2.女の子の願い
「キース」
静かなシスターの呼び声に頷くと、俺は教会の奥の部屋に身を潜めた。俺は教会にいないはずの子供だからだ。
明かりを消した窓から外を見ると、予想通り、豪華な馬車は教会の前に止まった。おりてきたのは、帽子から垂れるベールで顔を隠した身分の高そうな貴婦人だ。その手には、俺と同じ十歳くらいの子供がつながれている。暗くてよく見えないけれど、ドレスを着ているから女の子だ。いったいどんな能力を持っているのだろう?
俺はそっと部屋から出ると、教会へと向かった。
音をたてないように死角になっている扉から入ると、並ぶ椅子の陰に隠れた。
「この子を治して欲しいんですの」
ちょっと甲高い声で、貴婦人は言った。美人っぽいけどキツそうだ。
「マダムのお嬢様でしょうか?」
答えるシスターの声は低い。
いつもながら素早い着替えで美青年神父になっている。シスターはちょっとナルシストな気があって、シスター神父どちらの格好もする。『このほうが客のニーズに合う』というのが言い分だし、確かに成功しているとも思うけど、俺はシスターの趣味だとしか思えない。教会の表向きの売り文句は『美形双子聖職者のいる教会』。自分で美しいって言うあたりがナルだ。
「いえ、兄の子ですわ」
「申し訳ありませんが、こちらでは、ご両親とご本人の希望がなければお受けできません」
美形神父が柔和な笑顔でやんわりと断わると、貴婦人は忌々しそうに言った。
「兄嫁は三ヶ月前に交通事故で死にました。兄も、ここ一週間、戻ってまいりませんの。きっと、この子、捨てられたんですわ」
『捨てられた』という言葉に、女の子が身をかたくするのがわかった。
「ですから、わたくしが育てようと思って、この子を引き取ったんですの。それが……ああ恐ろしい。とても口では言えませんが、とにかく異常なのです。治してください」
背の高い神父は女の子へ視線を落とした。
「普通のお嬢様のように思いますが……」
俺も物陰からじっくりその子を見た。
顔のつくりは綺麗な部類に入る。長い髪はさらさら、黒目がちの大きな目。ひらひらな服を着ているから人形みたいだ。人形と違うのは、唇がきつく結ばれていることと、目をずっと伏せていること。笑えば可愛いだろうな。無表情なのは、傷付かないように心をガードしているのだろう。俺と同じで、自分がおかしいことをわかっている態度だ。
「すぐにわかりますわ。とにかく、一刻も早く治していただきたいのです。前金はこのくらいでよろしいかしら」
貴婦人は紙幣の束を神父に押しつけた。
「こんなに? まだ何もしていませんし……」
「成功すれば、さらに倍額の寄付をしますわ。その代わり、成功するまでお願いしたいのです」
つまり異常なままでは帰ってくるなってことか。ますます自分を見ているようだ。
この子は本当に能力者なのか?
俺は伊達眼鏡を外した。世界の色が変わる。
暗かった教会内部が、ぼんやりと明るくなった。姿以外嘘のないシスターは、いつもほんのり光って見える。貴婦人は表裏のある色を放っている。女の子は俺と同じ複雑な色をしていた。
同じ色ということは、仲間? 今まで、何人も教会に連れて来られた子供を見たけれど、みんな違う色だった。過程は違えど、シスターの能力でそれぞれ無事に家に帰っていった。
でも、目の前のあの子は違う。俺と同じ異常能力者で家にも帰れない。そんな色だ。目をすがめると、予知ビジョンが見えてきた。この子は俺の運命を動かす『鍵』……。
「わかりました。お嬢様は大切にお預かりします」
書類を交わし終わると、貴婦人はしなりと身体をくねらせた。
「神父様。それとは別に、わたくしの悩みを聞いてくださいます?」
「本日はもう夜も遅いですから。後日あらためてゆっくりとお聞きしますよ。ご婦人のお話なら、妹の方がいいかもしれませんね」
完璧な笑顔で神父が拒絶すると、貴婦人は振り返りもせず足早に出て行った。
神父は眉をひそめて見送ると、しゃがんで女の子と向き合った。
「名前も聞いていなかったね。お嬢さん、お名前はなんていうのかな?」
「…………」
緊張しているのか、置いていかれたショックからか、女の子は黙ったままだ。
俺は女の子を読むと声を上げた。
「ジョイだろ? 俺はキース、よろしく」
