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将棋少女恭子の日常:第四話

文化祭も近づいた、ある日の放課後。

担任教師に頼まれた仕事を片付け、恭子が帰路につこうとすると。

「西里、ちょっといいか?」

急にクラスの男子に呼び止められた。

「どうしたの?」

「いや、文化祭のことで、ちょっと。隣のクラスにきてくれないか?」

歯切れの悪いクラスメイトの言葉に、恭子は怪訝に思いながらも

「わかったわ」

と返事した。


隣のクラスの教室に着くと、予想外の光景が広がっていた。

そこには、きっちり駒が並べられた将棋盤が置かれた机。

ご丁寧に、対局時計まで設置してあった。

その机にはギャラリーも多数張り付いている。

ギャラリーの中には裕介や花恋もいて、にこやかに手を振っていたり、ペコリ、と頭を下げたりしてきた。

そういえば放課後、いそいそと二人して教室を出て行っていたのを思い出した。

「・・・?これは・・・?」

恭子は訝しげな顔で、ここに連れてきたクラスの男子の顔を見る。

「西里、お前より将棋の強いのをつれてきて負かしたら、エプロンドレス着て接客してくれるんだろう?それで、強いのをつれてきたってわけさ」

「・・・あっそ」

多少驚きはしたものの、そういうことか・・・と納得する。

なぜそれほど自分に接客業務をさせたいかはまったく理解できなかったが、将棋を指せるのはやぶさかではなかった。

わざわざ学校につれてきたぐらいだ、そこそこ将棋の腕も立つのだろう。

せいぜい、楽しませてもらうとしよう。

「対戦相手はもう座ってるよ。西里が来るのを待ってたんだ」

ここに案内した男子生徒が、くいくいとその机を親指で指す。

恭子はギャラリーをかき分けて、盤の置かれた机に向かう。

ちらり、と対局相手の顔をうかがってみた。

「!!」

その瞬間、恭子の顔が確かに凍りついた。

あまりにも場違いなものを見たときの表情だ。

「い・・・十六夜いざよい三段!?」

恭子の大声に反応するように、いままで黙ってうつむいていた一人の男の子が顔を上げた。

歳は恭子たちより、少し年下に見える。

ただ、その目には青少年らしくない、鋭い光が宿っているような気がした。

「僕をご存知でしたか。光栄です」

男の子は屈託のなさそうな笑顔でこちらを見る。

「ちょ、ちょっと!この人を連れてきたの、誰なの!?」

普段冷静沈着っぽく見える恭子があわてたものだから、みな物珍しそうにこちらを見つめている。

そのうち、ギャラリーの中の一人の男子が、手を上げた。

「あー。彼、俺のイトコなんだ。今日は無理言ってきてもらった」

このクラスの生徒だろうか、恭子の知らない顔の男子が、しれっとそう言ってのける。

「無理してきてもらったって・・・」

恭子は思わず天を仰いでしまった。

そんな様子を見て、裕介が声をかけた。

「でも西里。彼、三段なんだろう?それなら四段って言ってたお前のほうが強いんじゃないか?」

のほほん、という裕介に、恭子は猛烈に抗議した。

「バカいわないでよ!彼はアマチュアの三段じゃなくて、奨励会の三段なの!あたしとじゃメジャーリーグの三番と草野球の四番ぐらいの差があるわよ!」

奨励会とはプロ棋士の養成機関で、そこを勝ち抜いて四段にまでなれば、晴れてプロ棋士として将棋を指してお金をもらえる身分になる。

つまり、彼はプロ一歩手前の実力を持つ将棋指しなのだ。

「将来の名人候補といわれている十六夜三段が相手だなんて・・・」

恭子は信じられない、というふうに目に手を当ててふるふると頭を振った。

そんな恭子を見て、十六夜はおずおずと提案した。

「あ・・・もちろん平手では勝負にならないでしょうから。飛車落ちぐらいでいかがですか?」

十六夜三段はできるだけ丁寧に、こちらに提案したつもりだったのだろう。

平手というのはハンデがついてない将棋のことで、飛車落ちというのは、大体自分より四段階下の相手につけるハンデ戦のことである。

しかし、この一言で恭子の闘争心に火がついた。

彼はこう言っている。

『アマのお前じゃ将棋にならないから、ハンデつけてやるよ』

