異世界メモリアル【2周目 第40話】
期末試験が終わって久々に試験休みでのデート。
夏休みを前にして、今年の夏はどこに行こうかという相談をしたかった。
試験勉強中もこの相談自体が楽しみで仕方がなかった。
「年齢によって水着変わっちゃうから、水着選びは慎重にしないとだよな。いやぁ~どうするか。悩むなぁ~。なぁ、ニコ?」
およそ悩んでいる人間とは思えないウキウキ気分の俺の声に、彼女は悲しそうな顔を見せた。
「ロト、ごめんね」
「ん? どうした、ニコが謝るようなことなんて何一つないだろう?」
「私、男になっちゃう」
――は? なんだって?
甘々な生活に、突如やってきた稲妻のような知らせ。
普通の世界なら、一笑に付すセリフだが。
世界屈指の製薬メーカーであるラテスラ社のご息女であり、天才化学者でもあるニコが言うと意味が異なる。
それじゃ水着姿が見れないや、残念。などという軽い話ではない。
「父親、か?」
「うん」
ニコの父、ラテスラ社のCEO。
ニコが見るからに幼い見た目をしているのも、彼による実験の影響だ。
明らかに非人道的な行いだが、異世界の常識は元の世界の非常識。
生前の考え方は通用しない。
この世の中におけるラテスラは、難病や困っている人を助ける薬を作っている正義の製薬メーカーという位置づけだ。
「……性転換できる製薬の実験ってことか?」
「そう。すでに動物実験は成功済み。この薬を待っている人達がいる」
確かにそういう人もいるのかもしれない。
心が異性として生まれてしまった、そういった人を救えるのかもしれない。
だからって、18歳になったばかりの普通の女の子が、製薬メーカーのご息女だからという理由で性別が変わるなんてことを甘受しようというのか。
そんなことが許されるわけがない。
そんなことのために開発された薬であるわけがない。
「俺は嫌だ」
ストレートに思いを伝えると、ニコはかぶりを振った。
「仕方ない、の」
意外だった。
私も嫌だと、言ってくれると思った。
もう俺に話を持ちかける時点で、結論は出ていたのだろう。
おそらくは、悩んで悩んで悩んで、どうしようもなくて、今この話をしているのだろう。
だから、仕方ない、と思うかもしれない。
でも、そんなわけがない。
だって、これ。
この世界って、ギャルゲーだろ?
なんだかんだ言って、これはギャルゲーなんだろ?
だからハッピーエンドがあるはずなんだ。
そうだろ、神様。
「なにか方法はないか、言うことを聞かせる方法」
「……趣味で空手をしているから、空手で勝てば実験をやめさせるという約束は取り付けられるけど」
「よっしゃ、乗り込んでいって、ぶん殴ってやる」
「やめて! 寅野さんでも勝てないくらい強いの! 怪我しちゃうよ」
まさか、とは思うが。
ニコを攻略するためには、実は運動能力を高めて真姫ちゃんに勝てるくらい鍛える必要があった?
ぎりり、と歯ぎしりをしてしまう。
認めたくないぜ、そんなの。
「わかってる、無茶はしないよ」
「よかった。でも、もう来週には男になってると思う。ごめんね」
――わかってても、どうしようもなかった。
あんな顔を見て、平気でいられるわけがないだろう。
何もしないでいられるわけがないだろう。
俺はニコに知らせず、ラテスラ社に乗り込み、空手対決のアポをとった。
高校生が企業の受付で、CEOをいきなり呼びつけるという普通に考えれば無視されるシチュエーションだが、そういうルートがちゃんとあるということだろう、あっさりと勝負の場は設けられた。
翌日。
ラテスラが保有する武道館という大舞台。
俺は、ボッコボコに負けた。
もう為す術なしという感じ。
最初の一撃はわざと食らったらしく、渾身の力で打ち込めたが、全く通用しなかった。
その後は一方的にやられただけ。
おそらく運動能力のステータスが倍以上必要だと思われた。
ニコの父親がそういう性格なのか、それとも、ここで勝てばニコを男にしなくてもいいという重要なイベント分岐だからなのだろうか。
怪我の状態異常に追い込まれた。
以前真姫ちゃんの道場破りに行ったときほど、相手は強くなかったのに、いくつか骨を折られている。
誰がどう見ても全身怪我人という重症だが、入院はしなくてよく、手は動かせるし、ぎりぎり歩ける。
しかし生徒会、部活、運動、料理、バイトといった活動に制限がかかってしまった。
夏休みに入ったので、そこまで影響はないと思うが、なかなか厳しい状態異常だ。
家で宿題をしているとニコがお見舞いにやってきた。
「無茶はしないって、言ったのに」
俺の部屋に入ってくるなり、ニコは泣いた。
包帯やギプスを触りながら、嗚咽を漏らした。
男になってしまうという話をしているときですら涙は見せなかったのに。
情けなかった。
何も言えない俺に、彼女は言葉を続ける。
「今夜、薬を飲むよ」
もっと情けなかった。
ちゃんと助けられるルートがあって、俺の無力さゆえにそうなってしまうのだと嫌でも思い知らされる。
俺も泣いた。
お互いが謝罪をし合って、お互いがそれを受け入れなかった。
どちらも自分が悪いのだと、譲らなかった。
ただ二人で涙を流しあって、しばらくたっても涙は枯れず、やがて彼女は小さく手を振って部屋を出ていった。
――死のうか。
死んで、やり直そうか。
そのくらいであいつをぶん殴れるなら、安いものだろう。
そのくらいでニコが男になることを防げるっていうのなら、何度でも死んでやる。
ところが、この怪我では、危険なバイトも出来なかった。
アホか、俺は。
死ぬことすら出来ないとは。
何もする気が起こらず、キッチンで冷たいものでも飲もうと階段を降りる。
暗がりの中にほのかに妹の姿が見えた。
「お兄ちゃん、どうしても死にたいなら、殺してあげようか」
その声は、冷たく恐ろしくも感じたが、優しくも聞こえた。




