異世界メモリアル【第20話】
朝、下駄箱を開けるとそこには手紙とチョコが……無かった。
焦るんじゃない、俺はチョコが欲しいだけなんだ。
なぜか下駄箱に入ってることがマンガではよくあるが、常識的には食べ物を靴箱に入れるわけがない。
落ち着け、一日はまだ始まったばかりだ。
全く貰える予兆がない人生でも、もしかして? とソワソワする。
ギャルゲーでも、チョコ貰えるよな? とドキドキする。
少年誌のラブコメマンガですら、今週はバレンタイン回かとウキウキする。
それがバレンタインデーである。
食文化の異なるこの世界であるが、バレンタインデーに渡すものはやはりチョコらしい。
1時限目が始まった。
クラスメイトの中には、親しい女の子はいない。
まだだ、まだ貰えるタイミングではない。
2時限目が終わった。
なんとなく遠くのトイレまで足を伸ばしてみる。
だが、なにもおこらなかった。
昼休みになった。
どうする? 誰か訪ねてくるかもしれない。
とりあえず席に座っておいてみる。
――5分位経ってしまう。
「うわー、こいつチョコ貰えるかもしれないと思って、昼休み飯も食わずに待ってるじゃん」
って周りに思われてたらどうしよう!?
恥ずかしい、恥ずかしすぎる。
俺はいたたまれなくなってフラフラと教室を出た。
舞衣の作ってくれた弁当を中庭で食べることにする。
1人で食べるのは、声をかけてもらいやすくするためであって友人が1人もいないわけではないぞ。
お弁当を開けるとなんとチョコで出来ていた! 舞衣のやつぅ~!
――なんてことは勿論無く、俺が再現してレシピを教えた所謂いなり寿司だ。
寒い。
当然だが2月に中庭で弁当を食ってるやつなどいない。
アホか、俺は……。
弁当を食べ終わった俺は教室に戻った。
ん!?
机の中に何か知らないものが!
これはひょっとして……!?
期待とともに取りだしたものは、ピンクのラッピングの箱!
き、来たか!
ゴクリ……。
丁寧に包装紙を剥がすと、それは”萌える参考書 ~メイドさんと覚える世界の奴隷制度編~ だった。
つか、これ俺のじゃん。
「あ、借りてたやつ返しといたぜ」
義朝かよ!
なんでピンクのラッピングなんてするんだよ!
俺が鬼の形相で睨みつけると、義朝は「返すの遅くなってすまん」などと見当違いのことをのたまった。
まぁ、いい。こいつはチョコが貰えないタイプの男だ。
許してやろうじゃないか。
「そういえば、お前の妹さんからチョコ貰ったわ。ありがとな」
な、なんだと……。
な~ん~だ~あ~とぉ~~~!?
「……どういうことだ」
「胸ぐらをつかむのはやめてくれ!? 兄がお世話になっていますってくれただけだ!」
俺だって貰っていない妹のチョコをッ……。
超絶義理だとしても許せぬッ……。
「泣くことないだろ、ロト」
呆れたように言う義朝。
俺……泣いているの……?
午後の授業が始まったが、教室では俺のすすり泣く音が止むことはなかった。
授業が終わり放課となった。
チョコを貰えないまま放課後になってしまった。
まだだ、まだ終わらんよ。
これから部活じゃないか。
料理部に行けば、沙羅さんがいるじゃあないかっ!
調理室に入ろうとした俺は、開けたドアをすぐに閉めた。
中で料理部の先輩がチョコを渡しているところだったからである。
なんなんだ、この見てはいけないものを見た感じは……。
甘酸っぱい雰囲気を醸し出している調理室に入れる気がしない。
とぼとぼと調理室を離れる。
行く場所がない。
居られるところがない。
こんなに寂しいことがあるだろうか。
チョコが貰えるかもしれないなどと、期待したから。
そんな淡い希望を持ってしまったから。
今まで貰えなかったのは男子校だからだと、諦める理由があったほうが楽だった。
貰えるわけがない状況の方がまだマシだった。
貰えることを期待して貰えないのはこんなにツラいことなのか。
共学校の男子たちは、みんなこんな思いをしていたというのだろうか。
羨ましいなんて思っていたことがおこがましい。
もう帰ろう。
絶望を受け入れて歩みだす。
「あっ、いたいた。 どうしたんすか、自分のエラーのせいで甲子園出場逃した外野手みたいな顔して」
次孔さんがいつものように元気な笑顔で話しかけてくれた。
腰を折り、両手を後ろに回している。
「んっふっふ~、じゃ~ん」
上目遣いのまま、後ろに回していた手を差し出す。
そこには可愛らしくラッピングされた箱があった。
「あげるっすよ~、嬉しいでしょ」
ああ……嬉しい。
嬉しいなんて言葉では全然表現できない。
こんなに有り難いことがこの世にあったのかと思う。
俺は膝から崩れ落ちて、感涙にむせびながら、両手を固く握りあわせた。
地獄から救い出してくれた救世主に祈りを捧げるように。
「嬉しいなんてもんじゃない、本当にありがとう」
「ちょっと喜びすぎて怖いんだけど……まぁ嬉しいかな」
頬を指で掻きながら、頬を赤らめる次孔さん。
貰ったチョコを胸に抱いて目を瞑っている俺に満足し、手を振って去っていった。
感激が強すぎて、しばらく動けず固まっていると、近づいてくる気配があった。
「廊下の真ん中で祈りを捧げるとは、妹でも信仰しているのか?」
片膝をついている俺を見下ろしながら、沙羅さんが冷酷な声でそう言った。
「いや、ちょっと神に感謝したいことがあったんだ」
「そうですか。なんで部活に来ないんです?」
俺は立ち上がって、沙羅さんの顔を見る。
「ひょっとして、待ってくれてました?」
「は? べ、別にお前など待っていない。少し用事があっただけだ」
唇を尖らせる沙羅さん。
この反応、まさか!?