と。

「・・・いや、現役の奨励会三段、それも将来の名人候補と指せる機会なんて、そうそうないから・・・平手で教えてもらえるかしら?」

引きつった笑顔でそういう恭子に、今度は十六夜が面白くなさそうな顔をした。

弱いくせに・・・。

どこかに、そんな気持ちがあるのだろうか。

しかしすぐに元の屈託ない笑顔に戻ると、

「僕はかまいませんよ。では、始めましょう」


「持ち時間はどうしますか?」

十六夜が対局時計を片手に、恭子にそう聞く。

将棋には持ち時間のルールがつくときがある。

プロの棋戦や奨励会の例会での将棋は厳密に持ち時間が設定されているし、アマチュアでも大会となると、持ち時間を設定してある大会が多い。

もちろん、これが切れると負けである。

恭子は少考するふりをして、

「ネットと同じで。持ち時間一分、切れたら30秒で」

と答えた。

「それで、いいのですか?」

「ええ、もちろん」

恭子は知っていた。

十六夜三段が、やたらめったら早指しに強いことを。

奨励会有段者の持ち時間は90分、切れたら秒読み1分だが、十六夜はこの一分将棋になってからの強さが並ではないといううわさを、同じ道場に通っているアマ強豪から聞いたことがあった。

持ち時間が切れるころには将棋は終盤に入っている。

将棋は終盤が一番難しい。

なぜなら、どんなに優勢でも、ここで間違えると敗北に直結するからだ。

その難しい終盤で、時間がないのに間違えない。

鋭くて、正確な手を確実に指してくる。

一部の奨励会員からは「十六夜は時を操る能力でも持ってるんじゃないか?終盤になると時を止めてその隙に指しているとか」とまことしやかに囁かれているほどだ。


しかし、恭子もまったく勝算なく、意地や勢いだけでこの持ち時間を提案したわけではない。

恭子の言ったとおり、有段者はネット将棋で持ち時間一分、切れたら30秒で指すことが圧倒的に多い。

普段コンピューターと無縁の生活を送っている恭子だが、将棋道場に適当な相手がいなくて、暇をもてあましているときは近所のネットカフェに行ってネット将棋を指すことも多かった。

(恭子が自宅にパソコンをおかないのには訳があるのだが、それはまた後日)

つまり、この持ち時間は恭子にとって『自分の土俵』でもあるわけだ。


対局時計がセットされ、先手後手を決める振り駒が行われる。

振り駒とは先手後手を決める、一種の儀式みたいなものである。

十六夜が「先手どうぞ」と勧めたのだが、「いや、振り駒で」と恭子が提案した。

上位者である十六夜が(奨励会員とアマチュアが指す場合は、アマチュアがプロを目指している奨励会員に敬意を払い、年齢性別に関係なく、奨励会員を上位者扱いするのがマナーである)歩と呼ばれる小さな駒を5つ振り、歩兵と書かれたほうが2枚、『と』と書かれたほうが3枚でた。

「西里さんが先手ですね。お願いします」

ぺこっと頭を下げて、十六夜は対局ボタンを押した。

恭子のほうの時間が、徐々に減り始める。

「お願いします」

恭子が気持ちを落ち着け、初手を指す。

十六夜も、間髪いれずに二手目を指した。

ここからは、誰も入れない二人きりの、小さな盤上で、無限大に広がる宇宙での対戦である。


(相振り飛車か)

戦形は恭子も良く知っている形になった。

将棋には大きく分けて、二つの戦法がある。

ひとつは最大の戦力の飛車という駒を最初の位置から動かさずに戦う『居飛車』。

もうひとつは飛車を最序盤のうちに左側に動かして戦う『振り飛車』である。

この飛車を左側に動かすことを『飛車を振る』という。

ちなみに居飛車を持って戦うことが多い人を『居飛車党』、振り飛車を持って戦うことが多い人を『振り飛車党』と呼んでいる。

恭子も十六夜も『振り飛車党』なので、二人とも振り飛車にする可能性はかなり高かった。

二人とも飛車を振った状態で戦いに入ることを、『相振り飛車』というのだ。

この形になって、恭子は「しめた」と思った。

この戦形は昔から『下位者が一発入れやすい』戦法としても知られている。

昔の大名人も、『相振りは下位者に有利な戦法だから、好きではない』といっていたぐらいだ。


(それにしても・・・)

