって、だいぶ経つ。会いにきた母様が話すのを、俺は聞くだけ。俺が話すのを、母様は聞くだけ。それだけじゃ何もわからない。
妙に、母様と話したくなった。
一方的に話したり聞いたりするんじゃなく。お互いに話したい。
教会に戻ったらシスターに、俺から母様に会いに行けるか聞いてみよう。
母様は、俺と会ってくれるだろうか。
眠たくてふらつく足取りで、教会まで戻った。
「お帰りなさい、キース」
神父の格好のままのシスターが微笑んで迎えてくれた。
不思議だ。シスターの格好をしているときは女に見えるのに、神父の格好をしているときは男に見える。便宜上、俺はどっちでもシスターと呼ぶことが多いけれど、シスターが本当は男なのか女なのかは知らない。どちらにしても、シスターの笑顔にはいつもほっとする。
「ただいま」
安心したからか立っていられなくなった。
床に崩れ落ちかけた俺は、見かけよりもしっかりした神父に抱きとめられて、ああ、帰ってきたんだ、と感じた。
「大丈夫。あなたが望む限り、道は開けていますからね」
いつか聞いた言葉が、別の言葉のように聞こえた。
今なら、本当にそう思えるし、そう望む。
目を開けていられなくなった俺を、黒い服の神父は横向きに抱え上げた。俺の部屋に運んでくれるのだろう。
閉じた目で、俺は神父の背に、黒いけれど綺麗な翼を見た気がした。
うすれゆく意識の中で、シスターが神父になるとき、どうやって背の高さや体格まで変えているのか聞かなくちゃ、と思う。
そうだ。起きたらジョイにも会いたい。
あらためて、友達になろうって言うんだ。
そこまで考えたところで、俺の意識は眠りに沈んだ。
シスターが魔落ちした天使だと知ったのは、起きてからの話。
ありがとうございました。
ちょっと長いショートショートなイメージでした。
このあと三人は、トラブルメーカーのジョイパパの紹介で、いろんな事件を解決したり巻き込まれたり、ドタバタするのでした。