Chapter 4
真希はするりと錠の下りた門を潜り抜けた。
生身の僕は、傍らの塀を必死で乗り越えて後を追った。
真希は町に向かって歩いていく。
駅前の繁華街のはずれに、一人の男が電柱にもたれかかってうとうとしていた。
(おじさん・・・?)
上を向いた顔に、少し見覚えがあった。
ひょっとしたら、真希の義理の父親ではないか。
事件の後も、何度か街で見かけ、向こうも僕のことを知っていたから、時々は言葉を交わした。
いつも、大切なものを失った、寂しそうな笑顔を浮かべていたのを思い出す。
おじさん、元気出してよ。
そう言いかけては飲み込んでいた。そのうちに、姿を見なくなった。
あれからもずっと一人で、自暴自棄になり、こうして浮浪者みたいになっていたのか。
そして、真希はそんな父親を慕って、一途に会いに来たのだ。
僕なんかには目もくれないはずだ。
僕は、息を殺して二人を見守った。
不意に、男が目を開けた。ひっと息をのむ音。やがてそれはとぎれとぎれの悲鳴になった。
あわあわ、と口をわななかせながら、あっちへ行け、と手で真希の姿を払いのけようとする。
僕はちょっと慌てた。
だめだよ、おじさん、怖がらないでやってよ。真希は、おじさんを慕ってやってきたんだ。
そう言いたかったが、唇が張り付いたようにこわばって動かない。
「お前が、見たから。お前が、お、お前が・・・」
男はうなされたようにわけのわからないことをつぶやいた。
真希が、一歩足を前に、男の正面に立った。
電灯にうっすらと照らされたその顔を見て、僕はぎょっとした。
真希は、凍てついた、刺すような瞳で、義理の父親を睨み据えていた。
あの日、髪留めを取り上げた僕に見せた怒りなどとは比べようもない、心底人を憎み、蔑んだ表情だ。
子供にこんな顔つきができるなんて、誰が想像できるだろう。
それほど、真希の男を見つめる目は、ぞっとする怨恨に満ちている。
「お、お前の、母ちゃんも、きょうだいも、そっちで一緒だろう。さ、帰れ、帰れ!」
いったいこの男は何を言っているんだろう。僕は耳をそばだてた。
真希はさらに一歩男に歩み寄った。そして、細い両腕を男に向かってまっすぐに伸ばした。手のひらが、男の首元に伸びていく。指先が、男の首に触れようとしたその時、とうとう男はよろよろと立ち上がった。
「あ、あっちへ行け!この野郎!!」
男は真希に向かってむちゃくちゃに手を振り、足で蹴りつけたが、真希はびくともしない。
「もいっぺん、首絞めて殺してやろうか?え?」
男がそう怒鳴った時、真希の顔つきが一変した。
首に、くっきりと手の指の跡が紫色に浮かび上がった。
髪はばらばらと肩に落ち、その顔は恐怖にひきつり、歪んで開きかけた口や鼻から透明な液体があふれていた。
目を覆いたくなるようなグロテスクなそれは、おそらく、彼女の死の瞬間の顔だったに違いない。
真希はいきなりどさっと男に覆いかぶさった。
男は必死に真希を払いのけ、逃げるようにやみくもに走り出した。
わあああ、と声を挙げながら男は深夜の道を走った。
音もなく、滑るように真希が後を追う。
男は何度も振り返り、そのたびに真希の姿を捉えて、よろけながら走り続けた。
静まり返った商店街のはずれ、その先に踏切があった。
終電車はとっくに終わっており、静かなはずの踏切が、突然警報機を鳴らし始めた。
男が踏切に飛び込んだ直後に、貨物列車が猛スピードで踏切を通過した。
真希は踏切の前に立ち尽くして、それを見ていた。
「真希」
僕は真希の肩に手を置いた。
振り返った真希は、もうさっきまでの死の形相はなく、メリーゴーラウンドに乗っていた時のように、僕の返した髪留めできちんと髪を留めていた。ただ、少しだけ違うのは、僕を見上げたその瞳から、二筋の涙が頬を伝っていたことだ。
「さあ、帰ろう。僕が肩車してやるよ。もうすっかりでかくなっただろう?お前ひとりぐらい、軽々さ」
そう言って、僕は真希を抱き上げ、父親が娘にそうするように、肩車をしてやった。
まるで仲の良い親子が遊園地に向かうように、僕は真希を連れて裏野ドリームランドへの道を歩いた。
真希は時々、足をぶらぶらさせて、僕の胸のあたりを蹴っ飛ばした。かと思うと、ふざけて僕の髪の毛を両手でくしゃくしゃにした。
こら、よせ、と僕が言うと、かすかにくつくつと真希のこらえきれないような笑い声が頭の上から聞こえてきた。
真希。
ひどい目に遭ったんだな。
ずっと一人ぼっちで、あいつを見張ってたんだな。
僕の目から涙があふれ、しばらく止まらなかった。