ばちっ!と駒音高く指す恭子に比べ、十六夜は『ぱちり』と静かな駒音である。

恐ろしいほどの気合で盤をにらんでいる恭子に比べ、十六夜は少しだけ考えさせられる数学の問題を眺めているような表情だ。

本気で指していない。

将棋にまったく興味がない人が十六夜の顔を見ても、わかりそうな雰囲気である。

恭子は思った。

勝つのは難しい。

相手は将来の名人候補とまで言われている将棋指しだ。

でもせめて、相手を本気にさせてやろう。

一回だけでも、苦しめてやろう。

恭子は将棋を指していて久しく感じていなかった闘志の燃え上がりを感じていた。


お互い持ち時間の1分を消費し、秒読み30秒に入って、盤面は中盤に突入していた。

何名かの女子も混じった、将棋を知らないギャラリー達が将棋のルールを知っている生徒に「どっちが勝ってるの?」と盛んに聞く。

聞かれた生徒たちの答えは決まって「わからない。同じぐらいじゃないかな?」だった。

その答えは間違いではなかった。

プロ一歩手前の十六夜も、アマ高段者の恭子も、『まだまだ難しい局面』と見ていたのだから。

しかし、均衡の崩れるときがやってきた。

恭子が一手、ぬるい手を指してしまったのである。

ぬるい手といっても、並のアマチュアではとてもとがめられないような、悪手とまではいえない手だった。

だが十六夜はそれを見逃さずに強烈に責め立てる。

その手を境に、恭子は防戦一方に追い立てられてしまった。


「くっ・・・」

恭子のくちびるから、思わず苦悶の声が漏れる。

綺麗な顔が、苦悩にゆがむ。

対して十六夜は対局前とほとんど表情が変わっていない。

手つきも対局中まったく同じで、駒を小さくぱちり、といわせて指し進めるだけだ。

冷静、というより興味のないような感じだった。

相手の冷めた表情が、余計に恭子の感情を刺激した。

しかし恭子は、懸命にその感情を押さえ込もうと努力する。

将棋は技術が大切なのはもちろんだが、キレないようにする心の持ちようも大切なのだ。

耐えろ、耐えるんだ。

相手が強いのはわかっている。

でもきっと、チャンスは来る。

恭子はそう念じ、相手から奪った駒を防御に回した。


中盤も、そろそろ終わりに差し掛かっている。

時計が刻むデジタル音を聞きながら、恭子は絶望的な思いで盤を見つめていた。

(大差だわ・・・)

ルールを覚えたぐらいのレベルではわかりにくいだろうが、少し将棋の腕に自信のあるものなら、この局面を見て恭子側を持って指したい、という人間はいないだろう。

それほどの大差だった。

どうしよう。

もう投げようかしら。

そうよ。

大差の中、詰みが分かるまで指し続けるなんて、余計に相手にバカにされそうな気がする。

相手は無表情だが、『この局面から、まだ指すの?』といっているような気もする。

それに、こんな辛い局面、こんな強いのを相手にして、もう指したくないわ。

投げてしまおう。

負けました、といって、楽になろう。

真剣だった恭子の表情が、糸が切れてしまったかのように緩んだ。

『負けました』

あと何瞬か遅かったら、そう発していただろう。

「西里!」

聞きなれた声が、大きな音量で飛んでくる。

裕介だった。

「あきらめるなよ。お前、俺と将棋指していたときに『最後まであきらめちゃダメ』って怒ってたじゃないか。王様、まだ詰んでいないだろう?がんばれよ!」

将棋というのは、相手の王様を先に動けなくしたほうが勝ちのゲームである。

この王様が動けない状態を将棋用語で『詰み』という。

裕介は『完全に負けたわけじゃないだろう?がんばれ』といっているのだ。

(青木のヤツ。強くないくせに言ってくれるわね)

これだからヘボは。

どうせ、今の局面がどれほどの大差か分かっていないんでしょ。

そりゃ覚えたてのレベルなら、王様の頭の上に金が乗るまでやってても恥ずかしくないわよ。

でもね、あたしぐらいのレベルになると・・・。

(あたしぐらいのレベルになると・・・なんなの?)

