異世界メモリアル【6周目 第29話】
「次孔さんも知らなかったんだね」
「うん……」
救急車で運ばれたハルミさんは、病室で寝ている。
俺たちは、医師から説明を受けた。
詳しくはわからないが、ハルミさんはとても重い病気であるということだった。
「さっきのお医者さん、見たことある。ママの男だと思ってた」
「それって……」
つまりは単にお金だけが目的で医者と関係を持っていたわけではないということか。
なにか事情があるような気はしていたが……
「なんにもわかってなかったんだ」
待合スペースの椅子で泣き崩れた次孔さんに、掛ける言葉は見つからなかった。
自分を攻める次孔さんをどうやって慰めたらいいのか。
ただひたすら、嗚咽を漏らしている背中を撫でるくらいしか出来ることはなかった。
この世界を6周もやっていて。
ステータスがこれだけ高いのに。
好きな女の子が悲しみにくれているのに、なんにもしてあげられない。
「パパ……」
次孔さんの父親がやってきた。
「ついに倒れちまったか」
そのボソッとした一言に、イラッときた。
「どこまで知ってて言ってるんです」
自分でもびっくりするくらい低い声が出た。
「だいたいは知っとる……すっかり兄ちゃんもハルミの方になついたようやな……もう隠しきれんか。律動にも、もう話してもいいかもしれん。兄ちゃん……いやロトも聞いてくれ」
それから次孔さんの父親は、淡々と話した。
ハルミさんの病気は完治は難しく、投薬による延命は可能だが非常にお金がかかると。
医者から言い出したのか、ハルミさんから持ちかけたのかはわからないが、それから医者と関係を持つようになったそうだ。
その後医者以外とも付き合いが始まった。
元々共稼ぎで家計を立てており、病気で普通の仕事ができなくなったこともあり、お金が足りなかったのだ。
当然だが、次孔さんの父親はそれを良しとは思えない。当然だ、不倫関係なのだから。
しかしながらそれが生きるためとなってしまっては、止めるわけにもいかない。
そして別居することになる。
すべてを解決できるのは大金による臓器移植だけ。
それで次孔さんの父親は、一攫千金を狙うようになったそうだ。
「俺に言ってた話とだいぶ違いませんか」
「そんなに違わんやろ。事故を起こしたってのが、ハルミが病気になったことくらいで。借金があるのも本当やし」
そうかもしれない。そうかもしれないが、ハルミさんの事情が違いすぎる。
いまだに男をとっかえひっかえしているって、それは病気のせいだってわかってたんじゃないか。
「わしが情けないことも、不甲斐ないことも何も変わらんやろ」
確かに。確かにそうだが。でも、でもな。
俺は拳を握る。固く、固く握る。
「殴るか。しゃあない」
目の前に立った、冴えないおっさんに俺は。
ふるい上げた拳をゆっくりと解いて……
「大変でしたね……」
それだけ言って、抱きしめた。
それしか言えなかった。
この人は、自分の妻が大病を患って、それが理由で不倫をしていて、全部わかった上で自分のせいだと考えて、それでもお金は稼げなくて、せめて娘は幸せにしてやりたくて……。
なんて情けない。なんて情けない人生を頑張ってきたんだ。
それを思うと、他に言いようがなかった。
どんな言葉でも、安く感じてしまう。
ただこの人の気持ちに寄り添うことしかできない。
「お、お前……わしはクズやぞ」
そりゃあさ、死にものぐるいで働いたらどうだって言うやつもいるだろう。
でもな、俺は知ってる。
ステータスがあろうがなかろうが、高い能力もないのに金を稼ぐのは難しいって。
生まれ変わってアドバンテージがもらえるわけでも無ければそんなに簡単じゃないんだって。
よくできたサポートキャラの妹もいない状況で、大金を稼ぐなんてことは容易じゃないんだって。
ましてや、この人のように手が不自由ではできることは限られる。
本当に、苦しかっただろう。
「家族が大変なのに、苦労しているのに、借金して、ギャンブルして、タバコ吸って、酒を飲んでるような、クズやぞ」
「つらかったでしょう」
「お、お、おおおお……」
俺の胸元で、膝から崩れ落ちた。
次孔さんも、ハルミさんも、確かに辛いだろう。俺にはわからない苦労も悲しい思いもしたとは思う。
それでも、それなりに人生を楽しんでいると確信している。だからこそ惹かれているのだ。
でもこの人だけは、ずっと辛かったんだと思う。寂しかったんだと思う。
それが、床を濡らす涙の量でわかる。
「わしが、わし、おおお……」
「もう自分を責めないでください」
俺への説明についても、配慮されたものだ。
仕方ない、やむを得ない事情だと思うのに、全部自分が悪いことにしていた。
本当のことを知ったら、病気を治せるほどの大金が稼げない場合に俺が辛いからだ。
そこまで稼げなかった場合でも病気の母親から引き離すことで、娘だけでも幸せにしてやろうと思ったのだろう。
ヴァージンロードを一緒に歩いてやりたいという気持ちは、本当だったんだと思う。
「ぐすっ、ぐすっ……ううっ、ひぐっ……」
ごめん、次孔さん。
次孔さんも、涙が止まらないみたいだけど、何もしてあげられない。
さっきは背中を撫でるだけだったけど、今なら抱きしめることが出来ると思う。
それでも、何もしてあげられない。
今は、今だけは。
「おおおお……ああああぁ……」
大好きな女の子よりも、このおじさんを抱きしめさせてくれ。




