異世界メモリアル【5周目 第29話】
ずっと考えていた。
どうしたらいいのかって。
どう考えても鞠さんの父親をこのままにしておくことは出来ない。
だが、悪いことをしているわけではない。
それこそ、真姫ちゃんの父親みたいな明らかな体罰なら、思っきりぶん殴れるのだが。
そう、真姫ちゃんの父親なんだよ。
彼は彼なりの愛情であんなことをしてたんだ。
あんなにどう考えても許せないやつでも、実は悲しみの果てに辿り着いた結論だったんだ。
今回の相手は娘と一緒にゴルフに行ったり、テニスをしたりと仲が良い。
金銭的にも裕福で何不自由なく暮らしている。
だから、だからわからなかったんだ。
それはそれで正しいから。間違っているとは言い切れなかったから。
信じているとか、自由にさせてくれているとか、ポジティブな言葉が溢れているから。
悪役じゃないから、どうしていいかわからない。
でも、それが俺の間違いだったんじゃないかと思う。
ゲームだと思うから、どうしたらいいのかと思うんだ。
どこに行くのか、選択肢をどうするのか、それはクエストの考え方。
普通は?
現実なら?
当たり前だけれど、普通、好きな女の子の父親が絶対的な悪なわけがない。
でも、交際を反対されることはあるだろう。
逆に交際相手の父親が許せないことだって、あるだろう。
そう考えたときに初めて見つかった。
俺は鞠さんをベッドに寝かせて、この状況でも姿を見せない父親の部屋を訪ねた。
ノックすると「どうぞ」と、あまりにも普通の返答。
あやうく娘がモンスターに囚えられて酷い目にあったり、殺されるかもしれなかったのに。
しかし俺も平然と、普段どおりにドアを開けて、ニュートラルな表情のままで彼に向き合った。
「話を、してくれませんか。二人で」
「……お酒は飲めるかい」
こくり、と頷く。
高級車の後部座席に二人で乗って、無言のまま夜の街を走ってゆく。その静けさが、俺を緊張させていった。これは俺が転生する前の、普通の世界においての山場なのだろう。
ゲームオタクの俺にとっては、魔王を倒したり、レースで一位を取るほうがよっぽど気が楽だ。
ギャルゲーで攻略したい女の子の父親と、こんな感じになることないだろ。
着いたのはレンガ造りのビル。地下に向かう階段を降りると、重そうな木製のドア。
自分一人ではとても入れないオーセンティック・バー。彼が片手で押して入るのを黙ってついていく。
俺はこの世界に着てからだいぶ経つので、長いこと生きている気がするが、こういうときに実感する。俺はまだまだ子供なんだと。
手で促され、背の高い椅子に腰をかける。
彼は紳士的な態度を崩さずに、帽子とコートを取って隣に座る。バーテンダーは声もかけずに少しの動きで挨拶を交わしたようだ。常連なのだろう。
「バーボンを。トワイス・アップで」
「はい。お客様は」
――こんなに緊張する注文があっただろうか。ここで格好良く注文出来ないとその時点で負けのような……いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。
「こういったところは初めてで」
「そうですか。お若いですからね」
「彼には同じものを使った飲みやすいカクテルを作ってもらえますか」
「わかりました」
……これでいい。
背伸びをしようとするのが子供なんだ。ここは等身大の自分で挑むべきだ。
バーで横並びになって話すのは、顔を突き合わせないから話しやすい。酒を飲んでいる状態というのも、本音を言いやすい。やはり彼はとても紳士であり、大人だ。
出てきた飲み物を一口飲んでから、ようやく会話が始まる。
「鞠のこと、だろう」
「ええ。もちろんそうなんですが、どちらかというとあなたのこと、です」
「私の?」
「はい」
カクテルはすっきりと甘くて美味しい。大分話しやすくなった気がする。相手の顔を見なくても、黙って話の続きを待っていることはわかる。
「鞠さんから聞きました。子供は宝だからいっぱいいるって」
「ああ。そのとおりだ。子供がたくさんいるというのは幸せなことだ」
「でも宝物にしては、随分と執着していない気がして。傷がついたらどうしようとか思わないんですか」
「なるほど。もちろん子供は宝物だけど、人間だからね。縛り付けるわけにはいかないだろう」
ここまでは想定通りだな。
もう一口、カクテルを飲む。シトラスの香りが、気持ちを落ち着かせてくれる。
「失礼ですが、ご自分は縛り付けられていた、とか」
「そんなことは、ないと思うが」
「じゃあ、女の人を縛り付けてた」
「……長くなるが」
カラン、と彼のタンブラーの氷から音がした。
鞠さんの父親は、若くして結婚したのだという。
彼女の両親から結婚を反対されていたため、式も挙げることはなく、狭い部屋を借りて住み、苦労をかけたそうだ。
そんななか妊娠したときはそれはもう心配したと。そうだろうとも。だから大切に大切に、縛り付けたそうだ。
働かなくていい。家を出なくていい。誰とも話をしなくていい。