なによ。

そういうあんたは、そんなに強いの?

こんなボコボコの局面にされているくせに。

弱いくせに、格好つけるなよ。

どうせなら、最後までやろう。

王様が詰むまで、この強い将来の名人候補と戦おうじゃないの。

「そうよね、最後までがんばらなきゃね」

恭子はそうつぶやくと、駒台から銀将と書かれた駒をつまむと、ばちっ!と今迄で一番高い駒音を立てて、粘るためにそれを自陣に打ち付けた。


それから戦いは延々と続いた。

一手30秒将棋にもかかわらず、もうすで開始から1時間以上は経っている。

恭子はすでに肩で息をしていたし、無表情だった十六夜も時折大きなため息を漏らすようになっていた。

将棋というゲームは、見た目以上にハードなボードゲームなのである。

プロの将棋指しは対局の翌日体重を量ると、2・3キロ体重が落ちていることがあるそうだ。

アマチュアでも本気で指した大会の翌日など、疲れが残ることもある。

十六夜は明らかに恭子の頑強な粘りにいらついてきているようだった。

そのいらつきが原因だったのだろうか。

正確無比だった、時間を操るとまで言われた十六夜の指し手に、とうとう一手の悪手が出た。

恭子は持ち前の勝負勘でその悪手を嗅ぎ取る。

ようやくようやく、恭子にチャンスが来たのだ。

恭子は気合良くばちぃっ!と銀将を将棋盤に叩きつけた。

こちらを攻めている十六夜の攻め駒を、逆にきつく責めあげてやる。

無表情だった十六夜の表情が、その一手を見て変わった。

比喩ではなく、彼の顔がさあっ・・・と青くなったのである。

「・・・っ!」

十六夜の、声にならない驚愕の声。

ひっくり返った・・・?

いや、まだ互角だ。

落ち着いて指せば、俺が勝つはずだ。

名人候補の俺が、アマに負けるわけがない。

負けては、いけないのだ。

この将棋で初めて、十六夜は大きな駒音を立てて、駒を盤に叩きつけたのだった。


二人の迫力に、ギャラリーは無駄口さえ叩けないでいた。

ギャラリーの中にいる女子達はルールさえ知らないはずだったが、食い入るようにして二人の表情と盤上に見入っている。

ギャラリーたちは、初めてリアルに見たのではないだろうか。

人が真剣に戦う様、というものを。


もう盤上は乱戦に次ぐ乱戦で混乱の極みに達していた。

将棋のルールを知っているものが見たら、将棋の強弱関係なしに『どんな将棋を指せばこうなるんだ?』と疑問に思うような盤上だ。

十六夜の一手の小ミスを恭子が咎めたことから大混戦になり、もうどちらが勝ってもおかしくない状態にまで恭子は十六夜を追い詰めていた。

ここからは、集中力と気合の勝負だ。

先に心が『切れて』しまったほうが負けてしまう。

恭子も十六夜も心の悲鳴のような高い駒音を立てて指し進める。

一手に与えられているわずか30秒の時間を、ぎりぎりいっぱいまで使って考える。

(キツイ・・・)

恭子は心中でそう漏らした。

もう開始から1時間半近くが経過している。

延々と30秒将棋を指し続けている。

こんな将棋は初めてだ。

相手が奨励会の三段だとか、将来の名人候補だとか、そういう雑念は恭子の意識の中から消えていた。

目の前の将棋に勝ちたい。

それだけだった。


長い長い激戦に、ピリオドを打つときがやってきた。

「・・・・・・!」

その手を指した瞬間、失敗を表情に出さないようにするには、相当な労力が必要だった。

表情に出してしまえば、相手がこちらのミスに気づく可能性が高くなる。


間違った。

とうとう、間違った。


この一手で、詰みが生じてしまった。

きわどいところで均衡を保っていた終盤の天秤が、この一手で重々しく音を立てて傾いてゆく。

相手もこちらの間違いに気づいたのだろう。

さらに駒音高く、駒を押し進めてくる。

わずかに17手詰めだ。

ここまで指してきた相手が、いまさら間違うわけがなかった。

ばちっ!

