異世界メモリアル【5周目 第28話】
クリスマス以降は日帰りのデートだけで過ごした。
そして今日はバレンタインデーである。
俺は鞠さんに招待されて彼女の家を訪ねた。
「ああ、君がロト君か。いらっしゃい」
ついに鞠さんの父親に出会った。スーツをバシッと着こなして髪はオールバック。英国紳士のような佇まいだ。男の俺から見ても格好良い。
「あいにくだが、鞠は今出掛けていてね。こちらの客間で待っていてもらえるだろうか」
落ち着いた渋い声でそう案内する姿もサマになっている。
「鞠さんは何時頃戻られる予定でしょうか」
「昨日の夜には戻る予定だったのだが、まだ帰っていないんだ」
……もう昼だぞ? 何を平然と悠長なことを言っているんだ。
「鞠さんはどちらに?」
俺は努めて冷静に聞いた。
「さて」
さて、だと?
この物腰の柔らかい、偉そうな態度がまったくしない紳士的な態度の男に対して俺が怒りの感情を抱くのは果たしておかしなことだろうか。俺の心が狭すぎる故なのだろうか。
「年頃の娘に細かいことを聞くのはデリカシーに欠ける。私は彼女を信頼しているからね」
言っている事自体は間違っているとは思わない。それでもムカついて仕方ないのは俺が変なのか?
「娘はもう小さな子どもではないのでね。自分の考えで行動できる年齢だ」
小さな子どもじゃない女の子だからこそ危ない、そうは思わないのかコイツは。
「君も彼女を信じているなら、そこで待っていなさい」
話にならん。
娘が帰るといった日に戻らず、どこに行ったかもわからない。だけど信じているだと。こいつは本当に人間なのだろうか。よっぽどあの独立型人工知能の方が人間らしかったぜ。
俺は睨みきった顔を見せるのを避けつつ、一旦は言うことを聞いて客間へ入る。
豪勢な革張りのソファーに腰をおろすが、落ち着かないにも程がある。
少し待っていると、きっちりとした身だしなみの老紳士がお茶を用意するためにやってきた。
俺は彼がお茶を提供する前に問う。
「鞠さんの居場所に心当たりはありませんか」
「……お嬢様はウァレンティヌス山に向かいました」
「ウァレンティヌス山?」
「最高に良質なチョコレートが採取できる山ですが、モンスターも現れる危険な場所です」
な、なんだって。そ、そんな、そんなアトリエシリーズみたいなところに!?
普段は一昔前の日本なんだが、こういうときに限ってゲーム世界の要素が出てくるんだよな。
この世界のクソゲーっぷりに文句を言っている場合ではない、鞠さんが心配だ。
「だ、誰か一緒なんですか?」
「お嬢様は一人でやらなければ意味がないと」
そんな馬鹿な。戦士を雇ったり仲間を手に入れてから行かないと危ないだろ!? アトリエシリーズの基本中の基本でしょう!?
