2108年、『真実』を知る少年
「2115年、アンドロイドの救世主」シリーズの将来の登場人物の物語。
辺りは数メートル先すら見えないほどの猛吹雪。
絶え間なく風が吹き付ける中、一歩ずつスパイクの付いたブーツを前に出し、進み続ける。
男は世界最高峰のエベレストの雪の積もった急斜面を下っていた。
一世紀という期間で行われた技術の進歩により、ポリエチレンをメインにしたスノーウェアではなく、薄い昆虫の殻のようなシェルアーマーが主流となっていた。
男も全身を緑の蛍光色のシェルアーマーで身を包み、完全気密のされたバックパックを背負っている。
暴風の中、マイクに音声が響く。
「はぁっ……はぁっ……、1時間前の滑落の後からシェルアーマーのAR表示が一切出ない。
メイン電源の格納された左背中箇所から虹色の溶液が漏れていた。
破損したかも知れない。
バックアップ電源があるはずだが……はぁっ……はぁっ……動いていない。
畜生、不良品だ……」
男はその場に座り込むと周囲を見回す。
真っ白の雪と霧で何も見えない。
「はぁっ……はぁっ……シェルアーマーのパワーアシストも機能していない。
節々に雪が詰まって動くのが……厳しい……。
ヒーターの温度もどんどん下がっている。おそらくもう機能していない。
断熱機構と自分の体温だけが頼りだ……はぁっ……はぁっ。
……ここがどこだか分からない……。
水や食料をデポしたルートへどう戻ればいいか……。
今の俺は一世紀前の装備に戻っている状態だ……あちこちにあるミイラ化した死体と同じ……。
……はぁっ……はぁっ……神よ……」
映像は一旦ノイズと共に消え、再び映像が始まる。
男は半分雪に埋もれながら横になって倒れていた。
「誰か助けてくれ……このままだと俺は死ぬ……ああ、あれは何だ? 羊だ! 羊が来るぞぉ! ははははは!」
男はしばらく錯乱して意味不明な言葉を発し続けた。
「……俺は、世界最高峰のエベレストの頂上を制したんだ……まるで神が、全世界が俺を祝福してくれているかのような興奮を感じていた。
俺はやり遂げたんだ……、この喜び、俺はこれを求めていた。
そして、この絶望……俺は人生にリアリティを求めていた……。
一度死に掛けてみたい……そう言った事もあった……、
ああ……今は怖い……誰か……」
しばらくするとシェルアーマーのカメラが搭載されたヘルメットが脱ぎ捨てられて雪の上を転がり、男の姿が視界から消えた。
***
俺はVRデバイスのスイッチを切った。
今まで見ていたのは、とある登山家の最後の記録映像。
ネットで偶然拾い、何故か気になって保存し何度も繰り返し見ている。
俺は隣の自分のベッドに寝転がり目を閉じる。
「俺も同意見だ。一度……死に掛けてみたい」
ネオ東京の旧高層ビル街の一角に俺は家族と住んでいる。
両親は健在、俺は一人っ子で高校生だ。
学校には普通に通っているが、俺には友人は居ない。
どうしても馴染めない。
他の同級生が生きる『現実』、受験だとか試験の成績だとか、野球だサッカーだとか、それらが全て薄っぺらな幻想に思えて彼らに同調出来なかった。
だがさっきまで見ていた記録映像には『真実』の欠片がある。
そんな気がする。
何気なくVRテレビをつけ、適当にチャンネルを検索する。
テーブルの上の空間には幼児向けの番組が映し出された。
この手の番組は昔から変わらない。
ぬいぐるみを被った……まぁ、今は裏でモーションセンサーを付けたアクターが演じるVR映像だが、デフォルメされた怪獣が子供と遊び、パペットとお姉さん、お兄さんと共に歌い踊る。
「…………」
半分眠ったような目で黙々と番組を見る。
なぜ大人というものは、お人形が子供と一緒に歌い踊ってお遊戯をする、こんな『歪んだ幻想』を作り上げ、子供に強制するんだろう?
現実の世界に『歌』は無い。
現実というのは……これだ!