あと15手。

ばちっ。

あと13手。

ばちっ!

あと11手。

ばちっ!

あと9手。

ばちっ!

あと7手。

ばちっ!

あと5手。

ばちっ!

あと3手。


ピッピッピッ・・・と対局時計が秒を刻む。

残り5秒。

ピー・・・・と発信音が長くなった。

この発信音が鳴り止めば、時間切れで自分の負けだ。


残り、1秒。


そこまで考えて、対局時計の中断ボタンを押した。

そして、恭子は駒台に手を置き、頭を下げてこういった。


「負けました」


しばらく、両者は無言だった。

ギャラリーも、誰も声を発しようとしない。

そんな中、恭子がいきなり立ち上がった。

「ちょっと。ごめん。感想戦はあとで」

そういうと恭子は駆け足で教室を出て行った。

一同がぽかん、とする中、裕介と花恋だけは顔を見合わせると、お互い「うん」とうなずいて恭子のあとを追うのだった。


恭子は廊下の一番端までやって来ると、そこでぴたり、と立ち止まった。

すぐに裕介と花恋が追いつく。

「西里・・・」

「恭子さん・・・」

二人に声をかけられても、恭子はこちらを振り向こうとしない。

恭子から発せられたのは、とても大きい慟哭だった。

それは敗者の、本気で戦い敗れた者の、悲痛な慟哭だった。


「うん、そうね。その手が悪くて苦しくなった、と思ったわ」

「ですよね。ここでは僕は勝った、と思っていましたが・・・この手が辛くて」

泣き疲れて一段落した恭子は、裕介と花恋と一緒に目を赤くして教室に帰ってきて、何事もなかったかのように感想戦を行っている。

感想戦というのは、対局後に対局者同士が行う反省会のようなものだ。

熱心に観戦していたギャラリーたちも、感想戦が始まると徐々に散っていき、今は大体最初の1/3ほどが感想戦の様子を見守っている。

「まあ、ここからはあたしの勝ちはなさそうね。・・・っと。この辺にしておきましょうか」

さすがに疲れた恭子が、感想戦の終わりを提案する。

「ですね。いや、いい勉強になりました。ありがとうございました」

十六夜も素直にそれを受け入れ、ペコリ、と頭を下げる。

「こちらこそ勉強になったわ。ありがとうございました」

両者いい笑顔で、終局の挨拶を交わし、握手を交わす。

「三段リーグ、がんばってね」

恭子のその言葉に十六夜は少し表情を固めて

「はい。がんばります」

と返事した。

彼はプロを目指している。

三段リーグとはプロを目指す者にとって最後の関門で、奨励会で三段まで登りつめた30人前後の猛者たちで18番のリーグ戦を行い、上位2位までに入らなければ四段になれない厳しいリーグである。