「そこに案内してもらえませんか、お願いします」
俺は頭を下げる。
「私にそれは出来ません」
頭を下げたまま、拳を握る。頭を上げるわけにはいかない。協力してもらうまでだ。
土下座も覚悟していると、優しい言葉がかけられる。
「私はお茶を御馳走するようにと仰せつかっておりますので、これを飲んでいただかないと。私に出来るのは、その間に運転手を手配することくらいです」
俺はがばっと顔を上げると、静かに笑ったままの老執事がお茶を淹れてくれていた。
もう一度、頭を下げる。今度は懇願のためではなく感謝のためだ。
温かくていい香りのする美味しい紅茶を啜っているにも関わらず、まったく落ち着かない。
焼き菓子を食べても、ろくに味わうことも出来ない。
あの父親はなぜそうならない。俺よりも慌てふためくのが普通なんじゃないのか。
車の到着を執事さんが教えてくれると、速歩きで乗り込んだ。
何の意味もない貧乏揺すりをしながら、彼女の無事を祈る。
「完全にダンジョンじゃねえかよ!?」
到着した途端につい大声を張り上げてしまった。
山と呼称しているが、完全に洞穴であり、中は都合よく灯りが用意された上り坂。見るからに罠だの宝箱だのが待っている予感がする。鞠さん……
俺は駆け足で乗り込んでいった。
中は黒い岩肌の壁で、右は外壁、左は崖の一本道。崖の下はマグマらしきものがあり、恐ろしさを演出している。なんでこんなところにチョコレートが採取できるんだよ。今は冬だがマグマのおかげで洞窟内は適度に温かく、意外にも快適だ。鞠さんが寒さで凍えている可能性は薄れた。
道はそこまで狭くはないが、モンスターが現れたら横をすり抜けるのは難しいのではないか。鞠さんが心配だ。
二時間ほど登ると現れたのは、やはりモンスター。この現実の世界は大昔のロールプレイングゲームではないのでエンカウントするまえに検知できる。よって逃げることは可能だ。サイズが小さいので、道の左側に寄せ付けてから、ダッシュで右から抜けることで回避が出来た。鞠さんもこうしてうまく進んだだろうか。
三時間かけて更に進んでいく。途中何度かモンスターらしきものが居たがすべてスルーした。また、良質なチョコレートらしきものも発見したが、それもスルーした。女の子から貰うチョコは欲しいが、ダンジョンに生えているチョコなど要らん。鞠さんがこれを採取して帰らなかったのは一体何故なのか……
更に進むと細い階段があった。セーブポイントでもありそうな雰囲気だが、当然そんなものはない。嫌な予感を振り払うように二段飛ばしで登っていくと、開けた場所に辿り着く。
「ま、鞠さん!?」
なんということ。まさに昔のロールプレイングゲームのような囚われ方だ。これでもかというくらいわかりやすい牢屋に閉じ込められている。
走って駆け寄ると俺の方をちらと見て、力なく微笑んだ。服はボロボロになっているが、怪我などはしていないようだ。少しだけ安心するやいなや後方から嫌な雰囲気が伝わってくる。
「シギャー!」
叫び声に振り向くと、そこに居たのはゴブリンっぽいやつらだった。最悪だ。俺がここに来なかったら彼女はどうなっていたかわからない。
特に武器を持っているわけではないので、素手で戦う。
――わけがないだろ。はっきりいって攻撃力がどうのこうのじゃなくて、ゴブリンを殴り殺すとか生理的に無理。
俺は手頃な石を拾って投げるを繰り返す。運動能力が高いのでプロの野球選手並みのスピードで石が飛ぶ。ヘッドショットすれば一発だ。
数匹しか居なかったので無傷で倒すことが出来た。運動能力が無ければここで死んでいたかもしれない。攻略順が合っていてよかった……
ゴブリン達があらかた動かなくなったところで牢屋から助け出す。鍵がかかっているのではなく単純に入り口の戸が重たいから鞠さんでは逃げられないという原始的なものだ。中に入って鞠さんに声をかける。
「もう大丈夫」
鞠さんは俺の言葉を聞いて自分が助かったことに安堵したのか、頷いてから眠った。可哀想に、肉体的にも精神的にも疲れ切っていたのだろう。
破けた服に構うこともなく、両手でしっかりとチョコレートらしきものを大切に持ったまま、長いまつげのまぶたは閉じられている。それを見て、俺の気持ちはじんわりとしたなんとも言えない温かいものに包まれる。
俺は彼女を背負い、その重さを感じる。これから降りることになる道中の長さと、その大変さを思う。イベントが終わっても入り口に戻されることもないし、リレミトも使えないし、本当にクソゲーだ。
それでも、これが幸せなのかもしれないと思った。これが愛なんじゃないかと思った。でも、この感情を既存の言葉で語ることなんて勿体ないとも思った。
だから、なんだかわからない気持ちのまま、涙を流した。もちろん、悲しみではない。それだけは間違いない。
鞠さんをおんぶしてゆっくり坂道を降りていく道中のことを、俺は一生忘れない。
んー筆が重い!
これでも書くのに今日一日かかったんですよぉ~。
もうすぐ五周目も終わり。ちゃんと六周目は始まりますので、よろしくおねがいします。