それは権利ではなく、完全に縛りであった。
一年ほどで最悪の結果を迎える。なんと彼女は子供と一緒に心中してしまった。
愛している自信はあった。
できるだけのことはしていた。
心配して、束縛して、大丈夫だと思っていたら死んでしまった。
その後、彼は商売で成功する。
だが、彼は一人の女性に本気になることを恐れてしまった。
愛したら、死んでしまうかもしれない。
そして、子供にも。
だから、ライトな関係を築いた。結婚せず、子供は作る。経済的な援助も惜しまず、フレンドリーに仲良く過ごす。
自由と博愛。ストレスのない、それはそれは、とても心地の良い関係性だった。
独占したいというのはエゴだと。
自分に言い聞かせるように。
――ああ、やっぱりそういうことなのか。
事情がありすぎる。
自分の娘を心配するという当たり前すぎることが出来ないのには、やはり深い事情があるのだ。
そしてやっぱり、あなたは間違っているとは、とても言えたものではない。
しなくていいは、するなであり、彼女は生後間もない子供の面倒を見ている中で相談出来る相手もおらず、気分転換もできずに精神をすり減らしたのだろうと俺は思う。
決して、愛されてないと思ったわけでも、心配されて嫌だったわけでもないんだ。きっと。
愛さえあればいいわけじゃないんだなあ。
二杯目のカクテルが空になるまで、俺は口を挟まずに話を聞いた。
吐き出した、という気持ちになったのか、ようやく彼は俺に問う。
「だから、鞠のことは自由にしていい。私は彼女を信頼している」
格好をつけることもなく、自然に格好良くそう言って、彼はタンブラーの中身を飲み干した。
……このまま終わりにさせるわけないだろう。
俺はバーテンダーに同じものを注文するよう依頼した。
「何も変わってない。何も変わってないんですね、あなたは」
「……何がかね。真逆になった自信はあるが」
「ええ、右に背いていた顔を左に背けたんでしょうね。ただ、あなたは正面を向いていない。向き合っていないんだ」
「……何が言いたい」
三杯目のカクテルに口をつけて、俺は言い訳をする。
「少し酔ってきました。ガキが旨いお酒を飲むと駄目ですね」
「構わない。好きに言い給え」
さすが紳士。失礼なことを言うことを許された。
「何が好きに言い給え、だ。あんたは自分が愛している相手に、好きに言えてないじゃないか」
「……そうしたら、そうしてしまったら……」
「いや、言ってないんだ。最初から言ってないんだよ。どうしなきゃいけないかだけを考えてて、話をするっていう、本音を伝えてから二人で話し合うっていう、そんな当たり前のことをしてないんだよ!」
俺と一緒で。
俺と一緒で、選択肢の正解を選ぼうとしているだけじゃ、駄目なんだよ。
「好きだから心配だ、大丈夫なのか、出来ることはないか、不満はないのか、愛してる。そう言ったのかよ」
「……言わなくたって、わかるだろう」
「信じてるって? そりゃあんたにとって都合の良すぎる話だろ」
親密度を教えてくれる妹がいるなら別だけどな。
鞠さんの父親は、苦そうにバーボンを飲んだ。
「心配する、束縛するをやめて、心配しない、束縛しないに変えたって駄目なんだ。気持ちを伝えることが重要なんだよ」
「……何がわかる」
「わかんないかもしれない。間違ってるかもしれない。でも、今、俺の思いは伝わってないか? 俺が鞠さんを思って言ってるって。いや、あなたのことを思って、言ってるって、伝わってないかよ」
バーテンダーが、黙ってチェイサーを置く。
言葉にして伝えることを力説してるのに、気の利いたことしやがって。
これじゃあ、酒のせいにできちゃうだろうが。
失礼な口の聞き方も、今、俺が泣いてることも。
「心配だって、言えよ……愛してるから心配してるんだって、言えよ……」
もう、嘆願だった。
何が正しいかなんてわかりゃしないんだ。
俺は鞠さんの父親に、鞠さんに対してして欲しいことをお願いした。
それは、正しいとか間違っているとかじゃない。
「わかった。ああ、君の願いを聞く。ああ、なんて気持ちがいいんだろう。お願いを聞くというのは。そうか、私もそうすればよかったんだ。彼女が俺のお願いを聞いてくれないわけがない。なんて私は愚かだったのだろう」
懺悔なのだろうか。
俺は目の前のカクテルグラスではなく、右隣の紳士の顔を見る。
笑っていた。
悲しそうに、切なそうに。でも、笑っていた。
「間違っていたなあ……でも、鞠を信じていたことは間違っていなかったみたいだけど。やっぱりボーイフレンドは素敵な相手だったんだからね」
やっぱり、鞠さんの父親は紳士だった。
「ラーメンでも食いに行こうか? それとも他に何かある?」
「いいですね、ラーメン。行きましょう」
俺たちは泣き笑いながら、肩を組んでバーを後にした。
やれやれ、ラスボスとラーメン食いに行くゲームがあるかよ。ほんとクソゲーだな。
でも、この日食べたラーメンの味は、よく覚えていないのに、一番美味いということだけは覚えていた。