年齢的におそらく彼はプロになれると思われるが、奨励会の世界にはそんな保障はどこにもない。

プロを目指す彼とは、あたしはもう指す機会はないだろう。

でも、袖触れ合うも他生の縁。

彼には絶対、夢をかなえてほしい、プロになってほしいと願う恭子だった。


「あ〜、久しぶりにいい将棋を指したわね〜。さて、帰りましょうか」

いい笑顔でそういう恭子に、数名の男子と一人の女子がいやらしい笑みを浮かべて近づいてくる。

「・・・?・・・??なによ」

あまりの不気味さに思わず後ずさりする恭子。

「にしさと〜。将棋に負けたら、メイドふ・・・げぶんげぶん。エプロンドレス着て接客してくれる約束だったよな?」

「今から衣装合わせするから、ちょ〜っと、残ってもらえるかしら・・・?」

エプロンドレスを片手に、にじり寄ってくるクラスメイト達。

「・・・・・・」

確かに、そういう約束だった。

負けた以上、約束は守るつもりだ。

でも今日はさすがに疲れた。

着せ替えごっこなんぞに付き合っている体力も気力も、さすがにない。

特に気力のほうの萎えは深刻だった。

やばい。

このままでは、あたしは詰まされてしまう。

こういう場合は。

「え〜・・・。将棋にはこういういい言葉があります」

恭子はくるりと背を向け、こう叫びながらダッシュで逃げる。

「王の早逃げ、八手の得、ってね!今日は、さよならっ!」

「あ〜っ!逃げた!西里さん、接客あけとくから、絶対ちゃんと仕事してよっ!」

クラスメイトの非難の声に、恭子はふらふら手だけを振ってこたえた。


それから2週間が経ち、さて、文化祭当日。

「い、いらっしゃいませ〜」

ぎこちない恭子の声が、喫茶店に模様替えした教室に響き渡る。

クラスの綺麗どころがエプロンドレスを装着して接客しているせいか、コーヒーのうまさがとても高校の文化祭で飲めるレベルとは思えないほど超越しているからか、その相乗効果なのか、客は列をなしてこの教室に押し寄せてきていた。

「おお、西里。じっくり見てもやっぱり似合ってるな」

「そうですわ、恭子さん。とってもかわいいですよ」

大道具の係で当日暇になった裕介と、コーヒー指南がひと段落した花恋が、接客している恭子をからかいに来たようだ。

「・・・。まったく、こんな格好させて接客だなんて、何の意味があるの?しかもやたら客は来てるし」

恭子はエプロンドレスにカチューシャ、それに『きょうこ(はぁと)』なんて書かれたネームプレートまでつけて接客の仕事に従事していた。

エプロンドレスはともかく、カチューシャとネームプレートは約束の範囲外だ、と必死に抗弁したが、クラスメイト達の『将棋、負けたんでしょ?』の一言に、恭子は抗うすべを持たなかった。

「きょうこさーん。写真一緒に撮ってください!」

教室のどこかから、そんな声が飛んできた。

3人組の、他校の男子のようだった。

「あー・・・はいはい。今行きます・・・」

「おいおい、写真まで撮らせてるのか?いいのかよ」

とぼとぼ歩いてそちらに向かう恭子に、裕介が驚きの声を上げる。

恭子があきれたように首を横に振って、ちょっと事情を説明し始めた。

「最初、他校の男子に『写真一枚いいですか?』って聞かれて。まあ、別にそれぐらいいいか、と思っていいですよ、って言ったら撮っていいんなら俺も!とか言う人が続出して」

「まあ、メイドカフェでメイドの撮影が厳禁、ってのはいまや常識だからな・・・」

「なんだか、えらく範囲のせまそうな常識ね・・・。それはともかく、それでちょっとした混乱になりかけたんだけど、委員長があわててそこにある張り紙作ってね」

恭子が指差す先には、『メイドの撮影を厳禁す』と書いてあった。

「でも最初のヤツだけ撮影してずるい!って言い出すヤツがいて。それに便乗するやつも現れて。それで委員長、『西里さんが許可したんだから、あなた責任とりなさいっ!』ってヤケ気味に・・・」

「そうか・・・」

「きょうこさーん!はやく〜!」

さっきの3人組の、催促の声。

「はいはい、すぐに行きますよ・・・」

とぼとぼながら呼ばれたほうに向かう恭子。

その三人組に、

「あの、無表情でお願いします」

なんていわれたりしている。

そんな恭子を見て、昔からヘンに律儀なヤツだったからなあ・・・と妙な感慨にふける裕介と花恋だった。


後日談。

文化祭からしばらく、恭子のエプロンドレス写真は、学校闇社会で高値で取引されることになった。

その筋の人からは『長門似の美少女』として。

一般人には『なかなかかわいい女の子の写真』として。

それ以外にも、文化祭にいたるまでに恭子にちょっとしたエピソードがあったのだが・・・それはまた別のお話。

お久しぶりです。

って、もう誰も覚えていらっしゃらないかもしれませんが(笑)。

ほぼ、2ヶ月ぶりの更新となります。


この間にハチワンダイバーという将棋を題材にしたドラマもありましたし、ひょっとしたらこの小説に興味を持ってくださる方も若干増えているかもしれませんね。


今回の恭子の対戦相手、十六夜三段ですが、もちろん、元ネタはあのゲームの登場キャラです。


面白いですね、あのゲーム。

キャラクターや音楽のタイトルのネーミングセンスにセンスが違うな、と思い知らされました。


次回はいつになるかわかりませんが、読んでやろうという方は、気長にお待ちくださるとうれしいです。


ではまた次話でお会いしましょう。

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