俺はVRテレビを止め、ネットで検索して見つけ、ストックしたVR映像を選んで再生する。
***
マンションの小部屋が映し出される。
それほど裕福な家ではなく、背後には西欧から輸入された合成食品の包み殻が山積みになっていた。
そして画面の中央には30歳くらいの一人の女性がカメラを覗き込んでいる。
女性は顔の右半分の骨が露出していた。
先天性の病気らしい。
この一世紀の人口増加で食料は合成品が主流となった。
牛肉や豚肉ですら、今は工場で植物のように生えてくる。
このDNA汚染、化学薬品の汚染で体に異常を持つ人間が増えたと噂されている。
本来は植物、動物そのものが生存し、病気や異常を持つものは選択されて死亡する。
そして自然の力でより分けられた健康な食物を人類は食べて生きてきた。
その法則が大きく変わったのがこの一世紀。
人類はその変化に対応しきれていないらしい。
裕福な者であれば、サイボーグ化手術などでどうとでも乗り切れる。
だがそうでない、詰んだ人間なら別だ。
このVR映像はこの女性が生放送として配信した時の記録だ。
女性は視聴者をさんざん罵倒した後、大勢の悲鳴が上がる中、拳銃を咥えて自らの脳を撃ち抜いた。
***
エベレスト登山をする人間にとっての『真実』と『目的』、公開自殺した女性の『真実』と『目的』は違う。
何故なら彼らが入っている器が違うからだ。
映像という共通の媒体で記録されているが、人によって『映っている物』はまるで違う。
赤と青くらいに違うし、それは動かない真実だ。
俺には何故か……この世界に人と違うものが……見える気がする。
***
学習塾からの帰り、夜の10時半くらいだろうか。
電気自動車が何台も走る国道から1区画、ビル街へ入った所を俺は歩いていた。
ここは治安はいいが人通りはほとんど無い。
街灯の明かりが点々と続き、左右に無機質なビルが並ぶ。
俺の方へ向かいから人が歩いてくる。
だがその姿は何かおかしい。
遠目には全身黒のスーツだと思っていたが、背広は胸元が大きく開いて背中側で昆虫の羽のように二つに分かれて垂れ下がり、蝶ネクタイをつけ太ももが妙に膨らんだズボンにブーツを履いている。
黒で統一されたサーカス団長といった格好だ。
そして真っ黒で先端が後ろに折れ曲がったとんがり帽子を深くかぶり、表情が見えなかった。
こんな服装で歩いている奴は普通居ない。
俺は警戒した。
暴漢や不良グループに出会う方が遥かに危険なはずなのに、俺は何故かこの男が怖くてたまらなかった。
慌ててすれ違おうとした時、男は足を止めた。
「『真実』に興味は無いか?」
俺は足を止めた。
無視すれば殺されるような……いや、殺されるよりもっと恐ろしい事が起こりそうな気がしたからだ。
「どういう事だ? あんたは誰だ?」
「くっくっくっく。お前は選ばれたのだ。もうどうあがいても逃れる事は出来ない」
俺は全力で逃げた。
逃げ切れる気がしなかったが、息が切れるまで必死で逃げた。
***
俺は息を切らしながら自宅に帰ると、不審に思って呼びかける親を無視して自室に駆け込んで中から鍵をかけた。
自分の机に向かい、息を整えて出会った男の事を思い出す。
「なんだったんだあの気違いは……」
冷静になって考えてみると、変な服装をして、意味不明な言葉を俺に投げかけてきたのには驚いたが、ただそれだけだった。
気味が悪いから明日からは別の道を通ろうと考えながら、何気なく窓を見て凍り付く。
さっきの黒いとんがり帽子の男がベランダに這い上がる姿がスモークガラスごしに見えた。
そして男はガラスに手を伸ばし、ニュルリとガラスを透過して部屋へと侵入した。
あり得ない! おかしい! これは現実では無い! 異常にリアルな夢よ目覚めろ!
言葉が出ず、腰を抜かした俺にとんがり帽子の男は歩み寄り、背後へと回る。
男は背後から俺を抱きかかえるようにして左肩から顔を覗かせ、俺の目の前に両手をかざした。
「お前は選ばれたのだ。お前は誰にでもなれる。お前は『真実』を生み出せる。 お前は何でもできる。
くっくっくっく。思いのままだ」
気が付くと男が俺の前にかざした両手の前にソフトボールくらいの大きさの、金色の玉のようなものが出現していた。
玉には見たことが無い文字で呪文のようなものがびっしりと浮き彫りにされている。
そして頂点にはガラス玉のような……爬虫類の目玉のようなものがはまっていた。
その目玉は虹彩を収縮させながらギョロギョロと周りを見た後、俺を見つめる。
「や……やめ……」
「お前は穢れの神子となった。お前の『真実』と『目的』に従い、事を成せ」
金色の玉が徐々に俺の顔に接近してくる。
止めたくても体が動かない。
遂に顔に接触するほどに近づく。
「うあぁあぁぁぁ!」
金色の玉は俺の額にめり込み、脳髄へと侵入していく。
頭蓋骨がどうなっているのか、そもそもこの世の物理法則が働いているのかも分からない。
突如、俺は半ば意識を失った。
そして家の周辺に居る大勢の人の体に何度も何度も連続して憑依し飛び移って回る。
それに合わせて視界も、『世界』も変わる。
不意に、俺の中に一つのイメージが浮かび上がった。
登山家が幻想で見たとされる雪男、人間の倍ほどの身長で、首が無いゴリラのような生き物。
「止めろ止めろ止めろ止めろぉ――!」
本能的にそれが何かが分かった気がした。
イマジネーションを止めなければならないと分かった。
だが止められなかった。
ウオオォォォォォォ――――!
ビルの外で、聞いたことも無いような怪物の雄たけびが上がった。
「きゃぁぁぁぁ!」
「な、何だぁ! に、逃げろおぉぉ!」
ドンッ! ゴリゴリ
ビルの外で何かが起こっている。
そして今の俺には『真実』と『目的』が確かに見える。
何故俺のような平凡な高校生が選ばれたのか?
今は分かる。
俺には才能と宿命があった。
そして俺は穢れの神子として隠され続けなければならないからだ。