ジョイは目を丸くして声の出所を探している。俺は、物陰から瞬間移動してジョイの隣に移動した。
「ジョイ。俺は君と同じ能力者なんだ。仲間がいて嬉しいよ」
右手を差し出す俺に、ジョイは反射的に手を伸ばしながら、昔に俺と会ったかどうか記憶を確認している。俺は先回りして言った。
「初めましてだよ、ジョイ。さっきのオバさんのイトコでも親戚でもないし、君の家系の関係者でもない。ほんと嬉しいよ。仲間がいたなんて。ねぇ、君の能力は何? 俺はね、こんなこともできるよ」
教会内の蝋燭を、俺たちのまわり以外全部、消し去った。
「こうすると舞踏会場みたいだろ? ネズミを呼んでダンスパーティでも」
「きゃあああっ」
「キース!」
ジョイの悲鳴と神父の怒声は同時だった。
俺の手にジョイはなく、神父がジョイをしっかり抱きとめていた。
「キース! いきなり能力を使ってはいけないと、あれほど」
「だって、その子、仲間なんだ」
「わ、私には、そんな能力ありません!」
俺と神父は顔を見合わせた。
「キース、この子を見ましたか?」
「見た。仲間に見えた。能力も持っている」
「私は何もできません!」
「そんなことないよ。だって」
俺の目にうつる彼女の色に嘘はない。本心から『ない』と言っている。
「あれ? なんで?」
「ジョイ。ではなぜ、あなたのおば様はここにあなたを連れてきたのですか?」
「それは……」
『私が異常だから』。口にしない言葉が、はっきりと見えた。でも、その異常が何かは見えない。こんなことは珍しい。この子は、心のガード能力者かもしれない。
神父はそっとジョイを離すと、再びしゃがんで穏やかに告げた。
「今日はもう遅いです。あらためて、明日ゆっくりお話ししましょう」
「神父様。私、ここにいてもいいんですか?」
「ダメだ。ここは能力者しかいられない」
「キース! 大丈夫ですよ、ジョイ。狭いところですがいてくださいね。キースも仲良くね」
「ふん」
ジョイは不安そうに俺を見た。くそっ。俺が悪者みたいじゃないか。
「ほら、行くぞ。部屋に案内してやる」
「うん」
まったく面白くない。仲間だと思ったから自分の能力を披露したんだ。いつもならこんなことはしない。まぁ、後で神父がうまく記憶を消してくれるだろうから、気に病む必要もないのだけど、とにかく面白くなかった。どうして俺と同じ色なのに、俺は能力を見せたのに、能力がないなんて言うんだろう?
「ここがおまえの部屋。俺は隣。じゃ、おやすみ」
「待って」
「なんだよ」
「さっきの、あなたの能力、ちょっとだけ貸してもらえない?」
なんじゃそりゃ。
「貸せるわけないだろ。おまえ、意外に図々しいんだな」
「じゃあ、少しだけ、話を聞いてもらってもいい?」
「そのくらいなら」
俺は彼女の部屋に入った。
「私の父様、一週間前から行方不明なの」
「あのオバサンから聞いたよ」
「私、父様のところに行きたいの」
「へえ。行き先、わかってるのか?」
「うん」
ジョイは頷いたけど、俺には見えた。
実際はジョイも父親の行き先を知らない。ジョイにも親戚にも一言もなく、父親は消えたのだ。ジョイは父親の手がかりを探したいようだ。
「すぐにでも父様のところに行きたいの。でも、今日はいきなり連れてこられたから、少しもお金を持ってなくて。お金をとりに家に戻りたいんだけど、おば様は私を嫌っているから、普通に行っても入れないと思うの」
「その手伝いをしろって?」
ジョイは大きく頷いた。
「さっき見せてもらったあなたの能力を使ったら、きっと大丈夫。お願い。一度だけでいいから、手伝って。そうすれば、私、明日にでもここを出て行くわ」
どうしようか?
お金が必要なら、さっきのオバサンのお金を使えばいいと思うけど、それは嫌なようだ。まぁ、俺の能力を目にしながら、俺を怯えていないのは評価できる。怯える原因の読心能力を話していないからかもしれないけれど。読心と言えば、俺にも見えないジョイの能力は何なのだろう? ここで俺が協力すれば、ジョイの能力がわかるかもしれない。能力者じゃないと言いはるから、つい冷たい態度をとってしまうけれど、俺は確かに見たんだ。ジョイに能力はある。貴重な仲間には親切にしたい。
「わかった。一度だけだぞ」
ぱっとジョイの顔が明るくなった。
笑うと可愛いや。