「ひょっとして、調理室でチョコを渡そうとしたのに俺が来ないから怒ってるんですか?」
「んなっ……そんなわけないだろう、調子に乗ってるなっ?」
わたわたと明らかに動揺を見せている。
成る程、わかったぞ。
「そうか、そうだよな。俺なんかにチョコをくれるわけないよな、ああ悲しい」
俺は両手で顔を覆い、これ以上ないくらい悲哀に満ちた声で落ち込んでみせた。
「そ、そんなにショックだったのか? 私からチョコが貰えないことが?」
「いや、貰えないと思ったけどさ、もし貰えたならそんなに幸せなことはないだろうなって」
「ほ、ほう? そんなに喜ぶのか?」
「当然だろ? 沙羅さんのチョコだよ? 一生忘れないだろうね」
「へ、へ~。 そうなんだ」
すると沙羅さんは左上に視線を逃して、腕を組みながら、こほんと咳払いをした。
「実は1つチョコが余っているので、くれてやってもいいぞ」
俺は心の中でガッツポーズをする。
やはり、最初からくれるつもりでいたのだ!
余ってるなんてしょうもない嘘を付いちゃってまあ。
顔を覆った両手の内側でほくそ笑んだ俺は、攻めのスイッチが入った。
「でも、哀れみでくれているだけの義理チョコだよね。 悪いからいいよ……」
俺は肩を落とし、下を見ながらしょんぼりと言う。
もちろん、演技である。
「あ、哀れみなんかではないぞ。ちゃんと用意したんだからな」
「あれ? 余ったからくれるだけなんだよね?」
「――あっ」
顔を赤くしながら、口の前で手をパーの形にする沙羅さん。
普段がクールビューティーなので、こういうコミカルな表情が可愛くてしょうが無い。
「仕方なく、嫌いだけど、義理でくれているんだよね?」
俺は下から覗き見るように、自信なさそうな声を出す。
「ち、違うぞ? そういうわけじゃない」
「と言うと? 嫌いじゃ、ない?」
「嫌いじゃないぞ」
「義理でもない?」
「義理じゃない」
「つまり、好き? 本命チョコ?」
「そうそう、好きだし、本命……って何を言わせているんだぁ!?」
両手をブンブンと振り回し、地団駄を踏んでいる。
口を右手で強く覆い、ニヤニヤしそうになるのを必死で我慢する俺。
「余ったチョコ食ってろ、ばかっ」
俺の胸にチョコを押し付けて、ぷんぷんと怒りながら逃げていった。
はー、可愛かった。
2つもチョコを貰えて多幸感に包まれた俺は、浮き足立つように帰宅を開始した。
朝とは違う気持ちで下駄箱を開けると、素っ気なく板チョコがぼんと置いてあった。
何のラッピングもされていない板チョコを取り出すと、付箋紙が貼ってある。
『やる。 トラより』
ははっ。真姫ちゃんらしいや。
このぶっきらぼうな感じが、何とも心地よかった。
いたよ、食い物を下駄箱に無造作に入れる人が。
俺の持っていた常識なんて簡単に打ち破る。
さすが真姫ちゃんだ。
板チョコを大事に鞄に仕舞って、靴を履く。
校門に差し掛かると見知った声が聞こえた。
「いつもお世話になってまーす」
なにやら駅前のティッシュ配りのようにチョコを配っている実羽さんがいたのである。
何やってんの!?
「じ、実羽さん? これは一体?」
率直に疑問をぶつけると、こんな返事が帰ってきた。
「義理のある人全員に義理チョコをお配りしています」
――なんじゃそりゃ。
「あ、先生、いつも有り難うございます」
左手に持った紙袋から一つ小さな包みを取り出して、教師に渡す実羽さん。
ここまで徹底的な義理チョコがあるのか。
俺は口をあんぐりと開けながら、しばらくぼーっと見ていた。
帰る人が途切れると、さて、と言いながら実羽さんはこちらを向いた。
「ロトさんもどうぞ」
「あ、ああ、ありがとう」
差し出されたチョコを受け取る。
ん?
みんなに配っていたものとはちょっと違うような?
「これって、義理チョコだよね?」
本命チョコとまでは思えない見た目に、俺は確認の問いかけをする。
実羽さんは、うーんと少しだけ考えるような素振りをしてからにっこりと笑ってこう言った。
「ちょっとだけ好意が含まれています」
そのあまりにも嘘や誇張のないセリフに、俺の胸がどくんと弾んだ。
妹から知らされている親密度ではなく、率直に聞いたリアルな気持ち。
このちょっとだけの好意が、こんなに尊いとは。
「ありがとうございます」
俺は丁寧にお礼を述べる。
「どういたしまして」
イケイケのギャルのような髪型と髪飾りで、ぺこりと、実羽さんもお辞儀をした。
ルックスは派手なのだが、佇まいはお嬢様っぽいんだよなあ。
「あ、校長先生もお世話になってます」
義理チョコ配りが再開されたので、俺は目配せして別れた。
家に帰ってリビングに向かう。
ほくほく顔でチョコにあわせるコーヒーのようなものを淹れていると不機嫌な顔が現れた。
「泣いて友達の胸ぐらをつかむのはやめて」
冷たいジト目を浴びせてくる妹。
なぜバレているのか。
「あと、それ、あげる」
顎をしゃくった先を見ると、大福のようなものがあった。
なぜ大福……。
「じゃ」
素っ気なく二階に上がっていく舞衣。
なんのこっちゃ?
特に期待もせず、大福を口に放り込む。
大福は、チョコ大福だった。